過去語① VS勇者

 夜更け。とある貴族の屋敷の一室。魔導光の明かりを頼りに、資料を読み耽る女性がいた。細かい文字を読み取るための補助的なメガネを目に嵌めつつ、ある男の半生についての資料を読み込んでいた。


「ユージオ・バール。三十数年前、当王国サルツェル州にて生誕。近隣五つの村を束ねる大地主・バール男爵家の次男であり、父親もまた頑健で知られている。生来より気性が荒く、乳母の乳首を噛むなどの所業が記録あり。また、一部の乳母は『乳をよこせと脳へ直接命令された』という幻聴じみた証言を残している……」


 女性は帳面にまとめた文章を読み上げる。これから一番近くに立つことになる者としての、当然の努めだと彼女は考えていた。彼の主義、主張、信念を知らずに物を言うことは、彼への侮辱である。女性――ニエラ・ベルンディーは、心底そう考えていた。


「五歳にして無手の技に興味を持ち、七歳にして兄の家庭教師に付けた魔導師を殴り倒す。これを見た父は、隣の州にある教練所に彼を送り、寮生活を命じた。これは男爵家の後継者である、彼の兄を守るためだったと言えるだろう」


 ニエラは机近くに置かれた刻時機を見る。二十二刻をとうに過ぎ、二十三刻が近付いていた。深夜と言っても過言ではない。だが、今少しだけ煮詰めておきたかった。


「教練所においてもユージオは暴れん坊であった。段階を進む歩みこそ神童のそれであったが、およそ品性においては野生に等しい有様だった。猪を殺して肉を喰らい、魚を釣ってそれを喰らう。五年が過ぎる頃には遂に教練所までもが彼を持て余し、放逐を決議。ユージオはこれに対して同級全員を暴力で打ち倒し、自身から退所を宣言した」


 ニエラはため息をついた。およそ人と……否、聖教のともがらとは呼べぬ所業の数々である。親と目上を敬わず、命を無分別に貪り、暴力を振りかざして敵を打ち倒す。これを蛮人と言わずして、なんと呼べばいいのだろうか。


「と、とはいえ……伯父様の話では一応の礼節は心得ておられるそうですし。私とて、かつてあの人の肉体美に魅せられた者ですし」


 ニエラはフンと息を吐き、再び机にかじりついた。そこには伯父の前で見せる女の顔ではなく、『調査室』所属で鍛え上げた、学識調査員としての顔があった。


「十四歳。ユージオは冒険者の聖地ヴァーノンに現れ、冒険者となる。この時の神託によってジョブ【グラップラー武闘家】を取得。二年近くに渡る野山での修練を経た結果、恐るべき膂力と肉体を得ており、たちまち頭角を現す。十五歳。後に三十二代目勇者となる戦士ジョルジュのパーティーにスカウトされ、加入。たちまちパーティーは名を上げ、トラドル峠の邪竜討伐、西方大森林の第五層踏破など、次々に偉業を果たす。ユージオはその大半において、特に戦闘で功績を上げ続けた。おそらく、ジュルジュ以上の勲功を上げていただろう。しかし……」


 彼女は読み上げをためらった。ここから先が、彼の『地上最強への道』の始まりである。それは一つの決別から始まった。


 ***


「ジョル、キサマ今なんつった」

「ユージ、君をパーティーから追放する、と言った」

「ンだとぉ!?」


 十七歳の温暖期。未だ若いユージオは、三つ年上の戦士に食って掛かっていた。ギルドにほど近い森の中、パーティーから離れてのリーダーとの会話。しかしそこで聞かされたのは、ユージオにとっては考えてもいないセリフだった。


「ユージ。君をスカウトしたのは僕だから、誰よりも先にハッキリ言おう。先日成し遂げたミタギ山嶺の踏破により、遂に『勇者認定』の内示が来たんだ」

「おおっ! つまり晴れて俺たちは勇者パーティーに」


 かつては魔王を討つための対抗職であった勇者という地位も、人魔和約以降はすっかり形だけの物となっていた。数多いる冒険者のうち技量と品位、そして実績に優れたパーティーのリーダーが就任するのが勇者である。冒険者の最高地位として、その名誉が流用されているのだ。


「ユージ。その勇者認定の条件が、『君の追放』だ」

「は?」


 ユージオは改めて疑問の顔を浮かべた。勇者認定というのは本人はもちろん、所属するパーティーにとっても非常に名誉なことである。生半可な依頼には送り出せないためにギルドからは多額の給金が支払われ、たとえ物見遊山の移動であっても歓待がついて回る。そういう栄光が待ち受けているのだ。ゆえにユージオには、ジョルジュの発言の意味がわからなかった。


「もっとわかりやすく言うかい? 『君の言動は勇者の品位を汚すものになりうる。だから、君を外さない限り勇者とはしない』と言われたんだよ」

「……おかしいだろ、それはよぉ」


 ユージオは唸った。今にもジョルジュを殴りかねない目つきになっていた。八つ当たりに近いとわかっていても、彼に抗議するしかなかった。ジョルジュは心底悲しげな目をし、言葉を続けた。


「僕だって当然抗議はしたさ。だがどうしようもなかった。僕だって勇者にはなりたい。全冒険者の頂点、望まない意味がない」

「だから、俺を切ると」

「誤解を恐れずに言えば、そうなるね」

「……」


 ユージオは黙りこくった。空が黒くなってきたにもかかわらず、二人はその場から移動しようとはしなかった。


「わかった。よーくわかった」


 しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはユージオだった。それまで保たれていた三歩の間合いが崩れ、ユージオはジョルジュの胸ぐらをつかんだ。ジョルジュの顔が青くなるが、関係なく締め上げる。自分よりも背の低い体が、同じ目線になった。


「パーティーのリーダーはジョル、キサマだ。それがキサマの決断なら仕方ねえ。出て行ってやる」

「う、うぐう……」

「だから俺に勝ち、俺を処分しろ。勇者の格を見せつけろ」

「ぬ、ぬう……。へいわに、すませたかったけど……!」


 勇者に内定した男の右手が動くのを、ユージオは見た。己の肌へ、手が添えられる。その技は、無詠唱の氷結術式。慌てて降ろし、一歩引く。右手の蠢きは、まだ止まっていない。


「いきなり捨て身かよ。身内を切り捨てるクズらしいな」

「いきなり挑発かよ。品位に欠ける冒険者らしいな」


 ユージオは飛び退き、ジョルジュの左手からは火炎術式。小規模の爆発が起き、ユージオは吹き飛ばされる。巨躯が木にぶつかることにより、根本から折れ、倒れてきた。


「チッ!」


 その舌打ちは、どちらのものだったか。必殺の間合いが解けた両者は、互いに隙を窺いながら森を駆ける。どちらにとっても、思惑からは外れてしまう形となった。


「ぬんっ!」


 勇者が、闘気を込めた剣で木を切り倒す。ユージオめがけて倒れるが、彼はこれを跳躍でかわした。


「ハアッ!」


 ユージオが跳躍した後の勢いを使い、拳で大地を叩き割る。砂礫が飛び、地面が隆起するが、勇者は防御術式を使って身を守った。


 互いに遠距離からの攻撃に終始したのは、近接戦における危険を熟知していたからである。ユージオはジョルジュの術式戦闘力を恐れていたし、ジョルジュはユージオの近接戦闘能力を畏れていた。しかし黒くなっていた空がついに涙を零し、すぐさま号泣にまで至ると、とうとう両者は近付かざるを得なくなった。


 ***


 いまだに部屋の明かりは煌々と灯されていた。ニエラは乗ってきた気分が途切れることを嫌い、一気にコトを進める方向へとシフトしていた。


「第三十二代勇者の就任審議において、ユージオ・バール追放についての決議は明記されていない。このため、戦士ジョルジュによるユージオへの追放処分が、審議側からの指示だったかについての真相は一切不明である。だが肉食、先達への敬意の不足、傲岸不遜極まりないなど、ユージオがひたすらに悪印象を溜めていたことは間違いない」


 ニエラは背もたれに身を預け、天井を仰いだ。どうしてあの人は反感を買うような真似をしていたのかと、思考を巡らせる。たしかに彼は、唯我独尊が服を着て歩いているような人間だが、そこまでして強さにのみ従った理由だけは理解できなかった。


「なんでなの……?」


 虚空に放った問いかけに、答える者はいなかった。


 ***


 豪雨は両者の視界を狭め、気がつけば両者は一歩で踏み込める間合いにまで接近していた。互いの視線がわずかに交わった直後、ユージオは上に跳んだ。直後、ジョルジュの放った剣閃が、ユージオの元いた位置を通過した。動作の起こりを見切った、寸毫すんごうの判断である。

 しかし跳んだだけでは終わらせないのもユージオだ。森の木々を踏み台に使い、上下左右に跳んでジョルジュを幻惑させる。ユージオは巧みに、戦場を森の奥へと移動させていた。他のパーティーメンバーに見つかったが最後、間違いなく戦いは終わってしまう。


「シャオラッ!」


 誘導の限りを尽くしたユージオは、遂に攻撃に踏み切った。目いっぱいの加速を利用した、弾丸の如き襲撃。ジョルジュは防御術式でこれをガードするが、あまりの勢いに自身も吹っ飛び、転がされる。ユージオは弾き返されても巧みに姿勢を維持し、再び走る。

 手近な木を蹴り、三角飛びの要領で首筋を狙う。ジョルジュはこれを術式ではなく、腕で受けた。態勢を立て直すのに精一杯で、間に合わなかったのだ。ミシリ。手応えを感じさせる音が響く。ジョルジュが一気に間合いを取った。


「一本、もらったぜ」

「く……」


 利き腕をやられたジョルジュが膝をつく。ユージオは悠然と近づき、ジョルジュを見下ろした。果たしてその姿は、ジョルジュにはどう見えたのだろう。


「さあ、暴力の時間だぜ。勇者様よ」

「っ!」


 ジョルジュがツバを吐くが、ユージオは難なくかわした。その上で、無理矢理立たせる。襟首を掴んで引き寄せて。


「ドォラ!」


 頬に一発。手を離せば面白いように吹き飛び、木にぶつかった。ぐったりしているが、大怪我を負った様子はない。一応、これでも加減はしていた。


「一応、勇者様内定だからな。ぶち殺すと俺が捕まる」

「う、うう……」

「じゃあな、ジョル。追放は甘んじて受けるが、キサマは俺に負けた。よく覚えとけ」


 雨は小降りになり、捜索の声が聞こえ始めた。ユージオはジョルジュを見ることなく、足早にその場を去って行った。


 ***


 激流を相手に泳法の鍛錬を繰り返す内、気がつけば空は夕焼けに染まっていた。ユージオはふと思い出した過去の記憶に顔を歪め、消えゆく昼の光景に目を向けた。


「……ガラにもねえことをしてからこの方、思い出すことにロクなもんがねえな」


 吐き捨てる。普段なら愚痴はこぼさない。だが思い出したのが『始まりの記憶』ともなれば、思わず出てしまう。


「今から思えばアレも、十分ガラじゃねえな……」


 己への、嘲りをこぼす。しかし、あの勇者との一戦がきっかけだったことには変わりない。パーティーを去り、ギルドの保護下から離れた。失意の中で、彼は新たなる目標を組み立てたのだ。


「『勇者を倒し魔王をねじ伏せ、竜さえも打ち倒す地上最強の生物』。そりゃあ吟遊詩人も笑うよな」


 それは、一戦からしばらく後の記憶だった。野山を越えて久方ぶりに街道へ降りたユージオが耳にしたのは、新たなる勇者ジョルジュとそのパーティーを称える詩。歌い手の吟遊詩人に使い所を失った銀貨をくれてやり、名を問われて。半ば冗談のように、彼は名乗った。


「そうさな……『勇者よりも強い、地上最強の生き物』だ」

「アハハ! お客さん、冗談がうまいねえ! 勇者様より強い人間が、そうそういてた……」

「そうだな、冗談なら良かった。だが、俺は勇者を殴り飛ばした」

「え……?」


 吟遊詩人の顔が引きつる。ユージオは右の拳を握り、薄ら笑いさえ浮かべて、言葉を続けた。


「ああ、勇者を殴っただけじゃ足りなかったな。この世には古竜がいるし、絶海の向こうにゃ魔界もある。ふむ。足りねえな」


 吟遊詩人の顔から血の気が引き、風邪でも引いたかのように震え始めた。そして限界に達したのか、ついに声を上げて逃げ出した。


「う、うわあああ! 助けてくれ、気狂いだぁあああっっっ!」

「……」


 凄まじい勢いで荷物をまとめた詩人の姿を、ユージオは無言のまま見えなくなるまで見送った。彼には、詩人の逃げた意味が分からなかった。むしろ、詩人のほうが狂っているようにさえ見えた。


「目標が決まった。ありがとよ」


 ユージオは、久方ぶりに晴々とした気分に包まれていた。詩人への思いもそこらに、彼は歩き出す。目標へと弾む心に比べれば、景色も思考も、すべてが微々たるものだった。


「……征くか」


 彼の行き先は、まだ見ぬ強者たちへと向けられていた。

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