第8話 VS草原に生きる者

 王国北東部の山嶺から連なる大草原には、騎馬民族による自治区が広がっている。彼らは馬を駆って狩りを生業とし、文明の民とは時に交わり、時に距離を置いて生きてきた。

 彼らは文明の民に比して壮健かつ蛮勇に秀で、数世紀ほど前には強大なるハーンのもとで人類世界に覇を唱えたことさえもある。しかし現在は文明の荒波に押され、交易や臣従によって命脈を長らえるのみとなっていた。

 その騎馬民族の間で、ここ半年ほど頭を悩ませる出来事があった。共に天を戴くことはおろか、顔を合わせたくもない忌まわしき民、人馬族による襲撃が繰り返されていたのである。昼夜を問わぬ襲撃は騎馬民族を苛立たせ、戦火の機運が高まりつつあった。

 人馬族とは、騎馬民族の地よりもさらに西に住む部族である。騎馬民族の間では「天罰を受け、馬と一体化してしまった罪業の者」として知られており、馬を愛しすぎたがために罰を下されたと言われている。騎馬民族とは言語も通じず、互いに遠ざけ合うことで破局を防いできた歴史があった。


 ***


「……と、いうわけです。ユージオ様」

「……嬢、様付けはいらん」


 乾燥期から寒冷期に季節が変わりゆく頃。緑と薄い茶色が交じる草原に、一陣の風が吹いた。王都より徒歩二十日を経て、彼らは草原へとたどり着いたのだ。男が先に立ち、女は三歩遅れて後ろを歩んでいた。

 女は金の髪を馬の尾ポニーテールにくくり、全体的に厚ぼったい服装をしていた。頭には濃い色の頭巾をかぶっており、シルエットそのものが地味であった。

 男は上半身をマントに包み、大荷物を肩に引っ掛け、禍々しき凶相をもって大地を睨みつけていた。担いでいる荷物の量からして、マントの下には並ならぬ筋肉が備わっているのだろう。

 誰あろう、王国大将軍の姪・ニエラと、地上最強の生物ことユージオ・バールである。二人は大将軍の命令により、この大地を訪れたのだ。


「つまりアレか。アイツは俺に人馬族をぶっ飛ばせと言いたいのだな」

「名目は護衛ですけど、おそらく本音はそちらでしょう。王国勢力圏の部族からの陳情が発端ですが、この辺りは良馬の産地にしておじう……公爵閣下の支持基盤や軍事基盤の一つでもございますので……って、あ! ちょっと! ユージオ様!?」


 話を打ち切るように、ユージオは草原をゆったりと歩き出した。遥か彼方では馬が走り、湿り気のない、爽やかな風が総髪を撫でる。ニエラの止める声に、心底面倒くさそうに振り返った。


「嬢。こういう場所はとりあえず歩かんとわからぬことが多い。青臭い匂いは鼻につくが、ほれ、馬の走りは悪くない」

「危ないじゃないですかって……よく見えますね」


 草原を駆ける馬は、ニエラから見れば豆粒のようにしか見えない。ユージオを生で見るようになってから、その凄さを改めて理解させられていた。


「そして敵の動きを見逃したら死ぬ。……このようにな」


 無造作に戻って来ていたはずのユージオ。その右手が空間を撫でると、次の瞬間には矢が握られていた。どこから射られたのかと、ニエラは困惑する。しかしユージオは、全て見切っていた。


「肝の太い奴がいるようだなァ、オイッ!」


 呼びかけた後、ユージオは矢を投げ返す。草原を健脚が踏み締め、上腕三頭筋が唸りを上げた直後、小さな悲鳴が上がった。するとそれを合図にしたかのように、鬨の声が響き渡った。


「て、敵と見なされたようですけど……」

「嬢はそこを動くな。たった二人、しかも軽装でこの地に入るなら想定内だ」


 ハッ、ハアッと意気を上げ、高速で二人を囲むのは毛皮をまとった十騎ほどの小部隊。どこから現れたのか、全く唐突な出現であった。草を蹴立てて、人馬一体の動きを見せる。しかしユージオは平然と言ってのける。


「随分とナメられたもんだなぁ?」


 並の人間ならば、この時点でひれ伏し、命を乞うていただろう。だが悲しいかな、彼らが取り囲んだのは地上最強の生物だった。

 ユージオは音もなく大地を蹴った。次の瞬間、囲いの一人から悲鳴が上がる。恐るべき動体視力と素早さで、馬上の男を蹴り落としたのだ。

 敵を蹴落としたユージオは反動を使って囲いに戻り、全員を見据える。「掛かってこい」という意志を、明確に撒き散らしていた。


「ホアッ! ハァーオ!?」

「セーイ!」


 巻狩程度と目論んでいたのだろう。遊牧民たちの空気があからさまに変わった。男の一人が手を上げると、包囲の輪が広がり、かわって弓の雨が降り注いだ。三十から四十人ほどの弓兵が草に潜み、外周を取り囲んでいたのだ。


「チッ!」


 ユージオはニエラを庇わんとした。しかしニエラは笑って制すると、ポケットから数枚の札を取り出し、地面に置いた。


「簡易発動札……結!」


 高い声と同時に、彼女は結界術式に包まれた。しかも、複数発動による多重術式だ。矢は次々と弾き返され、力なく草原の地に落ちた。


「ほう……」

「技術部の試験品を借りてきました。詠唱の手間が省けるそうです」

「砕くには骨が折れそうだ」


 ユージオはニエラに目を丸くしつつも、矢を回避し、はたき落としていた。彼の動体視力であれば、この程度は造作も無い。病毒を警戒し、横っ面を叩く余裕さえあった。いかに頑健な体を持っていようと、毒やふんが塗られたやじりによって熱病を発し、死に至った例は枚挙に暇ない。用心である。


「ケエエエーーーーッ!」


 再び男が手を上げた。よく見ると、他の連中より毛皮が一枚多い。首から胸にかけての、白い羽毛が際立っていた。おそらくは頭目だろう。弓が止まり、馬も静かにさせられる。ユージオの元へ、羽毛の男が騎乗のまま近付いて来た。


「『馬上より失礼いたす』と」

「嬢の領分だろう」


 頭目が部族の言葉で口火を切ると、ユージオはニエラを前に出した。実力行使の役はユージオだが、大将軍の命はニエラに下されている。

 ニエラは王国語や連合帝国語に通じ、魔界語も少しならこなせる。同様に、騎馬民族の言葉も共通語であれば苦労はしなかった。

 二言三言言葉を交わすと、頭目が慌てて跪いた。どうやらニエラの立場を理解したらしい。自分たちの存廃にかかわることをしでかしてしまったと、怯えているようだった。遊牧民たちもそれにならい、跪いていた。

 ユージオはその間、護衛として数歩離れて付いていた。しかしその鷲鼻がひくひくと動く。獣の臭いが、漂っていた。騎馬民族の気配に紛れて、こちらをうかがっている者がいる。


「ユージオ、彼らが自分たちの根拠地まで案内してくださいます」


 離れた場所からニエラの声。気がつけば彼女は馬上の人となり、騎馬民族とともに行動していた。ユージオはため息をつくと、のそりと彼女たちを追いかけた。


 ***


 半刻後。彼らがたどり着いたのは一面に広がる天幕――彼らはゲルと呼称する――の群れであった。


「これは……」

「我が部族の居住地です。近年、文明化によって集住が進んでおります。人馬連中の襲撃もあって、民も安心できる住まいを求めておるのです」


 部族を誇示する旗がずらりと並び、天幕が草原を埋め尽くす光景は、ユージオであっても息を呑む。ニエラに至っては口をあんぐりと開けていた。しかし頭目は前を見据えたまま、語る。彼らが聖地と崇める、北嶺の山並みが視線の先にあった。


「これでも偉大なるハーンには遠く及びません。彼の時代にはゲルと馬で緑があの山の向こうまで一切見えないとまで言われていたのです。我々はハーン直系の子孫です。祖に至らずとも、近付きたいという克己の心は、常に備えております」

「……ええ」


 言外に「蛮人とナメるな」と言い添えられ、ニエラは口をつぐんだ。そのまま緊張気味に、頭目へついていく。そんな彼女に、ユージオは口の形だけで言葉を伝えた。


【嬢。俺は残る】

【どうしたのですか?】

けて来ているのがいる。居住区には入れられんだろう。なに、万に一つキサマに触れるような輩がいたら、そいつは俺が殺す】

【わかりました。ご武運を】


 疑われないように手早く、二人は打ち合わせを終える。ユージオは気配を殺して隊列を離れ、仮想敵の臭いが付いてくることを確認してから声を発した。


「……出て来い。隠れていても、獣は臭いで分かるぞ?」


 ガッ!


 それはあまりにも突然だった。馬の蹄が、まったくの無言でユージオの後頭部を襲った。本来ならばあまりにも確殺の状況である。しかしユージオは滑らかに蹄をかわすと、凶相に笑みを浮かべて暗殺者と対峙した。


「人馬。正確にはケンタウル、だったか? なるほど、確かに未知だ」

「……ッ!」


 人馬は巨躯きょくである。草原の馬とは異なり、馬の部分だけでユージオの首ほどまでの高さがあった。その上に結合している人体の上半身も大きい。ユージオには劣るが、服の上からでもはっきりと分かるほどの筋肉を保有していた。


「その巨躯を牽引するのが人馬それぞれに備わる二つの心臓。しかし隠形術式とはいきなり穏やかじゃないな」

「うるさい。王国の排除、許さない。俺たち、やるべきことある」


 言葉が返ってきて、ほう、とユージオは言葉を吐いた。彼が『あちらの大陸』で聞いた言葉に、近かったのだ。彼にも多少は魔界語の心得がある。ならばと、ユージオは簡単な魔界語に切り替えた。


「なるほど。元はあっちか」

「なっ……」

「合わせてみた。驚くか?」

「ほ……ほざくなっ!」


 人馬は人間の足にして十歩ほどの間合いまで飛び退き、態勢を整える。両腕には二本の曲刀。なるほど、恐るべき威容である。だが。


「いい『餌』だ。食いでがある」


 ユージオは外套をまとったまま、悠然と進む。筋肉(にく)を震わせようともしない。顔には肉食獣の笑みが貼り付いていた。


「て、テメエッ……怖くねえのか!」

「強者が武器を持つならまだしも、弱者の護身術程度。怯える価値すらない」

「く、クソがっ! 死ねえッ!」


 人馬の暗殺者は四本の足で大地を蹴り、一気に距離を詰める。刀の間合いまで、ほとんど瞬時だ。だが。


「バカな……」

最初ハナっから勝負はついている。キサマは『餌』でしかない」


 ユージオが抜き打ちで放った拳が、真正面から人馬を捉えていた。間合いと加速度を見切った上で、突進力を跳ね返して余りある一撃だった。


「キサマ如き最初の襲撃で投げ殺せたが、それだと『餌』にもならないからな」

「か、こ……」


 人馬の肉体は、余りあるダメージに倒れる寸前だった。吹っ飛ぶまでもなく、横倒しになりかけ、ユージオに担がれる。外套こそ脱がないが、肩から腕にかけての全ての筋肉がミシミシと咆哮を上げていた。


「死なれると、俺が困るんでな」

「……」


 人馬はもはや抵抗の意志を持てなかった。ユージオに担がれるままに、忌まわしき敵地へと向かうことになる。

 ユージオはあくびを押し殺すと、小さくぼやいた。


「嬢も面倒なことを言ってくれる。殺すほうが遥かに楽だ」

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