第7話 VS炎槍

「まださっきまでのほうが喰い甲斐があった。俺の想像を一歩も越えてねえ。キサマこの十年、一体なにをしていたッッッ!!!」


 すでに燃えるものさえもない草原くさはらに倒れた魔軍上皇は、魔素によって染まるあけ色の空を見上げ、好敵手からの罵倒を反芻していた。

 偉大なる好敵手の言葉は、不当な言いがかりである。されど、正しかった。上皇とて、全く武技を磨かなかったわけではない。だがユージオの鍛錬や闘争に比すれば、生温いものだったのだろう。おまけに戦の仕方までもが近視眼的。心身ともに、鍛錬が足りていなかった。

 全ては己に責がある。彼は心からそう思っていた。ならば、かつて多くの魔界の者が死したこの地で、己も土に還るのが良かろう。命をもって好敵手に償うのが、正しい謝罪だ。そう信じ、好敵手の手に掛からんとした。

 だがユージオの冷たい視線に触れた時、心に刺さるものがあった。自分がこのまま喉を突かれたとしても、ユージオは己を有象無象の『餌』として処理するだろう。当然、心には何一つとして残らない。

 屈辱だと、上皇は思った。十年前の戦で得た鮮烈な印象に対して、なにも刻み返せないまま、死に至る。それを容認できるか? 否。無価値。無意味。許し難し。

 上皇の心に、炎が灯った。己の贖罪と、彼に己を刻み込むこと。両方についての答えが灯った。同じ生命を懸けるにしても、やりようは己の中に転がっていた。炎帝竜の子孫を称するが故の、己だけのやり方が。

 だから、「それ」を魔軍上皇は行った。ユージオが指を振り下ろさんとした瞬間、彼は生命の息吹を炎に変え、解き放った。ユージオは引き、彼は自由を得た。炎を槍と変え、握り締めた。


「俺を謀るかよ」

「否。我が好敵手が指を構えるまでは折れていた」


 覚悟はとうにできていた。命尽きるまで地上最強の生物と戦う。腹が据わり、自然と口角が上がった。左手を好敵手にかざす。無詠唱の追尾術式。魔法陣が生まれ、追いかけ続け、繋ぎ止める。かつての戦では使用したのに、今回は無用なおごりで使いそこねていた。しかしもう韜晦(とうかい)は要らぬ。葛藤も要らぬ。ただ一人の魔界人として、すべてを賭けて。あの傲岸不遜な男に、己の生きた証を刻み込むのだ。


「アイイイヤアアアッッッ!!!」


 追尾を避けきれず、遂に拘束されたユージオめがけ、上皇は槍を構え、蛮声とともに突き出した。槍は一直線に心臓を目指すが、ユージオは身をよじってこれをかわす。肌の焼ける音が、魔王の耳に小さく響く。ユージオの顔が、怒りに歪んでいた。


「おい、キサマまさか」

「応! 命炎槍みょうえんそう。我が命を注ぐことで、この槍は燃え上がる。ハアッ!」


 バウッ!


 槍が爆発的に燃え上がり、ユージオの肌を焼く。先代魔王は伸び切った槍を縦に回転させて引き戻す。同時に柄と穂先が入れ替わり、槍としての示威効果も維持する。不定形の槍ならではの技だった。


「ふんぬぅ!」


 しかしユージオも負けていなかった。持ち前の膂力、そして己がまとう炎で拘束を引き千切り、自由を取り戻す。手首から肘にかけての筋肉が、異常に盛り上がっていた。炎槍も意に介さず、魔軍上皇めがけて突っ込んでいく。蹴り上げた大地が、大きく爆ぜた。


「ぐうっ!」


 人間砲弾の如き突進を、魔軍上皇は腰を落として受け止めんとした。だが、筋力に突進力まで乗せたユージオの体当たりには敵わなかった。あえなく吹っ飛ばされ、数回転がって立ち上がる。並の人間ならば、この一撃で轢殺されていたことだろう。だが、上皇は耐えた。


「命懸けとかそういうの、俺ぁ嫌いなんだよ」


 ユージオと上皇の視線が交わる。怒りを隠さぬユージオに、上皇は槍を手放さず、ただ彼を見つめる。互いの視線が、火花を散らす。


「おぬしが嫌いでも構わんよ。我が望みは、おぬしに我を刻むこと。それがおぬしの敗北に至るならば、なお最上」

「王子に恋い焦がれる処女おとめかよ」

「かもしれぬ」


 ここまで言った後、両者は笑い合った。嘲笑でも何者でもなく、ただ腹の底から笑い合った。感情の交わりはしかし、刹那の後にはまた分かたれる。


「ちぇりゃあ!」

「ヌルい! 後どのくらいだ?」

「半刻も保てばよかろう!」

「それで果たせると思うか?」


 二合ほどの攻防の後、ユージオが加速した。まとう炎が、空気との摩擦で激しさを増す。


「やれるものならやってみろ!」


 魔軍上皇を襲うは暴力の嵐。突き出し、薙ぎ、斬り裂きに行く炎槍をものともせず、蹴りで受け、腕で受け、叩き伏せる豪腕を振るう。人ならざる獣の襲撃に、徐々に彼は気圧されていく。


「それで望みが叶うと思うか! その程度で俺がキサマを認めると思うか! ホザいた言葉は、飲み込めんぞッッッ!!!」

「ぬうう……」


 暴力に乗せて襲い掛かるは、挑発めいた罵倒。好敵手からの叫びに、上皇は歯を食いしばる。


「俺の嫌うことをしてでも俺に敗北を味あわせたいと言うのなら! 相応の覚悟を抱いて来い!」


 ユージオのかいなが、炎槍を断ち切らんとする。炎槍が断ち切られれば命を注ぐ場がなくなり、上皇の命脈は保たれる。しかしそれは彼にとっての完全敗北。屈辱でしかない。ゆえに、命の炎は燃え上がる!


「……ハアアアッッッ!」


 振り下ろされるユージオの腕をギリギリまで引きつけて、先代魔王は槍に命を注いだ。命炎槍が爆ぜるように燃え、ユージオの炎を打ち破る。ダメージを与える。


「っぐ……!」

「おおおおお!」


 上皇は、最大最後の好機を逃さなかった。好敵手を失望させた己への怒りも、贖罪の意志も、地上最強生物を謳歌するこの男への多くの感情も、全てまとめて注ぎ込まんとした。刻み込まんとした。


「お、お、お、お、お!!!」


 炎槍はさらに燃え上がり、炎の刀とでも称するべき姿になっていた。半分手を焦がしながら踏み込む上皇の剣筋に、ユージオは思わず飛び退いた。逃げを打った。背こそ向けてはいないが、間合いを嫌ってしまった。


「……ようやく見えたぜ、心底の本気ってものがよぉ」

「まだだ。まだ終わっていない」


 雄叫び一つ上げて、魔軍上皇が踏み込んだ。もはや注げる生命力はほとんどない。残るは二振りか、三振りか。だが、目の前の男を逃がすつもりはなかった。

 一振り目をかいくぐって、ユージオは考える。このまま逃げて勝利したところで、地上最強の異名にもとる。恥でしかない。

 ここで両者の思考は、奇妙な一致を果たした。次の一撃で、この戦を終わらせる。


「来いや」

「応」


 ユージオが挑発し、魔軍上皇が応えた。

 ユージオは筋肉を振り絞り、右の腕に雷をまとっていた。

 先代魔王は刀じみた炎槍を上段に掲げた。気がつけば、身体のほとんどが黒ずんでいた。


「ッッッ!!!」


 刹那、両者がほぼ同時に動いた。炎槍はユージオを両断せんとし、ユージオの拳は音に至らんかという速さで先代魔王の顔面を狙った。両者の一撃が交錯し、荒れ果てた古戦場に光が走った――。


 ***


「……で、結果はどうなったのですか?」

「アレが語らろうとすらせぬものを、ワシが聞き出せるはずもなかろう」


 人界大陸、王都。大将軍は私邸に、一人の女を招いていた。茶を差し出し、応接間で直に顔を合わせる。およそ貴族のふるまいとは思えぬ出迎えであった。


「そうですか……。せっかくの大戦おおいくさでしたのに。わかりました。ならば直接御本人様から」

「やめてくれ。ただでさえ魔界大陸から帰って以来、アレは憮然としていることが増えた。ユージオがあの顔をする時は、たいていロクでもないことがあった時なのだ」


 女は優雅にカップへ口をつける。陶器の名産地から献上された、王族のそれに勝るとも劣らぬ一品であった。女の柔らかな唇がカップの縁をそっと撫で、液体が吸い込まれていく。こくん、こくんと二度音が鳴り、彼女はほう、と息を吐いた。そしてにこりと、小首を傾け。


「美味しゅうございます。伯父様」

「伯父を相手に棘を見せるでない。……否、わかっておるからか」

「そうですわよ、伯父様」


 王国大将軍――ゴルニーゼ・ベルンディーは、厳つい顔に似合わぬ苦笑を浮かべた。刀傷を備えた隻眼に、灰色混じりの髭。我ながら女子を歓待するには向かない顔だと、心中にて自身を嘲笑った。ユージオがこの姿を見たら、大爆笑だろうな、と思い、さらに顔が歪んだ。


「伯父様?」

「あ、いや。済まない。アレだ。『調査室』の業務は順調かね?」

「ええ、順調ですわよ。って、まさか」


 弟の娘――すなわち姪にあたるニエラ・ベルンディーの眉根が寄るのを見て、ゴルニーゼは心の底から謝罪の意志に駆られた。己が今少し気を張っていれば、大公家の暗躍を許すことはなかった。愛する姪を危険にさらし、友に首輪をつける事態には至らなかったのだと。


「うむ。ニエラには苦労をかけることになる。ユージオの魔界行きが、貴族どもの間で問題になってな」

「大公家に嗅ぎつけられましたか」

「うむ。『管理が行き届いていないのでは?』とな。名目上とはいえ、魔界は人界全ての仮想敵。そこに渡ることへの嫌疑が掛かったというわけだ」


 なるほど、と答えて美しい姪は再び唇を潤した。金の髪を三編みにして右肩から垂らし、黒長袖のドレスがよく似合う。弟夫婦からは「良き相手を」とせっつかれていたが、ゴルニーゼは彼女の適性を他に見出していた。


「……つまり伯父様はわたくしに、『ユージオ様の監視役となれ』と仰っしゃりたいのですわね?」

「そういうことだ」


 姪の目の色が変わったのを、ゴルニーゼは正確に捉えた。事実、目の前に座る姪は、プルプルと震えていた。それは恐怖か、異なるなにかか。ゴルニーゼは、知ることを避けた。


「いいんですの? 大切な姪が、奪われる恐れがありますわよ?」

「構わん。お前を信用している」

「あの方は信用していないのですね」


 ニコリともせずに言う姪に、ゴルニーゼは冷や汗をかく。事実だからだ。ハッキリ言って、大きな賭けでしかない。だが、そうなったらそうなったで仕方がないとも思っていた。


「まあ、いいでしょう」


 姪がしゃなりと席を立つ。その姿さえも美しい。だがゴルニーゼが賭けているのは、彼女のもう一つの姿だった。


「あの方のお隣に立てるなんて、ありがたいことですもの。詳しいお話はまた伺いますわ。それでは」


 ニエラが足早に辞去するさまを見送り、ゴルニーゼは天を仰いだ。彼が次に説得する相手は、『不機嫌極まりない状態の、地上最強の生物』だった。

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