第13話 VS蛮王竜

 先方が指定してきた西北の平原は、あまりにも殺風景な大地だった。草木は枯れかけ、緑は皆無。常に憂いを帯びた風が吹き、どこまでも気力を奪い去る姿をしていた。

 されど、ユージオ・バールの気勢は削がれなかった。あいも変わらずのマントに軽装。高笑いこそはしないが、平然と風景を睨み付けていた。


「なるほど、これが『萎びゆく枯れ草の平原』か。一つ風が吹くたび、力を締めねばならん」


 男は口の端を吊り上げた。かつて挑んだ雷雲竜と白銀竜。そのいずれもが先方の得意とする風土での戦だった。南方、大陸を隔てる山脈地帯。雷神住まう土地と呼ばれてきた場所。北嶺の雪山。氷雪を駆使するかの竜には相応しき場所。ならば、此度挑んできたかの竜も。


『よく応えてくれたな、ユージオ・バール!』


 上空より凄まじき風と覇気が突き刺さる。ユージオは反射的に腕をかざした。最後まで単独行に反対していた、目付役の女を思い出す。彼女を置いて来て、まったく正解だった。


「あんな派手な宣戦布告をされたらな!」


 ユージオはマントを打ち捨て、高らかに吠えた。上空、ユージオ五人分ほどの高さに、その竜はいた。古の七竜が一つ。「もっとも竜と呼ぶに相応の体躯」を持ち、その羽ばたきだけで人を吹き飛ばしうる大型竜。気性は荒く、古の戦士絵巻にも悪竜としてその名を残すとされる竜。蛮王竜だ。七竜の中では、最も人に知られている竜と言っても過言ではない。


『ハッハッハ! 貴様を本気にさせるには、アレくらいやらねばのう!』


 豪放磊落という言葉がよく似合う声が、ユージオの脳内に響く。この生き物が竜でなければ。そんな夢想を浮かべて即座に打ち消す。眼前の敵は王都を襲い、民に被害をもたらしている。ユージオに英雄志向がなくとも、眼前の竜は悪竜であり、敵であった。いつもは危惧ばかりのたまう王国も、今回ばかりは二つ返事で征討を許していた。


『ついでに言うなれば、古来より我は悪として名高い! 悪は正義の戦士に討たれるが定めであり、此度もそれに倣ったまで!』

「古臭えな! 普通に出て来ればいいものを!」

『そうもいかん。他の連中ならそうするだろうが、我は一等嗜好が古臭いのだ。どうせ戦をするのなら、場を整えたい』


 怒り混じりの言葉を並べるユージオに比して、蛮王竜あくまで平然と、あっけらかんと悪に徹していた。重ねて言うが、ユージオは英雄ではない。ただただ強者との一対一タイマンを望む、一人の生物である。


「なるほどな。まあ俺もここまで来ておざなりに済ますつもりはねえ」


 ユージオは深く腰を落とす。高く、速く跳び上がるための予備動作。筋肉の収縮と解放、爆発の過程。だが敵は、急降下で襲い来たった。大柄な体躯には、あまりにも不似合いな速さだった。鋭い鉤爪が、ユージオの黒光りする肌を狙う!


「チィ!」


 ユージオは解放の目的を回避に切り替えて大きく飛び退き、防御を固めた。飛行速度による衝撃波が、萎びゆく枯れ草を巻き上げ、肌を切り裂く! なんたる威力かと、顔には出さずに舌を巻いた。


『バッハァ! のろいぞ人間!』


 蛮王竜からの、あざ笑う声。だがユージオは凶相を笑みに歪める。まず一つ、『理解』ができた。ならば。


「ひとまず、こんなものかい」


 ボソリとつぶやき、筋肉にくに力を込める。いまだ空を制する竜は、ユージオ一人分ほどの高さにいた。二つ呼吸を重ねて動きを測ったユージオは、次の瞬間には竜の頭上を制していた。くるぶしには稲妻、動きは閃光。蛮王竜のともがら、雷雲竜より見取りした絶技!


「せりゃあああっ!!!」


 咆哮一声、雷が蛮王竜のくびを目掛ける。だが、敵もさるものだった。


『こんなものかい』

「むうっ!?」


 ユージオの想定を上回る回旋が、彼に痛みを与えた。右半身に強烈な衝撃。その正体は竜の尾。ユージオが下りて来る絶妙なタイミングで、竜ならではの超速横殴りを浴びせたのだ! 強かに殴られたユージオの身体は平衡を失う。枯れた平原へと墜落していく。

 しかも、ああ、しかも。竜はあぎとを開き、中に光を蓄えていた! これは人界で言う息吹ブレス! 常人ならば、骨すら残らぬ竜の絶技!


『かあっ!』


 吐き出されるは純粋なる力の奔流。撃ち抜かれるのは地上最強の生物。一巻の終わりを予兆させる一撃。ユージオの身体は、激流に飲まれゆくかに見えた。竜の視界は光で埋まり、満足げに翼をはためかせる。竜は勝利を確信していた。

 ……だが。


「いい目覚ましを、あんがとよぉ……!」


 ユージオ・バールは立ち上がった。さすがに体の各所から血を流し、その手足は打ち震えている。黒光りしていた肌のほうぼうに、火傷じみた痕が残されている。

 しかし男は立ち上がった。髪もいまだ逆立ち、闘気にかげりはない。むしろ空気と摩擦し、火の粉が周囲に飛び散っていた。


『立つか、人間』

「立たなけりゃ、名にもとるんだよ……!」


 ユージオは現在に至るまでの道に思いを馳せた。これは走馬灯か。否、回想である。勇者に内定した仲間の腕を叩き折ったあの日。ユージオは冒険者としての道から外れた。だが吟遊詩人に狂気を吐露した日から、ユージオ・バールはただひとつの目的に向けて突き進んできた。


「勇者よりも強い、地上最強の生き物……。魔王よりも、ドラゴンよりも強い、この世で誰よりも強い生き物。仮初であろうがそう謳われる以上、あんなブレスで寝ちゃいられねえ!」


 男には珍しい大啖呵。続いて腰を落とし、右足を下げ、力を込める。筋肉にくを漲らせる。かすかにまとう炎が稲妻と合わさって爆ぜ、周辺に飛ぶ。すると……おお、見よ。枯れ切ったはずの緑が、かすかに色付いていくではないか。ユージオの活力が、萎びゆく地を救うとでも言うのか。まさに奇跡とでも称すべきことである。


 だが……啖呵を切ろうが緑に活力を取り戻そうが、目の前の敵を打ち倒さねば、なに一つ変わらない。否。吠えた分だけ格が落ちる。故に、ユージオは基本へ立ち返ることにした。


「大技は当たればデカいが、外れることも多い。よって」


 左右のステップを挟み、竜の真下を狙って跳ぶ。あまりにも基本的な対竜戦術に、竜は言葉も出さずに回避した。加速していようが、目をつぶってでも回避できる攻撃だった。高位の竜ともなれば、死角に群がる気配は労せずしてわかる。あまりにも常套手段にすぎた。

 しかしユージオはそんな愚策を続けた。二回、三回、五回、十回……。竜はそのたびに機敏にかわし、ユージオへの呆れを加速させた。期待の裏返しは失望である。一度失望してしまえば、地上最強であろうがもはや塵芥ゴミ。警戒は絶やさぬが、内心では煽るまでもなかったと思い始めたその時。


 雷が、その身をわずかに叩いた。


『む?』


 気配を探る。真下だった。未だ飛び跳ねていたのか。とどめを刺しておくべきだったか。若干の後悔をともに、軽く上昇。再度の降下攻撃を目論む……しかし!


『ぬうーっ!?』


 降下速度よりも早く、閃光が蝙蝠羽に刺さった。 弾力を備えた皮膜は破れぬものの、蛮王竜はわずかにたじろぐ。だが、追撃は既に行われていた!


「邪ッ!」


 喉元めがけて、ユージオの足が舞う! 皮膜の反発による、高度なバランス調整。それを難なく成し遂げた男の足刀。竜は首をうねらせてかわす。だが再びのバランス調整。今度は踵! 下から! しかも疾い! 昇り竜の如き蹴り上げ!


『があっ!』


 首のうねりがわずかに遅れ、遂に竜は痛みを覚える。致命にあらず。されど屈辱の極みであった。ふつふつとこみ上げる感情は、竜に相応しき傲慢の反映。すなわち、怒り。


 竜の唸りを聞きながら、ユージオは二十歩ほど下がり、距離を取った。出立の前、話半分で聞かされた古き物語を思い出す。虚飾ばかりと思っていたが。


「まあ気持ちはわかるぞ、蛮王竜。俺だって餌に暴れられたら怒りを覚える。手傷を負えば、なおさらだ」


 竜の怒り。それは圧倒的な攻撃力をもたらす。だが引き換えに知性は消え、ただの猛る獣へと堕落する。つまるところ、狂気に堕ちる。ユージオの脳内では、すでにこのあと起こる光景が予測できていた。


「だが俺は勝つ」


 ユージオは腰を落とした。竜は首をうねらせ、ブレスの構えを取っていた。先の一撃よりも大きな光球が、顎の奥に覗いていた。ユージオはその姿を、ギリギリまで真っ直ぐに見つめていた。血管が沸騰し、こめかみには汗が一筋。しかし顔には笑みが浮かぶ。生死の狭間での戦は、心が躍る。


「ガアアアアアアアアアアア!!!!!」


 それは頭ではなく、耳に響いた。竜の咆哮。並の生物ならば耳にしただけで気を失う叫び。ユージオも二歩下がり、敵を見据える。竜の顎が、大きく開いた!


 カッ!


 一瞬の閃光。直後、地面が爆ぜる。二、三、四。次々と光が走り、枯れゆく大地が弾け飛ぶ。ではユージオは? その只中だ。吹き飛ぶ土の弾丸を跳ね除け、ブレスの位置を絶妙に読んでいた。前後左右と高低を駆使し、圧倒的な砲撃の雨を凌いでいた。


 カッ!


 荒天時の雷の如く、竜の口が光る。ユージオは左に跳んだ。跳ぶ前の地は、一瞬後には爆ぜていた。軽くステップを踏むと、ユージオは低く前進。そのかすかに上を、閃光が薙ぐ。当たれば今度こそ死に至る、致命薄氷の舞踏会。


「打ッ!」


 竜の右下まで潜り込んだユージオが跳ねる。まずは地に落とさねば話にならぬ。ならば、やることは一つだった。広い背中に軽く着地し、もう一度跳ねる。狙いは唯一つ。蝙蝠羽を、穿つ。


「チェイサアアアアア!!!!」


 高い跳躍をエネルギーに転化し、摩擦の炎と体内電力を添えて。ユージオの身体は螺旋の鏃と化した。ただ一点を突き破る意志が、苦し紛れのブレスをもかわす!


「ぬんっ!」


 メリッと響いた嫌な音の後、ユージオの視界には枯れ切った平原が入る。もっとも、ブレスの連発で地形は変わり果てていた。ユージオは着地するやいなや前転し、間合いを取った。背後で、竜が墜落する音が響いた。地面が震える中、足を踏ん張る。


「苦労はしたが、ようやく引きずり下ろした……!」


 起き上がろうとする蛮王竜を、ユージオは戦意を絶やさぬままに睨みつけていた。


(次回へ続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る