第16話 VS魔導甲冑女騎士

 女――子爵令嬢にして騎士訓練を受けた、純然たる王国技術部所属の騎士――は、なにが起きたかを理解できなかった。甲冑越しに、今回の敵手と部署長がなにかを言い合っていたのは見えた。知っていた。だが直後、長と慕っていた上司は膝を付き、水音がかすかに彼女の耳にも入った。

 その時、彼女の脳内会議は一瞬で裁決を下した。目の前に立つ男は、試験駆動の相手役ではない。ただの敵、倒すべき敵、不倶戴天の敵である。手に持つ剣――一族伝来のものではなく、魔力に感応しやすいものだ――に魔力を込め、加速術式を多重操作。そのまま一気に、襲いかかる。


「長になにをしたッッッ!」


 氷上を滑走するような滑らかな動きで、彼女はユージオの死角を狙う。己に向き直る反対の側から、彼女はユージオへと迫った。


「あああああああ!」


 絶叫とともに、半狂乱じみた大振りの切り上げ。だが敵は飛び退き、間合いを取った。ならば今度はと、右手一本での水平斬り。しかし今度は上に跳ばれ……


「邪ッッッ!」


 身体が金属に当たる鈍い音と、鋭い爆発音が同時に耳を叩いた。跳躍からの、前宙踵落とし。女は思わずたたらを踏み、口の端を噛んだ。恐怖心を押し殺し、敵の動きを窺った。


「どぉら!」


 もはや敵手も猛獣だった。反応爆発で手足にそれなりの傷を負っているはずなのに、まだまだ意気軒昂だった。筋肉にくを張り詰めた、大振りの右。装甲で受けて切り込むか、一瞬考えて首を振る。爆発ごと撃ち抜かれる未来が、ほんの少しだけ見えてしまった。ならば。


「せぇい!」


 踏み込む。前に出る。懐へ飛び込む体当たり。鈍い音に爆発。術式の多重作動で吹き飛ばされ、後転しながら立ち上がる。そこで女は、息を呑んだ。


「なんなの、あれ」


 呟けた言葉は、一つだけ。敵手の背中に描かれていたのは、奇っ怪な絵。筋肉が盛り上がり、ユージオ・バールの受けてきた傷をつなぎ、一つの絵を形作っていた。見ただけで、恐怖心が沸き起こるような奇怪な絵を。


「あ、あ……」


 本能が、身をひるませた。一歩、二歩。理性を無視して身体が下がる。下がってしまう。壁に当たるのを待つまでもなく、猛獣と化した敵が三歩で間合いを詰め――


「――――ッッッ!」

「~~~~~っ!」


 咆哮、殴打。回避。もはや装甲など救いにならない。ヘルムの中で、女は泣きそうになる自分を必死に押さえつけていた。泣いたところで、この地上最強の生物からは逃れようもない。むしろ加虐欲を煽り、殺される運命さえも見える。ならば!


「ああああああああああ!」


 咆哮、大振りの袈裟斬り。回避。ならばと横薙ぎ。これは跳ばれる。そこからの前蹴り。下がる。かすって小爆発。乗じて間合いを取る……と見せかけて速攻で突き。腕でそらされて懐に。再度の体当たりを視野に入れたところで、敵手の、地上最強生物の目が光っていることに気がついた。


「本来なら鎧を粉砕し、顔の防御を引っ剥がして拝んでやるところだ。だが大将軍に免じて許してやる」


 あまりにも傲慢な言い分は、自身に最強たる気概があるからだ。そうでなければ、彼のような異端はとうに死んでいる。つまり……。


 考えが深淵に入りかけて、女騎士は首を振った。今やるべきことはただ一つ。剣を捨て、攻撃心を捨て。手と足と甲冑、全てを用いて、次の一撃を防御することだ。低く屈み、両腕を顔に寄せ、肘を膝に寄せる。耐えたところで勝ち目はない。だが、それでも。


「安心しろ。俺にとっては不本意極まりないが、この一撃は鎧を壊さずにキサマを撃ち抜く」


 無慈悲な裁決、深い呼吸。直後、唸るような剛拳が彼女を襲った。


「鎧通し。技を使うのは癪だが、キサマのような重装備の『餌』には、コイツがふさわしい」


 爆発もなく、音もなく。彼女は脳を揺らされ、打ち震え、反響する衝撃に崩折れた。前のめりに倒れれば、もはや起きることはかなわず。すべてを悟った技術部の職員たちが、救出作業へと飛び出した。


「殺しちゃいねえから安心しろ。その先は知らんがな」


 意識が遠のく寸前、その声だけが彼女に残った。


 ***


 ゴルニーゼ・ベルンディーは、己の企みが無に帰したことを悟っていた。執務室に響く美しい声が、詳らかに敗北までの流れを語り続けていた。


「以上がユージオ・バールと、魔導甲冑試作六号の戦の顛末でございます。……大将軍?」

「む……ああ、いや。構わぬ、続けてくれ」

「いえ叔父上、語るべきことはすでに」

「そうか……」


 少々呆けていたかと、ゴルニーゼは己を恥じた。しかし、呼び方が変わったことからしても事実だろう。ゴルニーゼは、美しい姪――ニエラ・ベルンディー――を椅子に座らせると、普段は決して見せない、疲れ切った顔を彼女に晒した。


「……ただの人間の力をいくらかさ増ししようと、あの男には敵わぬのかもな」


 姪にしか吐き出せない弱音が、真っ先に口をついて出た。ゴルニーゼにはわかってしまう。己も、此度戦った令嬢も。決してユージオの本気を引き出せたわけではないと。あの『連合帝国最強の男』との一戦以上の、『地上最強の男』の本気。それを引き出せるのは、いまだ人外ばかりなのだと。


「お言葉ですが叔父上。ユージオ様が一応とはいえ叔父上と縁を結び、我が王国に足場を築き、ドラゴンスレイヤーとしての報奨を受け取ったのは事実であります。爵位はおろか、一代騎士の受勲すら断られたのもまた事実ですが」

「うむ……」


 ニエラの励ましにも、ゴルニーゼの反応は鈍い。ニエラは叔父の目を見る。わずかにそらされる。半ば確信しつつ、一気に切り込んだ。


「叔父上、なにか気がかりがあるのでは?」

「ない」


 しかし叔父もさるものである。権謀術数うごめく宮廷で、大公家に目をつけられて。それでも今なお公爵大将軍の地位を維持するだけはあった。すっとぼけるでもなく、ただ断言した。

 これではニエラも、おいそれとは踏み込めない。ここまでだと、軽く息を吐いた。下手に追い詰めすぎると、怒りを買いかねない。


「……では大将軍、失礼します」


 ニエラは軍属としての礼をしてその場を立ち去る。静かにドアが閉められたのを確認してから、ゴルニーゼはことさらに大きなため息を吐き出した。


「流石に語れぬよ……。『ユージオ・バールが世界から排除されるべき人物である可能性がある』などと……。言えるわけがない」


 ゴルニーゼは天井を仰いだ。あの姪は、ユージオを敬愛している。業務内ではほぼ完璧に抑え込んでいるが、叔父である彼にはよくわかった。彼もまた、同類だからだ。


「何者にも、何事にも縛られず、ただ志す道を行く……俺もその精神でここまで上り詰めたが、あの男はさらに上を行く」


 出会いの記憶を振り返る。とある紛争。その一端の村。戦場の狂気。熱狂のまま、虐殺が始まろうとした時。立ちはだかったのがあの男だった。己の前で武器を振りかざした。そんな単純な理由であの男は牙を剥き、全てを薙ぎ払った。


「以来幾度か対峙し、時には助けられた。友誼にも似た何かは結べたが、それも向こう次第だ」


 通信術式を発動し、従者に茶を持ってくるよう言いつける。椅子に深く腰掛け、背もたれに身を預け、もう一度天井を仰ぎ見る。聖教の総司祭に会見した際の言葉が、脳裏に蘇った。


「大神官長からの布告は未だありませんが、我々司祭会合は神学者会合と協議し、かの異端に対して一つの結論を見出しております。かの者と戦いうる『レアジョブ』の出現。王都への蛮王竜侵攻。雷雲竜や白銀竜の『発見』。これら複数の事象から、ユージオ・バールは」

「みなまで言うな。聖教としては、今にでも討伐したいのだろう?」


 外見豪壮なれども、実用性を重んじた構造をしている、聖教の王都教会。その一室で、ゴルニーゼは密やかに怒りを噴き上げた。すでに決まっているものを遠回しに告げられることほど、軍人が嫌うものはない。肘掛けを握る手に、力がこもった。

 総司祭はそんな姿を一瞥すると、言葉の用法を切り替えることにした。彼とて無為に死にたくはないし、王国と無駄に争う予定もない。むしろここで事を構えても己の首が飛ぶだけだった。


「大将軍閣下はそれを避けるためにユージオ・バールに蛮王竜を討ち取らせたのでしょう? 聖教と王国が事を構えれば、連合帝国を利するのみ。人界同盟はいよいよ形ばかりとなり、双方共倒れの公算が高い」

「わかっておれば良い」


 総司祭とゴルニーゼは、互いにうなずいた。根本的に意見の食い違う両者が、唯一妥協できるポイントだった。ゴルニーゼは脳裏に大公を浮かべる。もしも彼が王国の実権を握ってしまえば、ユージオは後ろ盾を失ってしまう。そんなものがなくとも揺るがないのがあの男だが、状況が悪化の一途をたどってしまえば。


「我々としても、ユージオ・バールが魔界のともがらになってしまうのは避けたいですから。神の意志は未だ示されておりません。我々がかの者をいかに思っていようが、かの者は聖教の敵にあらず。です」


 あまりの言い草に、ゴルニーゼはかえって笑みを浮かべてしまった。これならばわかりやすい。あえて遠回しに踏み込むこととした。


「ならば現況を維持することは」

「それは話が別ですな」

「なるほど。聖教は『人界同盟のいずれの国にもくみせぬ独立組織』でしたな。忘れてくだされ」

「建前の破綻も、また同盟を割る所業ゆえ」


 ですな、とゴルニーゼは表情を固くした。ともあれ、神学者と司祭会合の腹は読めた。読めたが、かなり厳しい。神と繋がる能力を持つ大神官長の布告一つで、ユージオは神の敵、世界の敵と認定される。そうなれば、王国に可能なのは。


「ゴルニーゼ殿。なにとぞ、同盟の維持に賢明であられますよう」


 総司祭が、深々と頭を下げる。ゴルニーゼには、その意図があからさまだった。「完全協力。もしくは好意的な中立を維持するように」要求されているのだ。

 王国内の政治面で、積極的に動ける立場の者は三人に限られている。己。政敵の大公。そして国王。決定権を持つのは国王のみだが、己と大公はそこに働きかけられる。さりとて政敵と歩調を合わせるのは自殺行為。ここで確約してしまうのも自殺行為。ならば。


「世にとって良きこととなるよう、善処する腹積もりだ」


 言質を取られぬよう、信仰心も含めつつ精一杯にぼかした言葉を思い出した時、ノックの音に思考は打ち切られた。考え込んでいたことを気取らぬよう、腹からの呼吸を繰り返した後。


「入りたまえ」


 ゴルニーゼは努めて、厳かに言った。

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