第14話 VS古竜の意地

 墜ちる。否、墜ちた。衝動のさなか、雷に打たれたかの如く、冷静が帰って来た。自身の墜ちてゆく身体を、どこか違う場所から眺めている感覚。己は撃ち落とされた。撃ち落とした男は間合いを取り、残心している。

 まずは把握。打ち破られたのは翼の一角。飛び回るにはやや苦しい。竜の飛行とは、繊細な揚力で成り立っているもの。「最も竜らしい竜」である己は、その体躯も大きく、重い。


「なるほどな」


 口から聞こえるのは、「竜のことば」。敵手を取るに足らぬと見切った己に、落ち度があった。しかしまだ敗れたわけではない。


「我は古竜。六つの輩と神世に立てし、最強の生物なり」


 己を奮い立たせる言葉を放つ。幸いにして、目は萎びた平原を見ていた。天を仰いでいたならば、起き上がる前に叩き伏せられていたかもしれない。四つの足を踏ん張り、鉤爪をもって大地を蹴った。


 ***


 襲いかかる竜の巨体を前に、ユージオは冷静と高揚を同時に抱えていた。竜との真っ向勝負に血は滾る。さりとて手足の一つでもマトモに喰らえば己は死ぬ。ならばどうするか。


「向かうしかねえよなあ!」


 ユージオも駆けた。張り詰めた脚の筋肉を解き放ち、ドラゴンよりも早く大地を走る。その目的は。


「ぬんっ!」


 唸る首を、身を屈めてかわす。左右の動きでは追いかけられる。故に、前か後ろへ行くしかない。当然、ユージオは前進した。だが竜は二足立ちに切り替わる。ちょうど人間が仰け反るように、頭部が高みへと上っていく。


「チッ!」


 同じ手は通用しないかとユージオは毒づく。行きがけの駄賃に肘を叩き込むが、分厚い皮膚にはたいして効き目がない。一撃離脱で飛び退く他なかった。ここでも真っ直ぐに下がるのは危険なので、必然として斜め左に……否、首が伸びる。追ってくる。


『猛き者よ。お主にはこのくらいやらねばなるまい』


 口が開いたかと思えば、即座にブレス。ユージオは転がってかわす。立ち止まらず、地面を蹴って直進からの九十度ターンで腹部を狙う。しかし視界から竜の胴体が消えた。


「ッッッ!」


 察して、ユージオは真上に跳ねる。竜の振るう、最も危険な一撃。それは遠心力のついた尻尾による一撃だ。事実彼の下を、凄まじい速度の尾が振り抜かれていった。


「ぬうううっ!」


 やられ放題の男は、重力を輩に竜の背を狙わんとした。しかしここでも竜の長首が唸る。胴体を守るように伸ばされた頭部が、鋭い歯を覗かせた。このままでは喰われる。ユージオは直感した。打つ手を探るが、時間が足りない。ならばいっそ。


「喰らわば喰らえ!」


 ユージオは右足を伸ばした。闘気と空気の摩擦が炎を生み、体内電気が稲光を発し、速さを生み出す。千切られるが先か、蹴破るが先か! 敗ければ終わりの一本勝負!


「ちぇりゃあああああ!」

『んむうううううう!』


 竜のあぎとが、ユージオの右足に食い込む。しかしユージオは口の中で舌に触れた。炎と稲光が、口内を痛めつける。反射で竜の口が開く。同時にユージオは右と左の足を入れ替え、鼻先を蹴り飛ばした。動きが固まっているうちに飛び退き、態勢を整える。見る限りでは、足を断つようなことにはならないはずだ。とはいえ、放置すれば酷くなるのは必至だった。


『おのれぇ……!』


 怒りの思念が脳に刺さる。どうやらかなり効いたらしい。ユージオは両手を広げ、腰を落とす。挑発じみた構え。いや、事実挑発していた。


『オノレエエエエ!!!』


 十歩の間合いを詰めるには、あまりにも速過ぎる突進。まともに受ければ大型獣でも吹き飛びそうな突撃が、ユージオめがけて襲い来る。目をそらせば最後。見失って殺される。そういう攻撃だった。しかしユージオはさばく。さばく。さばく。さばく。常人離れした回避術が、蛮王竜からスタミナを奪う。


『なぜだ! なぜ当たらん!?』

「雷雲竜の時と同じだ。『臭い』でわかる」


 ユージオを守るのは呼吸の統制による冷徹さと、嗅覚だった。かつての戦でもユージオは、雷雲竜の文字通り電撃的な移動能力に苦心した。それに比べれば、いくばくかマシであった。確かに速い。速いが、それだけだった!


「邪ッッッ!」


 回避に徹するユージオの体躯が、手足が。蛮王竜の皮膚を薙ぎ始める。手刀、足刀の要領だ。細かい傷から徐々に血が漏れ、疲れも相まって体力が落ちる。そして二人の戦闘の地は。


『ぬ、ぬぐうーっ!?』


 幾重もの攻防の果て、遂に蛮王竜が膝を落とした。『萎びゆく枯れ草の平原』。常人ならば一刻も立てば衰弱死するその特性は、ユージオにも蛮王竜にも等しく襲い掛かる。

 常ならば天を貫かんばかりの気勢が、その収奪を阻んだであろう。だが、二人の戦闘はすでに二刻に差し掛かろうとしていた。一見無事に見えるユージオも、実のところ顔は汗にまみれ、身体は震えている。今は戦闘による集中力が勝っているが、気を抜けば倒れる確信があった。


「俺の勝ちだな」


 口の端を吊り上げ、ユージオは蛮王竜を威嚇した。はっきり言えば、ハッタリに近い行為だ。これ以上攻めさせないために、心を折りに行ったのだ。


『ぬか、せ……!』


 だが竜は立とうとしていた。小刻みに震える体躯を奮い立たせ、本来の姿を取り戻そうとしていた。当然、ユージオは動く。足を蹴りに行く。竜が立つ前に、終わらせたかった。


「ぬんっ!」

『ふぬぁっ!』


 しかし蛮王竜もさるものだった。矜持プライドを捨て、強引な側転。テコの原理に基づき、竜の体は立ち上がる。


『ハハ……。まだ認められぬわ』

「抜かしおる」

『人が竜に打ち勝つというのは、本来そういうものよ。お主はまだ、我を黙らせておらん』


 双方が意地を張り、にらみ合う。もはや互いに思惑はなかった。ユージオが真正面から突っかかる。竜は首を振るい、薙ぎ払わんとする。ほんの一瞬の交錯を起点に、ユージオがさらに跳ねる。背を穿たんとした蹴りはかわされ、ユージオは突き刺さる前につんのめって前転する。その起き上がりを竜の尾が襲う。跳ねてかわすがそこへあぎと。鼻先狙いの蹴り。鈍い音。宙返りめいた立ち上がりからの顎下狙い。首をうねらせ、振り回す一撃。潔く後ろ飛び。再攻勢。

 竜は短い手足が仇となり、頭と尾にしか攻撃手段がない。故にまたしても首をかいくぐり、胴体を狙う。手刀。肌を斬る。指先が赤く染まる。身体に影がよぎる。まさかの横倒し攻撃か。慌てて跳ぶ。重い音が響いて、竜が転げた。着地点で膝を付き、見据える。起き上がる気配がない。


『く……どうやらいっぱいいっぱいらしい。せめて真っ当にケリを付けたかったが……』

「だったら戦場を考えろ」


 最後の最後、明暗を分けたのは体力だった。無論本来ならば、ユージオが圧倒的不利である。だから彼自身、この決着は望んでいなかった。今でも気を張り詰めていないと、倒れてしまいそうだった。右足の膝から下は、ガクガクと打ち震えている。


『くく……反省事項だな……。来世での糧としよう。介錯を』

「ふざけるな」


 力なくトドメを刺せと宣言した竜に、ユージオは背を向けた。新たに増えた傷が、未だ生々しく肌に刻み付けられていた。


「俺ももう、俺を生きて帰すだけで精一杯だ。勝手に死んでろ」


 己に強いて、やって来た道を前進するユージオ。もはやドラゴンを見ることはなかった。震える足と体を引きずって、ひたすらに平原の脱出を試みるのみだった。


 ***


 王都はここ数日、ずっと曇り空だった。友――王国大将軍、ゴルニーゼ・ベルンディー――が果実液ジュースを置く音が響き、ユージオは恨めしげに顔を上げた。


「機嫌が悪そうな顔をしているな。せっかく公式に『竜殺しドラゴンスレイヤー』の称号を得られたというのに」

「当たり前だ。『竜として強い』の意味を完全に取り違えていたからな」


 最低限――とは言ってもニエラの強い要望により、かなり最大級だった――の治療を受け、王都に帰還して精密な治療を受けてなお。ユージオの不機嫌は続いていた。己にあるまじき失態に、魂の内側を煮えくり返らせていた。

 ゴルニーゼによる必死の制止がなければ、おそらく一日も経たぬうちに王都から姿を消していたに違いない。迎賓館の外には直属の部隊も待機させていたが、本調子でなくとも、ユージオの前には壁にすらならないのは明らかだった。


「なるほど。『地上最強の生物』の名に、相応しくない勝ち方だったと」

「当たり前だ。次は慈悲もなく打ち勝ってくれる」


 ガウンから湯気を立ち上らせるユージオに、ゴルニーゼは内心で笑みを浮かべた。しかし、すぐに打ち消し、懸念を吐く。


「しかし……過日の白銀竜も含めて、こうも古竜が姿を見せるというのは、いったい……。続報はないが、職業ジョブ・地上最強生物の件も気になる……」


 言い募るにつれ、ゴルニーゼの顔は曇っていく。一つ一つを偶然として処理するのは簡単だった。しかしユージオという恐るべき存在や、神の託宣たる職業のことを思えば、偶然だけでは処理し難い違和感があった。しかし目の前の男は、悠然とコップの中身を飲み干し、口を開いた。


「向かって来た敵は倒す。それだけだ。相手が地上最強を名乗ろうが、神を名乗ろうが。餌にして喰らう。それだけだ」


 闘気の燻りが高まり、景色までも歪ませていく。ゴルニーゼは浮かない顔の片隅で、友の外出を解禁すべきだと直感していた。

 王都の曇り空が、ようやく晴れようとしていた。

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