第6話 VS魔軍上皇
結局魔軍上皇との一戦は一旦預りとなり、ユージオは魔軍上皇及び当代魔王の客人として、魔王城の一室を借り受けることとなった。
当然反発はあった。あったが、四天王が敗北し、魔王二名が名を連ねて客分とした相手に、どのような反抗ができるであろうか。そういうわけで数日間、彼は傷を癒やし、大食し、我が物のごとく振る舞い、城のメイド以下、下働きをヤキモキさせていた。
しかしそんな日々は遂に終わりを告げる。その日の朝食後、ユージオの顔は喜色に包まれていた。長らく待っていた男――魔軍上皇が、ようやく己の元へと現れたからだ。
魔軍上皇は開幕一番、身にしていた豪奢極まりない装束を脱ぎ捨てた。引き締まり、無駄な肉のない上半身は、人界大陸の裸体像を思わせる。
これを受け、ユージオも当然のように上半身を晒した。先の戦で、またしても傷は増えた。増えたが、彼の獣性を高める要素にしかならなかった。彫刻の美に対抗しうる、野生の荒々しさ、雄々しさがそこにはあった。
「仕上げてきたか」
「無論だ、我が好敵手」
互いを見据え、言葉を交わす。とはいえ、もはや多くは要らなかった。
「地下か?」
「いや、地下では少々暴れにくい。だが南に二刻も行けば、広い古戦場がある。どうだ」
「良かろう」
「ならば行こうか」
「行こう」
そういうことになった。
***
ええ、その日のことですよね? 覚えとりますよ。あたしゃこれでも魔王様直轄の馬車部隊の者だったんですが、いきなり上皇様と客人様が現れまして。ええ、ギリガバルの古戦場へ連れて行けと。
ええ、ええ。お二人ともどういうわけか上半身が裸でした。魔王……失礼、上皇様がまず凄まじいオーラを放っておりまして、ええ。客人の方も負けておりませんでしたので。もう息が止まりそうでした。真っ直ぐに見たら、恐らくホントに死んでいたでしょうね。
まあ……美しいものでしたよ。上皇様が彫像だとすれば、お客人は甲冑でしたね。荒々しいと言いますか。戦用に設えられたものだと感じました。
間違ってもアタシにそういう趣味はありゃしませんが、男に生まれて、肉体美に焦がれないほうが野暮ってものでしょう。まあね。ヨボヨボの御者が言っても、説得力なんざなんもありゃしませんが。
……話を戻しましょうか。ええ、ギリガバルまでは馬車で二刻ほどです。朝の七刻半頃に馬車を出せとおっしゃられましたんで、九刻の半過ぎには着いたと記憶しております。
その間ずっと、お二人は無言でした。寒くはないのかと、御者ながらに思いました。ですが、問いかけの一つさえも憚られる空気でした。今思えば、お二人は心を交わし合い、幾重もの攻防を繰り返していたのでしょう。現地に到着して、汗だらけのお二人を見送りました。直後、うっかり馬車を支えにしてしまいまして。「熱かった」んですよ。肌がジュッと、焼けたんです。
ありえないでしょう。当時、魔界大陸は肌寒い時期だったんです。なのに、馬車はともかく、お二人を乗せていた席、空間までもが熱かった。まるで、既に勝負が行われたかのようでしたよ……。
で、上皇様は下々のことなんか気にかけませんからね。更に命令を下すったんですわ。「我らが草原に下りたら、馬を
……驚きましたよ。二人の周りの景色が、歪んで見えました。ぐんにゃりと、ですよ。後々になって、アレを陽炎というのだと知りました。上皇様が火竜の血脈とは聞いておりましたが、客人様の熱量も恐ろしいもんでした。
ともかく、あたしは命令通りに馬にムチをくれてやりました。その後ですか? 存じません。逃げるように帰りました。なにせ、この世のものとは思えない咆哮が轟きましたから。
***
「――――――ッッッ!!!」
両者の蛮声は、草原を大きく揺るがした。音の波が木々を震わせ、鳥を、獣を落ち延びさせた。
「ぬぅうううんんん!」
上皇の身体が、膨れ上がる。いわゆるパンプアップ。強化魔法と筋肉増強の組み合わせ。一時的とはいえ、己の体をユージオの倍近くにまで膨らませた。大きさとは力、そして強さである。いかに地上最強の生物と謳われるユージオをもってしても、この理からは逃れられない。
「キサマも使うか、その手をよ」
「好敵手に勝つためならば、どんな手でも使う。正々堂々にこだわり、使える手を使わずして負けるのは阿呆の所業。だろう?」
「間違ってねえなッ!」
一方、見上げる形となってしまったユージオも、己の手の内を隠さなかった。四肢に雷を纏わせ、
「おおしゃあ!」
先手を打ったのは雷の方であった。跳躍力と加速力を駆使し、巨体へ駆け上ろうと試みる。だが魔軍上皇からは炎の砲撃が飛んで来た。十年前の火炎弾の比ではない。巨大化によって高められた、相応の火炎弾だ。しかしユージオは跳躍でかわし、拳と蹴りで相殺する。
「ハッハァ! 相変わらず炎使いが達者だな!」
「これでも炎帝竜の末裔を名乗っているのでな! 炎の扱いでは誰にも負けられん! そぉら!」
声と同時に起こるは火炎竜巻。三百年前、魔界を二つに割り、対軍魔法を撃ち合う一大戦役が起きた地。今また、たった二人の戦によって炎に覆われた。
「オオシャア!」
ユージオも負けてはいない。自身を巻き込む勢いの火炎竜巻に対し、超速の逆回転で吹き飛ばし、相対する。その上、火炎の隙間からいつでも飛び出す気構えでいた。魔軍上皇はその気迫に、さらなる一撃で対応する。
「ハァッ! ハッ、ハッ、ハッ、ハァッ!」
連続の火炎弾。通常ではありえない角度から、ユージオを焼く。しかし彼は、ニンマリと口角を上げた。背中の筋肉が盛り上がり、傷痕が異様な絵を描き出す。いかに間合いを取ろうと、ユージオの近接戦闘力を恐れようと。ユージオ・バールには思惑を打ち砕く手段がある!
「オルアッ!!!」
雷速の右拳で、大地を砕き、土塊を飛ばす。二発、三発。火炎竜巻を突破し、魔軍上皇へと突き刺さる。
「うっ……!」
魔軍上皇が足を引き、火炎竜巻が散る。ユージオの狙い通りだった。すかさず大地を蹴り、飛び上がる。肌は焦げたが、その動きに緩みはない。一足で己に倍する身体を駆け上り、その顎先をカチ上げた!
「お゛っ……!」
顎先は人体における弱点の一つだ。魔界人であっても、人の形である限りは免れ得ない。脳が揺さぶられ、
ゴッ!
鈍い音が自分の体を通して響いたことを、先代魔王はわずかに遅れて感じ取った。眉間への強打。意識が、再度刈り取られる。パンプアップを維持できず、身体がしぼんでいく。はるか上、ユージオの三撃目が空を切るのが見えた。ならば。
「火竜!」
直線状に放った牽制の炎は、いともたやすく避けられた。しかし息をつく間もない攻防に、かすかな空白が生まれた。両者が大地に立ち、呼吸を深め、にらみ合う。制御を失った火が燃え広がり、両者と外界を阻む、即席の結界を生み出した。
「ククッ」
その声はどちらから発せられたか。だが、二人とも嗤い合っていた。強者に出会えた喜び。一瞬のスキも逃さない戦の喜び。二人は今、闘争を謳歌していた。炎の中であっても、衝動は消えなかった。
「オオオシャア!」
「キエイアアアア!」
咆哮。蛮声。拳と蹴り。ゼロ距離の攻防にルールなし。一手殴れば三手が返り、三手が返れば五手で攻守をひっくり返す。常人には見切れぬ、異様なる速度の攻防。ユージオでなくば、とうに破れていただろう。
「タルァ!」
奇声を上げ、魔軍上皇がユージオの眼球を狙った。だがユージオは両の眼球めがけて伸びる指、その隙間に手刀を滑り込ませた。類稀な動体視力が、人差し指と中指の間を押し広げていく。
「ぐっ!」
「フンッ!」
指が裂けた、魔軍上皇の顔が歪む。右腕を引っ込める。しかしユージオが一手速い。上皇の左足を踏みつけ、今一度のアッパーで顎を狙う。上皇は屈んでこれをかわす。左足を護る。意識の刈り取りを防ぐ。両方を成す、数少ない選択肢。
「オオラァ!」
ここで魔軍上皇は己に強いた。屈み込みから立ち上がる勢いで、右拳をユージオの腹にブチ込まんとした。ユージオの腹筋は硬い。並の一撃ではびくともしない。必要なのは、臓器を狙う確かな一撃。だが――。
「オイ、拳闘じゃねえだろ、これはよ」
上皇の身体が、宙に浮いた。ユージオの一瞬の動き。踏みつけていた足を外し、素早く刈ったのだ。体重が前に寄っていた上皇に、これを凌ぐ術はなかった。横転し、地面に叩きつけられる。
「ぐうっ……」
「キサマ、魔王のやりすぎで弱くなったか? これが戦だと忘れてねえか?」
「……むんっ!」
後転を使って起き上がり、魔軍上皇は再び仕掛けた。見かけ上は鋭い攻め。拳に足、貫手に突きに蹴りや薙ぎ。荒々しい連撃。しかしユージオは揺るがない。さばく、かわす。しかも前進する。無論並大抵の技ではない。ユージオだからこそ、この境地にある。
「まださっきまでのほうが喰い甲斐があった。俺の想像を一歩も越えてねえ。キサマはそんなもんじゃねえ。キサマこの十年、一体なにをしていたッッッ!!!」
特に振りかぶりも、筋肉の脈動もないただの一撃が、最短距離で魔軍上皇の頬を打つ。脳が揺れ、あっさりと膝が落ちた。心が崩折れる音がした。本能のままに大の字に倒れれば、剥き出しの肌が、暖かく感じた。
「…………」
倒れた上皇を、ユージオは冷たく見つめていた。失望のみが、心を埋め尽くしていた。己は貪欲に強さを求めてきたのに、目の前で転がる男はそれを怠った。今の敵手に、かつての地位はない。上を目指す欲望もない。ここから立ち上がり、肉を噛み千切ってでも抵抗する構えもない。ならば、せめて苦しませずに葬るまで。
すでに、周囲の炎は燻るばかりとなっていた。ユージオは五指の指先で魔軍上皇の喉を貫き、引導を渡さんとした。失望が視界を狭めていることに、彼は気づけなかった。敵手の身体を跨いで立ち、必殺の
「っ!」
反射的に飛び退けば、元立っていた場所を炎が通過した。魔軍上皇の口から赤々と伸びたそれは、やがて煌めく槍の形を取り、中空に浮かんだ。ユージオは腰を落とし、次の動きに備えた。
「仕留める、とはいかぬか」
ゆったりと起き上がった上皇が、炎の槍を手に取った。先ほどまでの姿は、欺瞞だったのか。そう疑いたくなるほどに、精悍な顔つきを見せていた。
「俺を謀るかよ」
「否。我が好敵手が指を構えるまでは、心が折れていた」
口の右端を吊り上げた上皇は、右手一本で炎槍を回し、左手をユージオに向けてかざした。無詠唱の拘束魔法。魔法陣が無数に、次々と現れてユージオを追う。
「チィッ!」
ユージオは逃走を選んだ。四肢に稲妻を纏い、間合いを広げていく。しかし魔法陣は追尾魔法によって制御され、光条を描いて繋がり、追いかけて来る。ここに形勢は逆転した。だがユージオは、それでも勝利への自信を隠さなかった。
(次回に続く)
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