閑話③ 地上最強VS地上最強

 いかなる介入も、導きさえもなく『それ』が起こりうる確率は、幾千、幾百万の内の一つ、という言葉ですら生ぬるいほどでしかなかった。

 だというのにその夜、人々は最強とは並び立つ可能性をも内包することを知った。後にある種の人々にとって聖地の一つとなるその地にあったのは、小さな酒場。そこそこの看板娘と安酒、つまみは決して旨くはないが静かな空間が心地よくもある店だった。ただ一点難があるとすれば、悪い輩の地上げにさらされていたことか。


「特上のネエチャン呼んで来い!」

「特級の酒! 半刻以内な!」

「キャンサー喰いてえ!」


 その夜もその夜とて、地上げの集団は派手なナリの町奴に傍若無人な要求をさせ、暴れさせていた。

 町奴とは町衆の次男や三男坊で構成された、いわばチンピラ集団である。ただし家への反骨心や守るもののない無謀さで構成されているため、町の悩みに成り果てていた。悪い輩はそれを利用し、酒場への嫌がらせを続けていたのである。


 ひそひそ。

 がたがた。


 事実、店への影響はてきめんだった。わずかな常連客が声を潜め、中には目をつけられる前に退散を試みる者もいた。町奴も堂に入ったもので、出ていく者への嫌がらせはしない。当たり前だ。そうするだけで店の弱腰が評判となり、さらに悪影響をもたらすのだから。

 だが、その夜に限っては町奴は不幸の極みだった。いかなる運命の悪戯か、天の配剤どころではない確率の事象が、酒場に生起していたのである。『地上最強が二人、同じ場所にいた』。すなわち、「地上最強の生物」ユージオ・バールと、「職業ジョブ・地上最強生物」カバキ・オーカクが。


「騒々しいなぁ、ガヤガヤと」

「騒がしいなあ」


 酒場の真反対にいた二人の反応は、ほとんど同時かつ似たようなものだった。当然、町奴は聞き逃さない。一人ずつが因縁をつけにそちらへ向かい……


「ぎゃびえぇっ!」

「ゆ、指がぁ……!」


 一人は殴り飛ばされ、一人は肩をつかもうとして逆に指が折れた。


「……うるせえ」


 凶相。容貌魁偉。黒の総髪。軽装に外套。ユージオ・バールが立ち上がった。


「落ち着いて飲めないなあ」


 安穏とした空気に団子っ鼻。短髪に旅人然とした姿。カバキ・オーカクが町奴どもを見た。


 ***


 あえて言い表すならば、そこから先は言葉にすることすら憚られるような有様だった。町奴の尊厳を奪うような有様だった。さして時間はかからずに彼らは立ち去り、ボロキレのようになった幾人かは放置され、常連たちによってここぞとばかりに縛り上げられた。そして。


「くっくっくっく」

「アッハッハッハ!」


 カシィン!


 酒場のちょうど真ん中で、上半身裸の男二人が、木のコップを軽くぶつけ合った。中身は強い葡萄酒だが、二人は一息に平らげていく。そして同時に告げた。


「おかわり」

「おかわり、頼みます」


 常連たちは酒場の隅で息を呑んでいた。互いに競うように町奴を痛めつけ、少々荒れた店の真ん中で二人の目が合った瞬間。彼らは絶滅闘争を見ることになるかと覚悟した。それほどまでに、二人は誰から見ても超越的で、誰の目からも互角と見えた。

 しかし最悪の予想は破棄された。目を合わせた二人は、互いに口角を上げた。そして「酒をくれ」と同時に言ったのだ。


 常連の一人は、後にこう語っている。


 正直に言えば、あと一歩、どちらかが拳を振り上げた時点で俺はチビってただろうな。だからほんとに、酒で解決してくれて感謝してる。神にも感謝したさ。あんな連中があんな小さな酒場でやり合ったら、酒場がぶっ壊れて俺たちが安酒をあおれなくなる。そうしたら、俺たちは今日を生きる糧がなくなっちまうからな。ほんと、神様には感謝だぜ。さ、今日も教会だ。地上げも手を引いたし、神様にはたーっぷりお礼をしてやらァ。え、話の内容? 言えねえよ。言ったって、どうせ信じ難いしな。あと、俺たちもだいぶ心臓に悪い思いをした。思い出すのも怖いんだ。悪いな。


 閑話休題。

 木のコップ二杯を費やして一息ついた男二人は、ようやくおもむろに会話を始めた。非常に珍しいことだが、先に名乗ったのはなんとユージオだった。


「ユージオ・バールだ」

「カバキ・オーカク。噂は耳にしてた」


 人懐っこい団子っ鼻をさすって、カバキは名乗りを返した。内側では多くの声がうるさいが、努めて封殺していた。今は自分自身で、目の前に座る男と語らいたかった。だが。


「そうか、キサマが」


 ユージオの双眸は、そのわずかな防御さえも貫いた。なぜと問えば、さらに言葉が返って来た。


「直感。それと身体つき。俺を相手に真っ向を張る胆力。なにかしらなければ、戦で昂ぶった俺の、前に立とうなどとは思えんよ」

「そうですか」


 カバキは息を吐いた。さてどうするか。いつかは拳を交えるという直感に似た確信はあったが、それは今日ではないとも確信していた。たとえやるにしても、こんな場所ではもったいない。もっとのびのびと、両者が存分に力を振るえる方がいい。のんびりと、考えていた。


「職業・地上最強生物」


 ユージオはポツリと吐いた。半分は直感で、半分は勘だった。かつてゴルニーゼから聞かされた言葉を思い返す。『かつてからの地上最強、その集合体である可能性』。ありえないとは思いつつも、大賢者の言葉や、現れた古竜、職業ジョブは神の恩寵・加護であることなどを思い起こす。荒唐無稽だが、想像の範囲には置くことにした。


「そうだね。そうだよ」


 カバキは、のんびりと言葉を投げ返した。あまりにもあっさりとなされた肯定だった。あんまりの軽さに、ユージオですら顔を引きつらせている。


「なんだい。隠したって意味ないだろう? 俺は噂程度とはいえそちらを知っているのに、俺だけ全部隠すんじゃ公平もクソもないじゃないか」

「…………」


 ユージオは今こそ呆気にとられた。ある意味では、ほとんど初めての敗北だった。動揺を打ち消すべく、葡萄酒をあおる。強い酒精アルコールが、喉を突き抜けていった。ふう、と酒臭い息を吐くと、口の右端を吊り上げて、言った。


「キサマ」

「ん?」


 カバキの相槌が入る。くだけてはいたが、流した。そのまま続ける。


「相当に面白い性格のようだな」


 褒め言葉だった。言ってやらないと気がすまなかった。これほどまでの胆力と出会えたのは、初めてかもしれなかった。


「よく言われる」


 カバキは気にする風でもなく、酒をあおった。本当にそうだった。野心のない仕草を見せている時も言われたし、魂に住まう最強たちにも言われた。なんなら――


「最近だと、大賢者とか名乗った爺さんかな。身体はそのへんの犬を借りてたけど、『汝の使命はユージオ・バールを討つことだ』ってやたら喚いていたっけ」


 こんな人物に言われた。その程度の言葉だった。だが、前を直視して表情を変えた。ユージオの凶相が、怒りに歪んでいたからだ。黒の総髪が、にわかに逆立っていたからだ。常人が見たならば、たちまち失禁か気絶ものだろう。


「……そういうことか」


 ユージオの低い声が、カバキを打った。カバキを守るべく、彼に眠るいくつもの魂が蠢動を始めた。カバキは脂汗をかく。しかし抑え込んだ。ユージオが大賢者に会っているのならば、伝えなければならぬことがある。


「もう爺さんには会ったのかな?」

「会った。相変わらず憎たらしく、小賢しい男だった」

「なら、時は近いよ」


 カバキは、涼しげに言った。いや、あえてそうした。ユージオの怒りを受け流し、最強たちをなだめるために。


「一月か二月もすれば、多分爺さんがそちらへ迎えに来る。そうしたら、大戦おおいくさだ」

「場所は」

「人の知らない、『神々の大地』ってのがあるんだと」

「ふん」


 ユージオはコップをあおり、床に置いた。立ち上がれば、早くも陽炎じみた覇気が立ち上っていた。


「ここで喰らうのは物足りないと感じちゃいたが、どうやら俺の勘は冴えていたらしい」


 座ったままのカバキに目をやる。彼は涼しげな顔で葡萄酒を飲み干していた。一瞬だけ、視線が合う。そこに闘志があることを確認して、ユージオは外套をまとい、背を向けた。


「『神々の大地』とやらで、また会おうや」


 一言だけ残し、ユージオは酒場を去って行った。一人残されたカバキは、店主にもう一杯だけ葡萄酒を注文し、一気飲みで飲み干した。


「ぷはぁ。ああ、息が詰まった」


 そんなことないだろうに、と言いたげな周囲を視線で制して、カバキは立ち上がった。ユージオの飲み代まで律儀に出して、勘定を執り行う。最後に彼は、もう一言だけ言い残していった。


「あー。今夜のことはあまり大っぴらにしないでね。ま、誰も信じてくれないだろうけど、一応頼むよ」


 カバキの去った後には、それなりの金が残されていた。

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