第12話 VSエルフの射手(極微量の性的描写あり)

 女は息を殺し、弓を提げたままに男のマントを睨み付けていた。街道沿いの森。地の利は此方にあり。当方、腕に不足なし。されど、三日尾行してなお、ターゲットに決定的なスキを見い出すことができなかった。


 男は地味な出で立ちの女を連れていた。長い耳が時折言葉を捉えるが、間違いなく指定された人物に相違ない。元々主たる狙いは女だった。野暮な服装で偽装されているとはいえ、暗殺者アサシンの目は誤魔化せぬ。

 王国大将軍、ゴルニーゼ・ベルンディー。彼が溺愛し、同時に手足の一つとして密命を託す姪、ニエラ・ベルンディー。長耳――すなわちエルフ――の射手はさる筋より彼女を暗殺する使命を帯びて尾行を開始した。女一人如き、すぐに射ち殺す算段だった。だが半刻も経たぬうちに、射手の女は目論見を訂正する事態になった。


 原因は護衛の男だった。男は確実に、射手の気配を察していた。そうでなければ、常に射線を塞がれるなどという事態はありえない。いくつかのターゲットが一人になる機会にさえも、常に殺気が近くにあるなどありえない。ともかく、重圧が近くに佇んでいた。伸し掛かっていた。


 無粋を承知で言うならば、彼女がそうなってしまうのも仕方のないことであった。エルフの女暗殺者が対峙しているのは、ユージオ・バールその人。つまり地上最強の生物である。ニエラはユージオの行動を抑制する首輪として。ユージオはニエラの護衛として。奇妙な等価交換が成り立っていた。


 ともあれ、いつしか暗殺者は男の方に心を揺らされていた。男を排除せねばニエラの暗殺など不可能という義務感が、三日の尾行を経て男への執心へと変化した。奴をらねば、なにも成せない。錯覚ではあるが、この任務ミッションにおいては正しい。正しいが故に、いかんともし難い話であった。


 女は懐から携帯糧食を取り出し、無理矢理に飲み込んだ。衣擦れのかすかな音、咀嚼時のほんの小さな音にすら注意を払う。そこに安らぎはなく、ただただ栄養価を貪るのみ。エルフに伝わる特殊な栄養食とはいえ、心の擦り切れまでは補えるものではなかった。髪を短く切り揃え、胸を潰し、ひたすらに暗殺者、弓兵たるを義務付けられた女にとっては、ただ殺しのみが快楽であった。


「焦らされれば焦らされるほど……」


 女は口の中で言葉を紡いだ。糧食はすでに喉奥へ消え、男をひたすらに追い続けていた。しかし間合いは遠くに置く。射程の限界、男の察知力の外と思しき場所。敵は明らかに格上。なれば、狙うは。

 これが弓兵同士の狙撃戦でなくてよかったと思う。女を捨てたとはいえ、アレは地獄極まりない。小虫の類に肌を喰われても動けず、排泄すら垂れ流し。時に草木の間に這いつくばり、青臭い臭いを一身にまとうことになる。心擦り切れてなお、忌避したい戦場であった。


 さらに一昼夜が過ぎて、ようやく二人が街に入る。街道を頭に入れてある女は前夜のうちに着替え、あくまで旅人として街に入り、二人の宿に近い場所へ宿を取った。野伏の系列なら同じ宿だろうが、彼女は弓兵である。あくまで距離が必要だった。糧食もそこそこに、彼女は再び一行を見張る。やがて、部屋の影は一つになった。大柄の影が、暗殺者の視界に入る。


「湯浴みか? 部屋を分けているのか?」


 女は思考する。ともあれ、好機は今しかない。背負式の袋から簡易組み立て式、小型の弩を取り出す。矢に貫通術式を添付し、つがえる。息を殺し、目に入る影に集中していた。まだ影はそこにある。殺れ……。


「そこまでだ」


 殺意を押し殺した獣のような声が、暗殺者の耳を叩く。慌てて振り向けば、そこには見慣れてしまった男の姿。正面からその凶相を見たのは、初めてだった。鴨居をくぐり、部屋に入ってくる。威圧感が、男の姿をさらに大きく見せていた。


「なっ……」

「どこの手先か知らねえし、聞く気もねえが。どうせどこかに金を積まれた。そうだろう?」

「っ……」


 女は脳内を整理する。追い詰められたのはこっちだ。あの影はダミー。敵手はずっとこっちを見ていた。つまり。


「俺もナメられたもんだな。ずっと気づいていたぞ。どこかで仕掛けねばならんと考えていたが、俺が思うよりは手応えがあった」


 気が付けば、顎の下に腕が通っていた。手首には万力のような圧力がかかり、気づけば弩を取り落していた。凄まじい力で部屋の真ん中まで引きずられ。


 ビリイイイッ!


 男装束を破られれば、胸を潰す拘束具があらわになる。エルフの女性射手に伝わる、特別なものだった。痛みをなしに、胸を潰す。それは弓の腕と魔法の資質が力を定める彼女たちの世界において、先祖から授けられた知恵と慈悲であった。


「やはりか。俺の鼻もナマッちゃいねえ」


 男が唸る。射手は暴れようとするが、たやすく床に打ち付けられた。殺さないように加減されていたとしても、息ができないほどの衝撃だった。


「エルフってのは、悦びを知らぬとこうなるのかい」


 男の問いに、女は目をそらして答えとした。彼女は知っている。伴侶を見つけたエルフのみが、彼女の世界では女として生きられるのだ。男に尽くし、子を育てる。つがいを得たエルフの宿命。そこから逃げようとして、彼女は暗殺者となった。なのに。


「そうかい」


 男がマントを脱ぐのを、女は見た。傷だらけかつ、筋骨隆々。「雄」という言葉を剥き出しにしたような肉体と臭いは、女が押し殺し続けていたものを呼び起こすには十分だった。


「うう……」


 それでも女は抵抗した。身体の奥が疼くのを自覚しつつ、後退りした。睨みつける男の眼に、必死て目を合わせた。口の端が釣り上がるのが見え、女は笑いというものの本質を思い出した。

 もはや、女は動けなかった。男の気勢が、女を制した。男の手が、女の身体へと伸びる。まさぐられる。あとはもう、流れに押し流されるままだった。男の獣性に、飲み込まれるがままだった。


 ***


 エルフにして暗殺者の女が、どのようにして街から去ったか。彼女のその後を知る者はいない。ユージオ・バールは、すでに彼女への興味を失っていた。街の者に、彼女を知る者はいなかった。

 ともかく、ニエラ・ベルンディーの暗殺は失敗に終わった。彼女には制裁が待ち受けていた。依頼した者、請け負った組織。両方から手下が送り込まれ、結局は彼女が属していた組織によって捕縛された。


「……目論見通りですじゃ、長」

「ほう」


 組織の長は、夜というのに魔力灯の一つさえ点けていなかった。患いなどではなく、夜はそうするだけであった。暗がりに身を置き、静かに心を委ねる。それが長にとっての自然であった。

 故に。本来であれば、誰一人としてこの部屋には入れない。しかしランタンを持つ報告者――「ばば」とだけ呼ばれている――は違った。長の影なる側近として、縦横に働いていた。


「然るべき筋に調べさせましたが、ほぼ孕み腹に相違ないとのこと」

「……騙したと言われればそうなるが、結果が出たならば良しとしよう」


 男はランタンの灯り一つを頼りに、机上の葉巻を探り当てた。ナイフで無造作に先端を切り捨て、火炎術式で火を灯す。ほのかな香りが、室内に広がった。


「長は昔からそれですの」

「好みだ。悪いかね」

「いんや。わっちも好きですよ。あとの措置は預けますので、ご随意に」


 婆が下がり、扉が閉まった。男は紫煙をくゆらせ、物思いに耽る。

 さる筋、と言いつつも隠蔽が間抜けだった大公家からの暗殺依頼。千、いや万さえも越えた貴重な機会に対して、長はそれでも冷静であった。むしろ彼の本命はユージオ・バールにあったとも言える。地上最強の生物が実質的にニエラの護衛となっている事実を知らなければ、長はこの依頼を蹴ることも考えていた。


「ようやくだ。ようやくだぞユージオ・バール」


 長は肌をなぞり、傷跡を掻いた。頬に走る深い傷は、かつてユージオによって刻みつけられたものだった。復讐を志して軍を捨て、一暗殺者から手段を選ばずに成り上がり、遂にはこうして闇組織を作り上げるまでになった。すべてはユージオ・バールに鉄槌を下すためだった。


「どれだけの手先を送っても只人では貴様を殺せぬのなら。貴様の血そのものを貰い受け、貴様の子によって貴様を殺す。これが俺の出した答えだ」


 長はエルフの射手になんら期待を寄せていなかった。殺しの結果よりも、ユージオの獣性を刺激し、射手を貪らせることが目的だったとさえ言ってもよかった。十年、二十年はかかる遠大な策。だが、彼はそれでよかった。


「さあ、ユージオ・バールよ。我が怨敵よ。その日まで地上最強であれ。俺の繰り出す、最強の刺客が貴様を撃ち抜く日まで」


 長が葉巻をすり潰すと、その表情は誰にも読み取れなくなった。

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