第10話 VS連合帝国最強の男

 その男は、結果から言えば数年ぶりにユージオ・バールの背を大地に着かせたと言うべきだろう。卓越した筋力を術式で超強化し、爆発まで付加して投げ込んだ槍によって、ユージオは転がって回避せざるを得なかった。


「……爆発術式を仕込むなんざ、ふざけた槍だぜ」

「確実に仕留めるつもりでしたが」


 聞こえてきた流暢な王国語に、ユージオは顔を上げる。自身よりも頭半個分は低いものの、バランスの良い筋肉を備えた男。半裸軽装の上に、戦姿が全く似合わぬ美貌を乗せた戦士がいた。


「お貴族様の衣装でも着て、舞踏会で踊ってたほうが割に合うだろうに」

「でしょうね。しかし私の心には合わないのです」


 ユージオは相手を見定める。ヒリつくどころではない、筋肉が歓びを得ていた。雷雲竜、白銀竜。そして魔軍上皇。かつて向き合った人外どもに匹敵する波動を、彼は感じていた。鼓動が早くなり、戦への衝動が足を疼かせていた。


「名乗りな。聞いておいても損はねえ」


 ユージオは腰を落とし、腕を広げる。髪は逆立ち顔には嗤い。肉食獣の意気を高らかにしていた。今にも地面を蹴ろうとする足を、必死に上半身で抑え付けている。


「連合帝国一代騎士、ダウィントン・セガール。人は私をこう呼びます。『連合帝国最強の男』と」

「フン」


 聞かされて、ユージオの鼻が鳴った。なるほど、人馬族長はこの銀の長髪も鮮やかな美男子に敗れたのだろう。そして、連合帝国に従った。掟とやらも、面倒なものだ。


「剣奴や傭兵、兵法者ひょうほうしゃを手慰みにするだけでは物足りず、草原の地に来たわけですが、あの族長はなかなかに手応えがありましたよ。最後は下から持ち上げて屈服させましたが」

「そうかい」

「なっ――」


 いきさつを語る間に、ユージオはセガールの眼前にまで移動していた。セガールの反応を待たずに、彼の頭を引っ掴み。


「名乗れとは言ったが、身の上話をしろとは言っちゃいねえ」


 ドウッ!


 一気に地面へ叩きつけた。地面が砕け、頭がめり込む。常人なら汚い墓標が生まれる一撃。しかし。


「王国人は野蛮な上に礼法も解しないのですかね……。無礼ですよ」


 連合帝国最強を名乗る男は、未だ言葉を語る余裕さえ持ち合わせていた。ユージオは握力を強め、頭を押さえつけんとした。しかし。


「名乗らせたのなら、名乗りなさい。それが、礼というものです……」


 ユージオの顔が驚きで見開く。なんとユージオの筋肉を上回り、セガールが起き上がらんとしていた。両腕を地面に置き、逆立ちめいた姿勢でユージオの腕を跳ね返そうとする。だが。


「ユージオ・バール。キサマは俺の『餌』でしかないッッッ!」


 再び膂力の限りを尽くし、ユージオはセガールを押さえ付けた。地面ギリギリで攻防が始まる。しかし徐々にセガールが、ユージオを押し返していく。


「~~~~~ッ!」


 セガールの頭が徐々に高くなり、遂にユージオは一旦飛び退いた。対人においては、ほとんどなかったことだった。身体がかすかに震えるのを感じ取り、ユージオはことさらに笑った。面白い敵手が、見つかったと。


「どうでしょう。『餌』に暴れられたお気持ちは」


 立ち上がったセガールが、ハンカチで顔を拭いつつ口を開く。その所作は優雅であり、顔面を砕いた傷はほとんど現れてはいなかった。ユージオは歯を見せ、口角を上げた。


「面白い」

「なるほど」


 次の瞬間、セガールが目の前から消えた。ユージオの動体視力でさえ、見切れなかった。頬に衝撃が走り、身体が宙に浮く。感知した瞬間に体を捻り、無理矢理たたらを踏んだ。汗が一筋、背中を流れる。無言で敵手を見れば、にいぃ、とでも鳴りそうな笑みで己を見ていた。


「だああっ!」


 怒りがユージオの肉体を満たした。己への怒り。敵への怒り。右、左、上、下。ユージオは縦横に拳を振り回す。だがセガールは紙一重、もう少しで当たりそうなところでくぐり、かわし、飛び退いていく。ユージオは無論追いかける。時折牽制の拳が入る。早いがかわせる。あと二歩、いや、一歩。ギリギリの攻防が演出され、ユージオは深みに誘い込まれた。


「そぉら!」

「その拳を、待っていました」


 そして、破局は唐突に訪れた。焦れたユージオの大振りの拳を縫って、セガールのカウンターがユージオを捉えたのだ。衝撃。それも、重い。脳が揺さぶられ、身体がかしぐ。二、三歩力なくよたついた後、大の字で背中をついた。空を見上げても、焦点が合わない。

 それでも、敵手がこちらを見ていないことには気付いた。ならば。ユージオは逆転を期して回復に努めた。


 ***


 それは、ニエラにとってあまりにも信じ難い光景だった。憧れた男が、さっきまで優勢だったはずの男が、逆に大地に沈められている。なにが起きているのか、さっぱり分からなかった。今にも駆け付けたくて仕方がなかった。しかし惨事の現場は、二百歩以上は離れていた。


「ユージオ様!」

「娘、落ち着け!」


 人馬族長が服の裾を掴んで制止をかけるが、ニエラはジタバタと暴れるばかり。ユージオはいまだに起き上がらず、戦っていた相手はニエラたちに向かって歩を進めていた。


「う……」


 人馬族長が硬直する。ニエラはその姿で直感した。あの男が、ユージオより前に、人馬族長に打ち勝った人物なのだ。遠くに見えるかの者は悠然と歩き、勝ち誇っている。土塊の一つでも投げつけてやりたくなるが、こらえた。もしユージオが立ち上がったなら、確実に文句を言う。「俺の戦に手を出すな」と。


「ふふ。王国のお嬢様にもご覧いただけたようでなにより」


 こちらを見下ろす男の敬語は、どこか無礼だった。およそ敬意というものが感じられない。敵だと、ニエラは直感した。直感は類推を呼び、連合帝国の者かと当たりをつける。彼女の頭脳活動を裏付けるように、男は身分を名乗り、言葉を紡いだ。その上半身には、汗の一つさえ浮いていなかった。


「戦場は少々遠く、お見えにならなかったと思われますので、答え合わせと参りましょう。私の戦闘術は、身体能力に無詠唱術式を組み合わせた独自の技術。題して『セガール式戦闘術』と申します」


 ニエラは黙ってうなずいた。その視線は、奥に別のものを捉えている。別のものはゆらりと立ち上がり、こちらに足を向けていた。だがそれは表情に出さない。過剰なまでの自己統制により、汗の一つに至るまで彼女は自身を支配していた。


「私の扱う術式は多々に上ります。強化、加速、防御、爆発、回復……。そしてそれらの全てをほぼ意識下で切り替えられる……」


 悦に入ったセガールの言葉が続く。だがその背後には、大きな影が忍び寄っていた。彼が倒したはずの男の影が。ニエラも人馬族長も、敢えて聞き入ったふりをし、セガールを引き寄せていた。族長の意図は不明だが、ニエラにとっては幸いだった。そして。


「さあ、私としては降伏を……んぐうっ!?」

「倒した相手は、起きないかどうか確認する。戦士ファイターの初歩の初歩だ」


 忍び寄っていたユージオが、遂にセガールの口元を背後から抑え込んだ。左腕を素早く滑らせ、己の側へと引き寄せた。一気に絞める。


「むごぉ……っ」

「キサマがべらべらと種明かしをしてくれたおかげで、推測に確信が持てた……。つまりキサマはヌルい」

「むぐおおおおおおおっ!」


 ユージオはさらに力を込める。万力の如き締め上げに、セガールが唸り声を上げる。術式を思いつく余裕さえないらしい。セガールが脱力して膝をつくと、ユージオは手を緩めずに長髪を掴んだ。ニエラから遠ざかるように引きずっていく。


「なにをする……」

「キサマには特別に教えこんでやる。立て」


 ユージオの手が離れると、セガールは回復術式を用い、立ち上がった。いつでも殴れるように拳を胸元に近づけ、戦いの構えを取る。だが。


 パァン!


 いともたやすく、ユージオに右頬を打たれた。術式の発声を行う暇さえなかった。続けて左を打たれる。発声が追いつかない。わずかにしびれを感じる。己に強いて、前を見る。恐ろしいほどの速さの豪打が、セガールを地面に叩きつけた。


「お、あ……?」


 なにが起こったのか分からぬ間に、セガールの口の中には血の味が充満していた。思わず吐き出すと、何本かの歯が血の中に浮いた。痛みで発声がままならない。


「人界の術式、魔界の魔法。一つ一つは実に有意義かつ便利だ」


 気が付けばユージオが己を見下していた。口を何やら動かし、踵を振り上げている。まさか。


「――――ッッッ!」


 危険を察知したセガールは身を左に投げ出し、数回転がった。土の砕ける音を耳にし、いくつかの土塊に身体を殴られた。やがて目を開ける。ユージオが踵を振り下ろした場に、極小規模のクレーターが完成していた。それは己の、わずかに右。


「振り上げた直後に加速術式。最も地面に近い瞬間に強化術式。なるほど。よく練られた戦闘術だ」

「そん、な……」


 セガールは崩れ落ちんばかりに震えていた。自身が百を越え、千に至ろうかという争いの中でたどり着いた戦闘術が、いともたやすく真似られている。


「だが。こんなモノはキサマらで共有していればいい。餌どもでな」

「なっ……」

「タネが割れれば真似られる程度の技に、俺は敗れぬ」


 セガールは見た。ユージオの四肢が、雷をまとう瞬間を。

 セガールは見た。膨れ上がるユージオの背中が、刻まれた傷によって奇妙な絵を描く瞬間を。

 セガールは見た。ユージオが目の前から消える瞬間を。


「あ、あ……」


 口が動く。思考が加速する。たどり着いたのは、加速術式。そして、脱兎。遠くへ、ひたすら遠くへ。いまだに現実が飲み込めなかった。あれだけ翻弄していたはずなのに、調子に乗ってタネを明かしてしまった。否、とどめを刺さなかったのが悪手だったか。それとも――。


「よう」


 必死で駆けたにもかかわらず、ユージオの姿が目の前にあった。せめて最後の抵抗とばかりに、セガールは拳を握った。すでに心で負けていることに、彼は最後まで気付けなかった。


 轟!


 ユージオの豪拳が、セガールの顔面を打ち砕いた。それは加速術式よりも早く、強化術式よりも凄まじい一撃だった。ゼロコンマ数秒で顔面に到達し、二秒後には右腕が振り抜かれていた。「この男に手を出してしまったことそのものが、悪手だった」。そう悟った次の瞬間、セガールの意識はブラックアウトした。


 ***


 地面にへばりついたセガール。ユージオは彼が起きそうにないと確信してから、戦闘態勢を解いた。周りを見れば人馬族の者どもが、彼に向けて足をたたみ、己を見ていた。人馬族長が、手当を受けながら言う。


「貴方に忠誠を誓おう」


 族長の言葉に、ユージオは笑みの一つさえも浮かべなかった。ニエラを通して、忠誠への答えを返す。


「ならば大人しくしていろ。それだけで十分だ」


 北嶺から吹き下ろす爽やかな風が、戦で火照った体を撫でていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る