第9話 VS人馬族長
騎馬の民の根拠地から、さらに北へ歩いた山あい。森の中の細い獣道を通り抜けると、ようやく光が差し、平原の向こうに何匹もの人馬族の者が見えた。
「あそこだ。あそこが我らの住まいだ」
「そう。ありがとう」
「へへ……って、撫でるんじゃねえや」
ニエラに頬を撫でられた人馬は思わず顔を赤く染め、直後に視線をそらし、悪態を吐いた。公爵家令嬢の相変わらずの懐柔力に、ユージオは舌を巻く。
あの戦から、早くも四日が過ぎていた。言語についてはニエラが人馬を魔界語会話の生きた教材としてしまったため、もっぱら彼女と人馬の会話が続いていた。そして四日前の会話の結果が、この現在に至る。
***
「そう。人馬族のほとんどが連合帝国に帰順してるの」
「はい……」
人馬を圧倒して数刻後。騎馬民族から間借りした天幕の中、人馬の戦士がうなだれていた。彼は結局、「情報の提供」を条件に「根拠地への帰還」を勝ち取った。とはいえ、現実は敗北した虜囚である。足を畳み、もっとも下座になる位置に佇んでいた。これでも当初は、問答無用で殺されるところだったのだ。
「まあ人馬族は騎馬民族とはどうしようにもない間柄だから、妥当としか言いようがないのだけど……」
安全が保証されている場ゆえに、令嬢は全ての偽装を解除していた。金の髪もおろし、藍色の長袖装束に紺のズボンを合わせている。彼女は心底わからないと言いたげに、小首をかしげた。なぜここに来て、連合帝国は草原地域に手を出そうとしているのか。
人魔の和約以降、人類や近似種族による対魔界共同戦線は形ばかりのものになっている。その間隙を突いて急激な発展を遂げた連合帝国は、諜報対策も堅牢だった。王国は幾度も彼らに探りを入れているが、その全貌は未だ不明。漏れ伝わる王国への敵愾心と、帝国を名乗るに足る国力のみが、王国側の不審を際立たせていた。
「……行けば、わかるだろうよ」
ユージオが人馬を睨みつけたまま口を開いた。すでにこの戦士との格付けは終了している。人馬の処遇をめぐって騎馬民族と揉めた際も、これが決め手になった。事実人馬は顔を背け、うなだれていた。
ちなみにニエラの美貌については、すでにユージオはケリを付けていた。彼は性豪であり、知らなかったこととはいえ、大将軍の妻にさえ獣欲を晒したこともある。しかし、彼は決して野獣ではない。大将軍から言い含められて紹介を受けた後に、忌憚のない言葉を交わして手打ちとしていた。
「どうせコイツは帰さねばならん。俺と嬢が監視を兼ねて同行し、陰謀が混じっておればこれを叩く。どうだ?」
「……悪くないですね。騎馬民族の皆様には文句を言われそうですが、そのあたりの説得は私が致します」
当然ではあるが、これらの会話は翻訳され、簡潔ながら人馬にも伝わるようにされている。人馬は二人に、深く頭を下げた。
ともあれ、ニエラからの同意は大きかった。即座に騎馬民族の説得が行われ、彼らからも消極的な賛同を得た。要するに彼らは、とにかく人馬族と顔を合わせたくないのだ。
***
記憶に思いを馳せつつも、ユージオは周囲にも気を巡らせていた。山に入ってすでに二日、常に周囲には気配があった。二匹、ないしは三匹。森に潜んで、付かず離れず。襲ってこない理由は不明だが、通報は済んでいると見てもいいのだろう。
だがそんなことはおくびにも出さず、ユージオはのんびりとつぶやく。
「……あれに見える人馬ども。全員喰らうには、半刻はかかるか」
「制圧する気か? ならば俺はたとえ怯えようとも、もう一度敵に回るぞ」
「雑魚が増えても気にはならん」
「ちょっと待って、誰か来るわ」
ユージオと人馬が言葉を交わしていると、ニエラがそれを止めた。集落の方から、一人の人馬が歩み寄って来ていた。くすんだ灰色をした頭髪を肩まで伸ばし、筋肉と脂肪をバランスよく備えていると見える身体に、毛皮を一枚まとっている。下半身たる馬の部分だけでユージオとほぼ同じ高さであり、上半身も揃うと倍近くにさえ見えた。
「……大きい」
ニエラの顔から血の気が引く音が、ユージオにははっきりと聞こえた。よく見れば人馬の戦士も震えている。ユージオは二人を守るように矢面に立つ。しかし黒の総髪は逆立ち、顔には笑みが浮かんでいた。喰い甲斐どころではない。ひりつくタイプの敵手だと、身体が理解していた。
「ぞ、族長。これは」
「わかっておる。我が人馬族の掟は?」
「強き者に従え……であります」
ユージオの頭越しに交わされる言葉。だが族長と呼ばれた男の目は、ひたすらにユージオを捉えていた。強い男たちは惹かれ合う。彼らが漂わせる闘気は、すでに他を圧倒していた。
「強い人よ。貴方がこの者を倒したと見てよろしいか?」
「応」
ニエラが待ったをかけようとするのを、ユージオは目で押さえつけた。王国からの依頼も、人馬族の排除も関係ない。ただ純粋に、目の前の男――彼らの言葉を信じるならば、人馬族で最強の戦士となるのだろう――を見定めたい。それだけだった。
そして目の前の男は斥候が持ってきた情報と、連れて来られた人馬を基準に値踏みを済ませている。隠す必要がなかった。
「出自と要求は」
「王国の者だ。大将軍の使いに代わって要求を述べる。草原の連中にやっている、襲撃行為を止めてもらいたい」
「承った。掟に則り、お主が我よりも強き者であれば従おう。いつでも来るがいい」
男が両手の腕組みを解いた。両の
ユージオは闘気をくゆらせ、同じように両腕を広げた。直後、土が弾ける。それは常人には捉え切れぬ速度の「ただの殴打」。接近し、固めた腕を振るい、人馬族長の頬を殴打し、元の位置に再び立つ。三秒とかからぬ早業だった。
「おう……!」
しかし族長は揺るがなかった。鼻と口から血はこぼしているが、倒れそうな気配はない。それどころか。
「はあっ!」
ユージオめがけて近付き、蹄による蹴りを浴びせる。鈍い音が響き、ユージオの視線が天を向く。しかしこちらも倒れなかった。族長が元の場に立つ頃には、フラつきまでもが収まっている。口からわずかに、赤い筋がこぼれていた。
「ククッ……! 言うだけあるじゃねえか……」
顔を上げたユージオを見て、ニエラは限界まで距離を取った。彼の凶相は嗤いを帯び、獣のそれに変わっていた。危険な兆候以外のなにものでもない。事実、四肢には静かな稲光が走っていた。
「それはこちらのセリフだ。あの男の他に、我と伍する者が居ようとはな」
しかし人馬の族長も嗤っていた。ユージオの稲妻を見て、震えるどころか嗤ったのだ。そして聞き捨てならぬ言葉が聞こえた。
「『あの男』?」
ユージオが訝しむ。「地上最強の生物」と呼ばれ始めてから幾星霜。ついぞ己に伍する人類がいたとは聞いたことがなかった。仮にいるとするのなら、それは人馬族長の錯覚、もしくはユージオ・バールという男の強さを知らないからだろう。ユージオは全身の筋肉に
「行くぞ」
一声残して、ユージオは大地を静かに蹴る。次の瞬間、誰の目からも男は消えた。否。追い切れなくなった。五歩はあった間合いが、たった一歩でゼロになる。人馬族長は追い切れていない。二蹴り。馬の上に至り、跨る。ここでようやく、族長は気付く。ユージオの太い腕が、乱暴に己へと巻きつこうとしていた。
「なっ……!」
「俺をナメたからな。相応に報いを受けてもらう」
右腕と首を絡め取り、ユージオの太い腕が人馬族長を拘束した。族長は左の腕で抵抗を試みるが、力が入らない。凄まじい筋力で締め上げられている。手首、肘、腕、肩、胸。ユージオの上半身を構成する全ての筋肉が、人馬族長を絞め殺さんと意気を上げていた。絞める。絞める。
「むっ!」
ユージオが突然に拘束を解いた。馬から飛び降り、とにかく距離を取る。人馬族長は一瞬息を吐き掛け、続いて即座にその場を脱出した。直後、二人が戦っていた地点に槍が突き刺さり、爆発した。
ニエラは反射的に草原に伏せ、耳を押さえ、轟音と衝撃、飛んでくる
「おさまった、けど……」
やがて揺れが収まり、彼女は目を開けた。まず自分に命があったことを聖教の神に感謝し、そののち平原を見た。彼女は目を剥いた。戦いの様相が、すっかり変わり果てている。
人馬族長が爆心地の近くで気絶していた。ユージオと何者かがぶつかり合っている。ユージオが本気を出しているかは不明だが、何者かは頑健な肉体に凄まじい速さを持ち合わせていた。二人が駆け回るたびに大地が爆ぜ、豊かな草原が蹂躙されていく。
ニエラはこっそりと這い、人馬族長の元へと向かった。爆発に巻き込まれたのだろう、彼は横倒しになり、起きる気配が皆無だった。見捨てて逃げるなど、できなかった。ほんの数歩の距離なのに、地面のかけらや轟音のせいであまりにも時間がかかってしまった。
「もし、大丈夫ですか?」
やっとのことで近付けた族長の巨体に、必死で声をかける。死なれては困る。死なれてしまうと王国と騎馬民族が憎まれる。だがそんな算段はどうでもいい。肩を叩き、呼びかける。すると、うめき声が返ってきた。
「う、うぐ……」
「大丈夫ですか!?」
ニエラが声をかけると、人馬族長は苦しげに言葉を発した。よく見れば体の各所に傷を負い、肉体は汗ばんでいた。
「王国の、者か……」
「はい。失礼ながら、声をかけさせ」
「逃げなさい」
救出に意気込んだニエラに浴びせられたのは、意外な声。ニエラは思わず「え」と返すも。
「お主には我を運べるほどの力はない。あの二人は、それぞれの手段で我を打ち負かせし者。二人の戦を見届けられるのは、我の他になし」
ニエラは族長を凝視した。その目の力は、とても重傷とは思えなかった。信じられないことに、四肢に力を入れ、立ち上がろうとしていた。
「危険です」
「あの二人の戦を見届け、死ぬるなら本望」
「……。わかりました」
ニエラは族長の身体に手を添えた。族長の目が、ギョロッと見開く。
「逃げろと」
「私も見届ける必要がありまして」
瞳にに力を入れ、ニエラは族長を見返した。しばらく視線が入り混じり、やがて解けた。族長は二人に目を向けたまま、言った。
「勝手にするがいい」
「わかりました」
二人の視線の先では、ユージオが徐々に乱入者を圧倒しつつあった。
(次回へ続く)
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