閑話② 連合帝国VS大賢者
王国の王都が、王城を中心とした美麗さを誇るとすれば。連合帝国の首府たる帝都は、その難攻不落ぶりを誇るだろう。都市そのものを堀で囲み、城壁を連ねて層を積み上げ、街を作る。五層からなる帝都市街、その頂上こそが、『王国の画一的支配に反対する諸民族の連合帝国』の中枢、質実剛健にして豪壮なる、帝国大宮殿だった。
その大宮殿の一室に、帝国の政治的中枢を担う宰相、軍事的中枢を担う六将、そして連合帝国皇帝その人。計八名が席を並べていた。皇帝以外の七人は円卓に座して全員対等。皇帝は御簾の奥に身を潜め、滅多なことでは口を出さない。そういう決まりとなっていた。
ただし従来と異なるのは、八人の他には従者もなく、書記官すらもいないことだ。今回に関しては衛兵も、あらゆる手段で固く口止めされている。そういう類の会談、いわば秘密会議であった。事実この場には、円卓と御簾以外の物はない。筆記具の持ち込みさえもが、抑止された。それほどの秘匿性が、この会議には求められていた。
「六将全員が揃い、祝着至極」
「世辞は結構」
形通りに会議を始めようとした宰相を、甲冑を纏う壮年の男が咎めた。西方軍団を束ねる将、ウェストラル侯爵だ。今回の会談、実はこの男が発端となっている。
「我が女婿となるはずだった一代騎士、ダウィントン・セガールをただの腑抜けにした男が判明したと聞き、本日は参内したのだ。実のない話をするならば、西方へ戻らせてもらうぞ」
宮城であろうと身につける鎧は、軍団のモットーである『常在戦場』の志そのものだ。故に彼は、いつでも退出する気概に満ちていた。
「侯爵、落ち着かれよ。物事には順序というものがある。そもそも我々中央軍は貴殿らの画策した浸透工作、すなわち騎馬民族領域からの王国介入すら承認していないのだが」
「なんだと!? 公爵、貴方も過日の会議で首を縦に……」
「やめぬか!」
醜い言い争いが始まりかけて、今度は宰相が制止に回る。残りの将軍は押し黙ったまま、正式な開始を待つ。ある意味異様な光景だった。
「西方軍団の勇戦、北方騎馬民族領域からの人馬族を用いた浸透、王国大公家への工作による内情の分断。三つの牙を用いて、王国を追い込んでいく。これが我が国の作戦。すべてが、我々による会議を通して決定したことだ」
「しかし、問題が浮上しました」
割って入ったのは
「北方からの浸透が頓挫し、大公家への工作も芳しくない。その原因のすべてが、一人の男へと集約されます。ユージオ・バールという根無し草、冒険者でも騎士でも軍属でもない、ただ一人の男なのです」
「なっ!?」
場の全員が声を揃え、驚愕した。偉大なる連合帝国が繰り出す策が、たった一人の男によって骨抜きにされている。あまりにも信じ難いことだった。なし崩し的に儀礼が廃され、会議が始まっていることにも、誰一人として気づいていない。
「この場に居並ぶ賢明なる諸兄及び、偉大なる皇帝陛下は驚愕するでしょう。ですが、我々諜報部が事実のみを突き合わせた結果です」
ここでハーフリングは、七枚の紙をばらまいた。いかなる術法によりてか、紙は散乱するでもなく諸将らの手元へと収まっていく。宰相のもとには二枚。御簾を越える無礼を避けたと判断した宰相は、最小限の動きで皇帝へとそれを手渡しした。
全員のもとに紙が行き渡るのを見届けたハーフリングは、演台近くに置かれていた水で、唇を湿らせた。彼にとっては、ここからが本番だった。
「極めて信じがたきことゆえ、先んじて報告書をお配りいたしました。無礼の誹りは」
「謝罪は構わん。早く述べろ」
「これは失礼」
儀礼に則った謝罪を、侯爵が押し留めた。ハーフリングにとっては、これも計算の内だった。身体も知恵もよく回る、と揶揄されるのが彼らの種族だが、こと諜報においてはこの狡猾さが第一であった。
「では失礼ながら、本題に移らせていただきましょう。まず連合帝国最強の二つ名を有した一代騎士・ダウィントン・セガールは、人馬族領域にてユージオ・バールと接触、闘争の末に敗北し、心を折られ申した」
むう、と侯爵が口を尖らせた。まさか己が見込んだ男が、一対一の決戦で打ち負けるなど。まさに衝撃であった。
「またこの結果、人馬族はユージオ・バール個人に対する服従を表明。結果的に、北方からの浸透計画は破綻せしめられました」
ぬう、という唸り声が、複数から上がった。数多の術式を修め、独自の戦闘術を確立した男が敗北する。事実相応の衝撃を、ハーフリングは鋭敏に感じ取っていた。しかし彼は言葉を連ねる。まだだ。この程度で、情報部の有益性は証明できぬ。
「陛下の御前ながら、さらに度し難き事実を述べることをお許しください。かの王国の大将軍ゴルニーゼ・ベルンディーは、ユージオ・バールと友人相当の個人的関係を築いております。これは長年の積み上げによるものであり、我々の浸透ごときではどうにもならぬ、いわば『勇者の結束』に近しいと言えるものにてございます」
「なっ――」
今度は、ハッキリと声が上がった。『勇者の結束』とは古の言葉であり、勇者パーティーが交わす永遠の団結を指す。いかなる交わりであろうが、この言葉相応ならば。
「つまり、王国内部の浸透工作は――」
「不都合を承知で申し上げれば、ほとんど効果を上げておりません。奴に首輪をつけたかと思えば、無意味な暗殺計画を企て失敗する。その上、七竜事案によって王国内に楔を打たれる始末。損切りを考慮する段階ですな」
傲岸不遜にも近い言い草で、ハーフリングは言ってのけた。己にとって不都合な案件である。案件ではあるが、諜報部としても効果の上がらぬ工作は切り捨てたい。ならば、恥を忍んで詳らかにするほうが遥かに有益だった。
「……趣味人の描く、詩文のような男であるな。はたまた吟遊の奏でる騎士譚か」
ポツリと、誰かが言った。それは、ハーフリングの代弁でもあった。しかし彼はうなずきもせず、首を振ることもなかった。部下が潜入し、命を賭して持ち帰って来た情報である。そのように切り捨てるのは、部下を蔑ろにする行為であった。
空間が、無言で固定された。凍結魔法が掛かったように、誰一人として動かない。衝撃の重さを示す様相に、ハーフリングは続けて述べようとした言葉を切り捨てる。雷雲竜、白銀竜、そして蛮王竜を倒したことなど告げてしまえば、連合帝国の中枢が崩壊してしまう。そう読み取ったのだ。
ハーフリングが言葉を切り捨てた、まさにその時だった。空間に、突如として歪みが生じた。円卓の中央、その真上の空間がねじれ、割れ目が生まれたのだ。
「なんだ!?」
誰かが叫び、全員が皇帝を護るように動いた。武官は剣を抜き、宰相は杖を構えた。ハーフリングもまた、最前線に立つ。交渉役として、無益な戦を防ぐためだ。しかし割れ目は割れ目のまま、その向こうより声が響いた。
『連合帝国の方々よ、そう身構えないでいただきたい。当方に敵意はなく、ただただ神の意志、世界の意志をお伝えしに参ったに過ぎないのだ』
極めて神妙な声であった。相当な高齢ではあるが、狂気に至ったようなものでもなかった。代表し、宰相が
「貴殿は何者ぞ。世界の意志を伝えると言うからには、相応の者でござろう。名乗られよ」
『おお、これは失礼。それがしはかつて魔王の素っ首を寒からしめた一団の端くれ。人の世においては大賢者と呼ばれし者にてございます』
おおっ、と幾人かから声が漏れた。神の代理を称するもさもありなん、という声だった。しかし宰相は杖を手に、さらなる問いを発した。
「偉大なる大賢者殿が、シャーマンの真似事をなさるとは、いかなる仕儀か。術式と魔法を修めたる者が、神に傅くとはこれ如何に!」
六将が宰相を見る。確かに連合帝国は、聖教を国教とはしていない。これは聖教を奉じている王国との関係によるものだ。しかし、今一つの理由がある。初代皇帝が残したとされる国是の一つに、以下の言葉がある。
【民は神や王によって生かされるにあらず。民一人一人が立ちてこそ、王はある。一人一人の民が連なり立ちて、我が帝国は実存する】
つまるところ、連合帝国は神ではなく、民を尊んでいる。故に、人の中でも上位者たる大賢者が、神に傅くことへの意味が問われたのだ。
『ふむ』
問われた割れ目は、そこで一拍の間を置いた。連合帝国の者にはその意図が読み取れず、大賢者の言葉が続けられた。
『シャーマンとは、また的確なお言葉。大賢者といえども、脱帽にてございます。なれば、我が神が世界の意志たるに相応しいということを証明せねばなりますまい』
割れ目から放たれる不遜な言葉の羅列に、面々は顔をひそめた。なにをもって証明するのかと、訝しんでさえもいた。だが不信感の連鎖に、一石を投ずる者がいた。
「待たれよ」
それは、御簾の彼方より放たれた。低く太い、厳かな声。
「宰相、御簾を上げい」
「陛下、されど」
「構わぬ」
宰相を呼び戻し、御簾を上げさせる。果たしてそこには、玉座と一人の男がいた。初代皇帝とうり二つとされる姿は、存在そのものから輝いているとさえ感じられる。それほどの気風だった。
「大賢者殿、お初にお目にかかる。余は『王国の画一的支配に反対する諸民族の連合帝国』六代皇帝、サナタルガス六世だ」
玉座に座し、割れ目を見据える壮年の男。大賢者を大賢者と認めてなお、へりくだりはせず、正面より応対していた。
『皇帝陛下より丁重な挨拶を賜り、恐悦至極に存じます。当方としては、神の御意志のみ、ここに置かせていただければ幸いでございますが』
「余の重臣どもは、余を護らんとしたのみ。大賢者殿に問答せしことも、我が国の国是に則り、確たる証拠をもって事物を認めんとしたのみ。されど大賢者殿、ひいては神――世界の意志を証拠をもって示すというのは」
『陛下はご聡明のようであらせられる。神とは万物に意思を伝えられます故に、今ここで大宮殿を粉砕することも可能』
またしても不遜。議場の参列者たちは大賢者の一言一言のたびに顔を白黒させている。大賢者は無視しているが、議場はもはや沸騰寸前であった。
「やはり、か」
『されどご安心召されよ。我が伝えるべき世界の御意志は、【ユージオ・バールは神に挑みかねぬ。故に、討て】というただ一つ。それ故、神の意志に沿う証を、我は出し申す。否。すでに出しており申す』
な、と息を呑む宰相以下の者。しかし皇帝の表情に動きはない。大賢者の発する言葉の意味を、見切っていたかのように。
「ウェストラル侯爵。貴殿には近日、良き知らせが届くやもしれぬ。大賢者殿。誠にかたじけない」
『目的に沿った者が、そこにいただけにございます。陛下は、神の御意志に沿われますかな?』
大賢者の問が、議場に響く。場の総勢が静まり、君主を見つめた。サナタルガス六世はおもむろに立ち上がると、割れ目の前に立ち、告げた。
「神の意志はともかく、だ。かの者は我が帝国の覇道における、最大の障害である。我が国とそちらには利害の一致がある」
『と、いうことは』
「良かろう。乗ってくれるわ。神に従うのではなく、一人一人の民が連なりて立つ、連合帝国の意志においてな」
『……良しとしよう。先に申した通り、すでに証は出した。あとは時を待て。然るべき時が来たりし時、我が正しき地へと導こう』
割れ目は来たりし時と同じく、唐突に去った。すべての臣下が皇帝に向けて頭を垂れ、会議は後日改めてということになった。
翌日。ウェストラル侯爵は女婿が立ち直り、新たなる戦闘法に至りつつあるという吉報を得た。
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