過去語③ VS一閃

 その日、ユージオ・バールは奇妙な風体の男に出会った。薄汚れた、裾のひらひらしたキュロット状のズボンに、これまた薄汚れた、袖の広い上着を纏った男だった。頭は己に似た総髪で、無精髭が顔の下半分を覆っている。そして腰には、東方に多い、反りの入った刀を提げていた。


「ワタシ、一刀斎という者。東より来た」

「ットーサイ? ……何者だ」


 その男の用いる言葉は聞き慣れたものではなく、田舎訛りの強い王国語であった。東方語混じりの名乗りはユージオには聞き取り難く、口調も片言だった。身振り手振りを交えて明かされた「東より来た」という言葉に、真実味を抱くにはあまりにも十分だった。


「剣客。刀で生きる者」


 男――一刀斎――は腰に提げた刀をユージオに見せた。途端、ユージオの鼻が鳴る。彼の嗅覚が、一刀斎に同類項を見出していた。己の腕前、業前のみをたのみに生きる男。己より強き者を探し、日々を送る者。つまり、この「ットーサイ」なるけったいな名前の持ち主は。


「ゆうじお・ばある殿。雷の竜を倒したとされる者よ。一太刀。一時のみ。交えてくれぬか」

「一太刀でいいのか」

「構わぬ。当たれば生きる。外れれば死ぬ。ゆうじお殿に殺されるのであれば、本望だ」


 奇妙な要求はともかく、ユージオの歩んだ道を知っていた。ユージオとの戦を望んでいた。ユージオは凶相に思考のあとを滲ませた。大変に珍しいことだった。しかし直後には、すっかり打ち消した。手持ちの金貨を取り出し、机に置く。


「主」

「へ、へい」

「この宿で一番上等な酒を持ってこい。金はこの通りだ」

「へい!」


 二人がいたのは、王国の地方都市。飲み屋も兼ねた小さな宿である。ユージオはこの日、大将軍が用意していた高級宿を蹴っていた。ささいな気分の問題だったが、どうやらいい方向に向いたらしい。主人は程なくして、恐縮しながら現れた。


「お、お待たせしやした! 小せえ宿なもんで、この程度の葡萄酒しかご用意できませんが! も、もしご不満なら頂いたお金で……」

「なに、構わん」


 ユージオは素っ気ない作りの酒瓶と木のコップを手に取り、机に置いた。髭面の男を見据え、仕草も添えて告げる。


「酒はやれるか?」

「応」


 一刀斎のうなずきに、ユージオは笑みを浮かべた。常に浮かべる、『餌』の足掻きを見下すような嗤いではない。遠くより来た同朋を、温かく迎えるような笑みだった。


 ***


 へい。私はしがない宿の主でございます。あの夜は、まったく不思議な夜でした。どこからどう見ても小さな宿には似合わぬ男が二人、葡萄酒を夜半まで酌み交わしていたのでごぜえます。


 そりゃね。安宿なものですから、客なんてたかが知れてますよ。と、言いますか。荒くれ、腕っぷし、ゴロツキに賊の類が入り込んでることなんて日常の一つでさ。気をつけちゃいても、喧嘩沙汰には事欠かないんでね。


 でもあの夜。あの夜だけは静かでした。言葉もろくに通じないはずの男二人が、互いに一杯ずつあおり合っては、目で会話しておりました。覚えてますとも。後にも先にも、アレ以上の強い顔は見ていませんから。


 いや、強いってのは違うな……。ああ、クソッ。俺に学があれば、もうちょっといい表現ができるんですが。ともかく、アレだったんです。誰一人としてその空間に入れず、いつもは騒がしい連中も、氷結術式を食らったみてえに大人しかった。


 おっそろしい話ですよ。今だってほら、入り口で覗き込んでいる連中がいるでしょう? だいたいこうなんですよ。珍しい客が来ると、いつもこうだ。割り込んでこないだけ、まだマシですよ。旦那も、なかなかですね。


 ……ん? ああ、すいません。話がそれやした。そうだ。あの二人の空間に、誰も入れやしなかったところからでしたね。まあ、静かな空間でしたよ。一切言葉を交わしていないんですから。でもね。なんかね。そのくせに、話が通じてる気がしたんですよ。不思議でしたよ……。俺にはわかんない空間でしたね……。でも、多分。俺の心に、刻み込まれてるんでしょう。今でもこうして、思い出せるんですから。


 結局二人は、特になにかを約束したわけでもなく、別れました。髭面のほうが先に席を立ちまして、俺に筆談で問うたのです。『一番安い部屋はどこだ』と。ええ。ご希望どおりにしましたとも。断る理由もありませんでしたしね。


 で、案内が終わるころには、おっかない方の男も消えていました。残されていたのは空になった酒と、『王国大将軍・ベルンディー家』の紋が押された羊皮紙。それと一枚の金貨だけでした。


 で、羊皮紙には、『この者、我が客分なり。掛かる迷惑などなど、全て当方にて負う』と書かれておりました。掛かるものなんてなかったのに、置いて行かれてたんでさ。ええ。そもそも、金貨でも釣りが出るような酒だったんですよ。でもね。俺は受け取ったんです。


 なんでかって? 今ならなんとなく、言葉にできますね。察しが付いたんですね。『最上級のお礼』だって。いい男と出会えて、いい酒が飲める。そういう類の男にとっちゃ、夢のような時間じゃねえですか。だから、その全てに礼をした。みたいなね。


 ま、これはあくまで想像です。俺のようなちっぽけな人間には、英雄豪傑ってのはてんでわからねえ。だから、案外適当に払っただけかもしれません。でもね、夢は見ていたいじゃないですか。ですから、勝手にそう思ってます。


 ***


 翌朝。まだ薄暗い五刻過ぎ。ユージオの姿は街外れの平原にあった。ここで待てば、あの男は来る。不思議なことではあるが、ユージオは確信していた。

 果たして、予感は的中した。ほんのわずかな待ち時間で、望みの相手は来たった。己が歩んだものと同じ道を、確かな足取りでやって来たのだ。


「来たか」

「参りました」


 簡単な王国語で、言葉を交わす。ユージオは一刀斎を見、そして唸った。髪は一つに結ばれ、髭が剃り落とされていた。装いも、同じようで異なる。上下ともに白のそれとなり、汚れはおろか、シミひとつさえ見受けられなかった。


「死ぬるか」

「戦なれば」


 くくっ。ユージオは、口の中で小さく笑った。いっそ心地よいとさえ思った。東方の民は皆こうなのかとさえ、錯覚しそうであった。


「では」


 一刀斎の頭が下がる。ユージオは彼なりにその意味を知っていた。東方の礼法こそ修めていないものの、相手に合わせて頭を下げる程度の知識はあった。


「……いざ」


 一拍の間を経て互いの頭が上がり、一刀斎が刀を抜く。ユージオが足を肩幅に開き、自然体の構えを取る。間合いは二十歩。互いに踏み込まねば、拳も刃も届き得ぬ。そういう距離だ。


 呼吸音、衣擦きぬずれ。ささいな音までもが響きそうなほどの静けさが、互いの間に流れた。ユージオの備える覇気と、一刀斎の備える剣気が、ジリジリと幾重もの攻防を積み重ねていた。ロクに時も経たない内に、両者の額に汗が流れる。僅かな間隙かんげきさえも逃さぬ覚悟が、動きなくして両雄を消耗せしめているのだ。


「すう……」


 沈黙を破ったそれは、ほんのかすかな動きだった。ユージオが深い呼吸を行い、肩がぴくりと動いた。寸毫すんごう、刹那。そう言っても過言ではないほどの隙。だが一刀斎にとっては千載一遇の好機だった。


「チャルアアアッッッ!!!」


 咆哮。続いて閃光。すべては捉え難いほど一瞬で起こった。接近し、振り上げ、振り下ろす。たった三つの動きが瞬く間に起こり、そして――


「む……」


 空を切った。


「危なかった。ましらの如き叫びがなくば、俺は両断されていただろうよ」


 一刀斎から七歩ほど先の地で、ユージオは笑みを浮かべた。嘲りではなく、心からの称賛だった。一刀斎の斬撃は、それほどまでに疾く、鋭いものだった。ユージオは身体の動きのみで太刀筋を予測し、かわす他なかった。その証が七歩の距離。後方への跳躍でしか、かわせなかったのだ。


「……」


 一刀斎が刀を納めた。何かを喋ったようだったが、ユージオには意味を読み取れなかった。ユージオは口を歪めた。戦に立つ者が、戦意を失う理由はない。


「抜くがいい」


 ユージオの言葉にしかし、一刀斎は首を振った。どこか諦めたような、そんなさっぱりとした顔をしていた。ユージオはいよいよ、口を歪めた。敵手ばかりが満足する戦など、意味がない。もう一度、激情を抑えて声をかける。


「抜くのだ」


 返ってきたのは再びの拒絶だった。ユージオはいよいよ目を吊り上げた。凶相に激情が滲み、声も荒くなる。


「抜けい、ットーサイ!」

「一太刀。外さば死ぬるのみ!」


 激昂には、激昂が返された。気づけば白装束の男は座していた。ユージオは構えを解かずに、じり、と間合いを詰めていった。


「……少なくともワタシ、その信条で来た」


 片言の王国語が耳をついた。だがユージオは首を振った。彼の死に逃げを、許すつもりはなかった。


「一太刀と言ったな」

「ええ」


 ユージオは外套と上着を脱ぐと、筋肉にくに力をみなぎらせた。背を向ける。たちまち傷跡が連なり、奇っ怪な絵が生み出された。常人であれば、見た瞬間に股間を濡らす代物だ。これから先も、傷を負う度に様相を濃くするのだろう。


「善い絵ですな」


 一刀斎は動じなかった。ユージオは口を開いた。


「そちらの一太刀を、俺はかわした。次はこちらの一太刀――一殴りを、受けてくれんか」


 果たして、無言が生まれた。だがユージオには、奇妙な確信があった。一刀斎が応じるという、確信があった。


「……ふむ。死に逃げするのも、卑怯ですな」


 草の擦れる音。ユージオにはわかる。一刀斎が、立ち上がった。しゃりんと、刀の抜かれる音がした。同時に、明白な気迫が己を叩いてきた。殴りが甘いものであらば、斬る。言葉なき言葉を、ユージオは感じ取った。


「斬る気になったか」

「ゆうじお殿とて、私が弱ければそうしたでしょう」

「まったくだ」


 ユージオは、筋肉の漲りでそれに応じた。二人の間にある空気が急速に煮詰まり、何もかもが二人を中心に動く、そんな錯覚さえ抱かせた。


 ビリッ。


 ユージオの中で、電流が走った。先刻の斬撃を思い出し、それよりも疾くと脳裏で思考を繰り返していたさなかであった。同時に、不随意の運動が起きた。些細な運動だ。だがユージオの思考は、一つの取り組みを思い出させた。

 雷雲竜から見取りした瞬間高速機動アクセラレーションを、より随意的、能動的に行うため、いくつかの戦に取り組んだ、しかし現在のほうが、それらよりも遥かにてきめんの効果を発していた。

 やはり、生死の狭間の戦か。ユージオは口の端を吊り上げた。今やユージオは手首足首に稲妻を帯びていた。不随意の運動を、ここで己のものにする。覚悟を決めていた。


 ドンッ!


 先に動いたのは、どちらだったのか。両者ともに、声なく動いた。ほんの一瞬、両者が行き交うのだけが見えた。わずかの後には、両者が入れ違いに立っていた。膝を地に付けたのは、一刀斎だった。ではユージオは? 左の肩に、そこそこ深い傷跡を残していた。


「ゲホッ! ガホッ!」


 一刀斎が、地面に向かって咳き込み、血を吐いた。ユージオは、その姿を見るわけでもなく言った。


「一つ学んだ。礼じゃねえが、その生命は引き取ってやらん。あとはテメェで決めやがれ」

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