第18話 VS語らいの賢者

「ここかい」

「ああ、ここじゃよ」


 王国の西に広がる西方大森林。その懐は深く、未だ人跡未踏の地が多く存在した。ユージオと、大賢者の取り憑いた猩々ゴリラはそのうちの一つの前に立っていた。より正確には、森の開けたところにある、一段高い高地の麓である。


「神々の大地。人も魔王も知らざる世界……だった場所よ」

「だった、と」

「すでに選ばれた戦士が汝を待ち受けておるからの。ククッ。いずれも汝を討ち果たすべく、魂を滾らせておる」

「ふん」


 ユージオは山を見上げた。垂直に切り立つ崖は、人の手のみでは登るにも苦労すると見えた。まさか疲弊を狙っているのではと、ユージオは猩々を睨んだ。


「この山を自力で登れというのも面白いが、万全でない汝をぶつけるなぞ、それがしが選定の戦士に殺されてしまうわ。これをくぐらせてやろう」


 言うが早いか、猩々の前に黒い空間が生まれた。なるほど、転移魔法かと、ユージオはくぐらんとし……軽い抵抗を受けた。


「ぬ」


 蹴破らんとしたユージオのかいなが、陽炎を帯びる。すると抵抗は緩み、すんなりと入ることができた。直後、背後に大賢者の気配。どうやら幾分たりとも緩めさせないつもりのようだ。


「そう殺気をくゆらせるでない」


 意外な声が、ユージオを打った。無論大賢者のものだ。だが殺意や闘争心が、全くと言っていいほど感じられなかった。

 振り返る。そこには、猩々から抜け出た大賢者がいた。初めて出会った時と変わらず、つるりとした頭を晒していた。いや、半透明か。向こうの空間がほのかに見える。


「案ずるな。今更それがしの手で汝を仕留めようなどとは思わんよ。霊に似たようなもんじゃから、物理的には手出しもできぬよ」

「そいつはいいことを聞いた。つまりキサマの介入はありえないということだな」

「ま、そういうことじゃな」


 大賢者が、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。しかしすぐに立ち直ると、いかなる術においてか、東方風の部屋と、いくつかの道具を空間に現出せしめた。


「これは」


 ユージオの顔がわずかに困惑を見せる。正座をした大賢者は、その姿に小さく笑った。一本取ったとでも、言いたげだった。


「東方でいう『茶の湯チャノユ』じゃわい。汝のその顔が見られただけでも、見知った甲斐があった。真似事じゃが、少しゆっくりとしていくがいい」


 大賢者が、禿げ上がった頭を撫でる。ユージオはほんの少し逡巡を見せた後、素直に大賢者の対面へとあぐらで座った。囲炉裏に茶釜、炭がパチパチと、音を立てる。


「真似事じゃから、礼節など要らん。飲めい」


 その筋の者からすれば恐らく激怒は免れぬ仕草で、大賢者が茶を椀に注いだ。茶器茶釜の良し悪しなど、知る由もなかった。ユージオもそれは同じ。茶を片手で受け取ると、そのまま一息に飲み干し、畳に置いた。


「……悪くねえ」

「味がかね?」


 いんや、とユージオは答えた。部屋を見回し、茶器と茶釜を見る。どういう風に揃えたかは知らぬが。


「全部だな。感服仕った」


 ユージオはあぐらのままに、最敬礼の角度で頭を下げた。これは、彼にとって珍しいことだった。蛮王竜を倒した後の褒章の儀でさえ、彼は不遜を貫き通し、一代騎士の叙勲さえ断っている。魔界大陸の戦で魔王に頭を下げたことはあったが、せいぜい礼節の範囲内だった。

 しかし今回だけは違った。ユージオは心から敬意を払い、頭を下げたのだ。つまり。


「クックク……それがしの勝利と受け取ってもいいのかの?」

「構わねえよ」


 いかに拳ではないとはいえ、地上最強の生物とも謳われる男が、敗北を容認したのである。しかしユージオは頭を上げ、言葉を続けた。


「で、本題はなんだ」

「ふむ。その心は」

「テメェが俺の鼻を明かすためだけに足止めするとは思えねえ」


 クハハハハ!


 今度は大賢者の笑い声が空間にこだました。一本取られたとでも言わんばかりに、禿げ上がった頭を叩いた。


「これは参った。さすがとでも言おうかの、若い人」

「褒め言葉は要らん。目的を言え」

「そうだのう」


 ここで大賢者は一拍の間を置いた。部屋を見渡し、一つ呼吸をして、それから、ユージオを直視した。


「話をしたかったのだろうの。汝と」


 子どものようにニイッと笑い、大賢者はユージオを見た。ユージオは心の底から、意外だという顔をした。


「いまさら話すことなどあるものか」

「あるぞい。他愛もない話ならな」


 ユージオの凶相が、これまでに見たことがないほどひん曲がった。常ではとても見られぬ顔だった。大賢者はニンマリと笑い続ける。「その顔が見たかった」とでも言いたげだ。


「なに。汝はこの後の戦に勝とうが負けようが、おそらくこの世界には真っ当に居られんくなる。ならば、その前にの?」

「そのための、転移魔法空間か……!」

「そうともいう。だが汝、すでに魔法にさえ拒絶されつつあるぞ。魔素の放出で、どうにかなったようじゃがの」


 む、とユージオの顔が翳りを帯びた。先刻の不可思議な抵抗は、そういうことか。


「そうやって徐々に、世界から排斥されるのだな、俺は」

「まあ、そうなるのう」


 大賢者が茶を啜った。思いの外熱かったようで、舌を出している。


「凍てつく大地の時と、態度が違うな」

「そう見えるのなら、そうなんじゃろうの」

「俺への棘がねえ。むしろ会話を楽しんでやがる」


 ククッ。


 大賢者の笑いが漏れた。ユージオは訝しんだ。大賢者の笑いは、一段大きくなった。


「余裕、なんじゃろうの。汝は負ければ死に。勝っても世界から拒絶される。行き先があるにしても、それは神のみぞ知る。つまり、汝は詰んでおる」

「だろうな」


 ユージオは自分で茶を汲み取り、一息で飲み干した。うまそうに喉が動き、一つ息を吐く。


「選択肢はあるぞ?」


 大賢者が告げる。


「……帰る、と言えばいいのだろうな」


 ユージオが答えた。彼にしては実にあっさりと、後ろ向きな言葉を述べた。そう。帰ってしまえば彼は死なない。誇りと二つ名はなげうっても、命は残る。誰も責めない。王国の苦境も晴れるやもしれぬ。


 しかし次の瞬間には、彼は動いていた。


「ふざけるな」


 唐竹割りの手刀を、茶釜に向けて振り下ろす。大賢者は防御を試み……自分が半霊体であることを思い出した。鉄器のはずの茶釜は真っ二つに割れ、こぼれた茶が、囲炉裏の火をかき消した。否。炭とは異なる火が燃えている。魔素の吸入と、空気との摩擦。二つの相乗効果で、手刀そのものが火を帯びていた。


「ふー……」


 ユージオは一つ呼吸をした。続いて、大賢者を見る。涼しい顔はしていないが、あからさまに動じた様子も見えなかった。


「俺を見くびるな」


 ユージオは大賢者をめつけた。大賢者も、まっすぐにユージオを見た。二つの視線がぶつかり、次の瞬間には切られた。


「『勇者よりも強い、地上最強の生き物』。俺はかつて、俺をそう決めた」


 遠い昔を思い出す。当時、吟遊詩人は狂気と泣いた。だが己には、その嘆きが理解できなかった。己ならば、成し遂げられると信じていた。狂気と定めた詩人のほうが、気狂いに見えた。


「俺は、俺より強いと豪語する輩に会いに行く。立ちはだかるなら押し通る。大賢者よ」


 ユージオは凶相を一層禍々しくして、大賢者に問うた。


「キサマはその俺に、ナメきった提案をした。そうだな?」

「ナメたとは心外な。それがしは汝を」

「チッ」


 ユージオは舌打ちをした。殺そうにも、相手は半分霊体である。恐らく、空振ることは予想がついた。


「相手は四人。汝が会ったことがあるのは、カバキ・オーカクとダウィントン・セガールの二名のみだ」

「セガール。たしかにそんな名前の餌がいたな」

「一度餌にしたからと甘く見るなかれ、じゃ」

「ハン」


 ユージオは息を吐いた。この問答の結論は見えている。相手もそれをわかっていたのか、空間のあれこれを消し、立ち上がった。生まれた出口は、一つ。


「これをくぐると、頂上に出る。そこには四人の戦士が待ち受け、もはや戻れぬ道となる。覚悟は」

「愚問」

「じゃろうな」


 ユージオは軽い抵抗を受けつつも、出口をくぐった。そこには広い大地に川、平原があった。わずかに向こうには、四人の戦士がおぼろげに見えた。


「征くか」


 ユージオは口の中でつぶやき、戦士の元へと歩き出した。

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