第5話 VS魔王軍四天王

 魔軍上皇からの号令が、彼女たちの戦の始まりだった。当代魔王侍従長にして四天王筆頭であるマナリアは、まず己の技としてコウモリを放つ。続いて、ヴァンパイアの血脈を引くドーショウに視線を送った。事前に交わしていた、符丁による陣。

 二人が操るコウモリによって、ユージオ・バールから三次元戦闘能力を奪い去る。観客の貴族からは不興を買うだろう。しかし上皇に挑まんとする不遜な敵は、完膚無きまでに打ち倒さねばならなかった。


「ちいっ!」


 敵手の唸る声が聞こえた。目論見通りと、マナリアはほくそ笑んだ。ドーショウの操る側のコウモリには、吸血種もいたと記憶している。その鋭い牙ならは、あの黒光りする筋肉にくの鎧さえも貫くだろう。そして。


「参る」

「魔導装甲服、着装完了! ラームニャーザ、いっきまーすっ!」


 大太刀がコウモリを押しのけて。滑らかなスーツを着込んだ娘が、コウモリの下に潜り込んで。それぞれの手段でユージオへと襲いかかる。だが。


「ナメるな貴様ッ!」


 一喝とともに、まずユージオの近場にいたコウモリが弾けた。続いて大太刀の男と、鎧装の少女が弾ける。そして。


「多少の吸血で、この俺が止まると思うたかっ!」


 弾かれたコウモリを伝い、未だに近くを舞うコウモリを撃ち落とし、ユージオが空へと駆け上がる! 強引に空を取り戻したユージオが、こちらを窺ってきた。どれから倒そうかと、思案している。マナリアがそう気づいた時、高い絶叫が響いた。


「とったああああ!」


 ラームニャーザ。ユージオの背。少女が弾き飛ばされていたはずの方角を見る。消えていた。それでからくりは判明した。スーツの補助機能と、ドーショウの幻惑魔法だ。補助を忘れ、思わず仰ぎ見る。


「チイッ!」


 ユージオが反転からの蹴り。しかしラームニャーザがわずかに早い。蹴りの空振る音で、マナリアは自分のすべきことを思い出す。着地予想点ギリギリに立つ。あとは。


「コウモリよ、縄に変じて敵を縛れ!」


 コウモリの生き残りを縄と変え、瞬く間にユージオを縛り上げる。砂地に叩き付け、再び引っ張り上げる。その正面には同志であるキマサ。勝利を確信し、彼の正面へ突き出す。


「口ほどにもなし。斬首、執行」


 キマサが抜刀。神速の刃が唸りを上げる。だが二人には盲点があった。ユージオのくすぶる闘気。コウモリ縄が燃え、元の形へと戻ってしまう。


「なっ!?」


 コウモリはたちまち逃げ出し、ユージオが解き放たれる。斬首の一撃は、バク宙によって不意と化した。コウモリが己の元に飛び込んで来る。マナリアは、軽く息を吐いた。


「いくらなんでも、冗談が過ぎませんか? コウモリが怯えてしまいました」

「魔王とやりあってからだな。話に聞くには、魔素を吸ったせいらしい」


 ユージオは息を整える。敵手も遠巻きにこちらを窺っていた。ジリジリとした探り合いの合間に、肌からは陽炎が立ち上っていた。

 しかし妙だと、ユージオは思った。四方を囲む敵手が、ジリジリと周回を繰り返している。視線を送り続けているうち、彼らが徐々に加速しているようにも見えた。だが。


「破ッ!」

「せりゃーっ!」


 低い声と高い声。地を擦るような低空突進を行う男子と、上空高く舞い上がり羽ばたく女子。わずかに見る円陣には、未だ二人が残っている。回り続けている。これは。


「幻惑かっ!」

「斬ッ!」


 大太刀に不似合いな神速の斬撃が、見えざる刃となって斬り上がってくる!


「ちいいッ!」


 ユージオはこれに対して素早く屈み、踏み込んだ。刃がわずかに、ユージオの肌を撫でていく。だが斬り上げが終わったその時、立場は逆転した。


「筋はいい。狙いもいい。だが、振りがデカいぜ」


 筋肉の収縮。そして爆発。昇り竜のごときアッパーで、キマサの顎をぶっ飛ばす。一瞬重力から解放されたオーガ種の身体は、意識を取り戻すことなく砂地に沈んだ。あまりの速さに、残りの四天王も動けなかった。だが、次善の策は飛んで来る。


「ンッ!」

「即席の戦術ですが……。ハッ!」


 マナリアからの先読みのナイフ。数が多い。ドーショウからは霧。身をよじって着地点をずらすが、そこにもナイフ。発射点を潰すかと視線をやれば、霧と幻惑魔法が覆い隠していた。さらに。


「ラームニャーザ、いっきまーすっ! ハアアアアアッ!!!!!」


 霧の向こうの複数の声。甲高い声。羽ばたきから、機を窺っていたか。幻惑魔法による撹乱もあると踏み、ユージオは防御を固めた。大技が、来る。


「メテオストライク・キーーーーーック!!!」


 それは、対都市魔法級の魔力を溜め込んだ一撃。ユージオただ一人めがけて放たれる、一都市を灰燼に帰す絶命の大技。声と同時に、視界が晴れる。だが敵は八方から迫っていた。わずかな猶予。本体を見極めねば死ぬ。ユージオは目を閉じ、鼻を利かせた。彼の動きで、砂塵が舞い上がり――


「――――ッッッッッ!」


 稲光をまとった剛拳が、装甲服の少女、その本体を捉えていた。


「な、んで……?」


 ラームニャーザは、戦慄した。本来ならばキックが刺さると同時に魔力の奔流がユージオを襲い、屠るはずだった。なのに、彼は生きている。吹き飛ぶことも、意識を失うこともない。健在の男は、たった三言ですべてを終わらせた。


「説明の義理はない。臭い、それとカウンター。以上だ」


 ビシィッ!


 彼女の耳が、魔力反動による装甲服の崩壊を聞き取った。音は連鎖し、広がり、そして。


「きゃいんっ!」


 小規模爆発と同時に、ラームニャーザは装甲服から吐き出された。安全装置によって地面に投げ出された少女は、そのまま倒れ込むことしかできなかった。


「さあどうする。降参するなら今のうちだぜ」


 一方ユージオの目は、すでに残りの二人へと向いていた。避難のため上空に浮かぶ二人。その肩越しに、魔神へと祈りを捧げる貴族が見えた。感慨はない。彼らの考えが甘かったのだ。


「貴方こそどうするのです? そこはもはや溶岩の沼ですよ?」


 それは唐突な問い返しだった。ヴァンパイアの男が、密かに笑う。ユージオは、目を見開いた。砂地だったはずの戦場が、いつしかマグマの滾る沼へと変わっていた。足場は数えるほどしかなく、そのうちの一つに彼は乗っていた。

 幻惑だ。ユージオは瞬時に理解した。だが身体は、現実的に反応してしまう。汗が滴り落ち、陽炎が視界を奪う。しかしユージオは己に強い、吠えた。


「知るかあっ!」


 筋肉を凝縮させ、二人へと跳ぶ。雷を纏い、弾丸のように突進する。だがマナリアは目の前で消え、不可視の壁がユージオを阻んだ。


「ぬうっ!」

「この程度の防盾ぼうじゅん魔法さえも、読めませんでしたか? これならば……」


 ヴァンパイアの唇が吊り上がるのを、ユージオは見た。高らかに告げられたのは反転魔法。受けた衝撃を倍にして返す、対人魔法の秘儀。盾に食らわせた一撃が反転し、吹き飛ばされる。意識は保ちつつも、高度が落ちる。さらにはナイフが、襲い来たった。複数。防御は追いつかぬ。


「堕ちろ堕ちろ堕ちろ堕ちろ堕ちろ!!!!!」

「ぬううううっ!!!」


 憎しみのこもった罵声が、殺意のこもったナイフが、ユージオを溶岩へと追い落としていく。いよいよまずいかと、覚悟を決める。その時、彼の視界に飛び込むものがあった。

 ユージオはある確信を抱きつつ、運否を天に問うた――!


 ***


「殺った」


 暗殺者アサシン時代の声色に戻ったことにも気づかず、彼女はつぶやいた。地上に漂うのは砂煙であり、溶岩の湯気であった。ユージオの脳は、闘技場の砂地を溶岩と認識しているはずだった。それが、ドーショウの幻惑魔法だからだ。

 故に砂煙が晴れた瞬間、彼女は目を見開いた。溶岩という名の砂地に落ちたユージオは、己の脳に騙されて死ぬはずだった。なのに、なぜ。


「なぜだぁーーーッ? なぜ生きている!」


 同志の声で、改めて認識した。そうだ。怨敵は、己から陛下を奪わんとする傲慢なる敵は。


「『受け身を取った』。それだけだ。運否天賦は嫌いだが、見物人ぐらいは騙しとけよな。十割死んだと思ったら、生きる確率が七三しちさんに化けやがったじゃねえか」

「ぐぬう!」


 同志の歯噛みの音が聞こえた。怨敵は砂地に座り、こちらを睨みつけていた。マナリアは思い起こす。十年前、自分は補助しかできなかった。暗殺者上がりだったが故に技を封じ、メイドに徹した。その結果だった。

 師たる先代の侍従長はそんなマナリアを叱責した。なぜ腕を偽ったのかと。なぜすべてを尽くさなかったのかと。マナリアは自身の不始末を認め、深く悔いた。以来、暗殺者としての鍛錬も積み重ねてきた。魔王を守るため、メイドであるため。彼女はすべてを尽くして魔王に貢献し続けた。

 なのに。なのに魔王――今は魔軍上皇となった者――は、無為な戦を挑まんとしている。彼女の思いを、無に帰そうとしている。だからこそ、止めるために決起した。卑怯者とそしられようと。戦を挑んだ。なのに。


「なぜ私は、四人で攻撃することを放棄した……!」


 口の中でつぶやいた。同士討ちの危険、数的有利、個人卓越者ゆえの連携不備……上がる項目は幾重もあった。だがユージオを倒すのならば、賭けるに足る項目だった。ならば、なぜ……


「さぁて、貴様らはちぃとおフザケが過ぎた……! ……ブッ倒す」


 思考を打ち切るように、ユージオから処刑宣告が下された。そして急加速。かき消える。捉えられない。


「早い!」

「縛……詠唱破棄でも追い付きませんか!」


 翻弄される。連携が寸断される。異常に早い怨敵は、ドーショウへと向かっていく。幻惑魔法も、もう通用しなかった。


「邪ッッッ!!!」


 殴打の音が、遅れてマナリアの耳を叩く。あのヴァンパイアが、いとも簡単に吹っ飛ばされていた。背中の羽を広げ、姿勢制御を試みる同志。だが、彼女は見た。


「ドーショウ、上……」

「コウモリ、幻惑、そしてまやかし。よくもまあやってくれた。コイツは褒美だ。堕ちとけ」

「ごふっ!」


 同志が背中の上から、重い一撃で叩き落される。撃墜。あまりに地面が近く、救出には至らなかった。踏み固められた砂に、同胞の惨めな姿がまた一つ。巧みな着地を見せた怨敵が、こちらを一瞥。


「来るか」

「行きますとも」


 結論は出ていた。結局の所、最後まで自分は自分を大きく見せたかっただけなのだ。魔軍上皇に、新しい魔王に。そして敵手に。味方を自在に操る策士と偽り、きらびやかに見せたかっただけなのだ。そんな浅い欲望は、引きちぎられて当然なのだ。

 故に、マナリアはさらけ出すことにした。メイド服は暗殺者の戦装束へと変わり、傷だらけの四肢さえも、あらわにした。手にしたナイフは四本。唱えるは隠形の魔法。もはや隠す必要はない。隠してもいいのは、己の姿のみ。だがそれでも、怨敵の挙動が早い。判断が早い。


「シャッ!」


 即席の砂嵐――卓越した膂力で、砂を投げつけたもの――がマナリアを痛めつける。先人たちの歯や牙の残骸が、己への武器となって襲い来る。魔界の決闘場、処刑場としての歴史が、期せずして己を苛んだ。


「くっ!」


 それでもマナリアは口から鬼火を吹いた。だがこれを怨敵は拳で受けた。動きが崩れない。ダメージを与えられない。

 ならば再度、と思ったその時には、怨敵の禍々しき顔が目の前にいた。両手首を掴まれ、動きを止められる。握り潰さんばかりの力の前に、ナイフはあっけなく手から落ちた。


「終わりだ」


 マナリアはユージオの凶相を見た。嗤っていた。折る。本能が理解した。マナリアは最後の手を打った。奥歯に埋め込んだ毒薬を取り出す。誤って飲み込めば死ぬ、命懸けの一撃。袋を噛み潰し、唾液に混ぜ……放つ。もはや術ではない。ただの毒霧だ。だが勝機を生み出す可能性はあった。狙いは顔面。しかし。


「っ……!」


 思わず飲み込みかねないほどの動揺が彼女を襲った。マナリアの唇は、ユージオのそれで塞がれていた。恐るべき吸引力で、唾液と薬が吸い出される。呼吸が戻った時には、砂上に吐き捨てられていた。


「はっ、はっ……」


 荒い呼吸のまま、怨敵を見る。手首のロックは解かれていない。毒を吸った影響も、感じられない。敗北を悟り、目を閉じた。その時――


「そこまでえええっっっ!」


 ドワーフ娘のそれよりも、さらに甲高い号令が場内に響いた。魔軍貴族たちが、一斉にその方角を見る。声の主は、この場の最高階級者。当代魔王たる幼女だった。観客席にしつらえられた貴賓席から立ち上がり、朗々と言葉を述べた。


「ユージオ・バール。そなたの勝利は確定した。その手首を折る必要はないだろう。終わりにしてくれまいか 」

「……ワケを言え」


 ユージオは不機嫌を隠さなかった。手首の拘束を外さず、不遜な振る舞いも崩さなかった。だが当代魔王も負けずに胸を張った。幼女にあるまじき覇気が、そこにはあった。


「四天王は我が手であり、我が足である。幼き我には、誰一人とて、欠かせぬ者だ」


 大きな者と、幼き者の視線が交わる。貴族がおののく。魔王が無惨に殺されることを思い、目を閉じる者もいた。しかし魔軍上皇だけは興味深く事態を見ていた。無言の時が過ぎていく。


「……」


 おそらく誰にとっても想定外なことに、最初に動いたのは地上最強の生物だった。事は唐突に起きた。握り締めていたマナリアの手首を、ユージオは無言のまま解放した。女は崩れ落ち、魔王の配下が急ぎ足で回収した。

 魔軍上皇が、「ほう」と小さく声を上げた。この場ではおそらく、彼と好敵手だけが気づいていた。未だ幼い魔王が、地上最強の生物と対峙して一歩も退かない。それどころか震えもなく、表情さえも動かしていない。


「これでいいか」

「構わぬ」

「よかろう。で、キサマはなにを出す。正当な闘争を止めろと言う。俺から『餌』を奪うと言う。ならば、相応の代償が必要だ」


 ユージオが凶相を歪めた。怒りを隠さなかった。魔軍貴族は、いよいよ諦めの色を濃くした。水面下で協議を目論む者もいた。無論、新たな魔王についての陰謀である。だが幼女は、毅然として告げた。


「十年後の我が身」

「なっ!?」


 真っ先に驚きの声を上げたのは、魔軍上皇だった。しかしユージオは面白げに表情を動かした。故に、魔王は止まらない。


「現在、我は童女である。汝が言う、餌としては不適格だ。されど、十年も鍛錬を積めば……あらゆる意味で、喰い頃になろう」


 ユージオはしばし無言になった後、突如大笑いした。呵々大笑、抱腹絶倒という言葉が似合うほどのそれだった。笑い転げたわけではないが、それほどの大笑いだった。その歪んだ笑顔に、一部の魔族は恐怖を覚えた。


「ハッハッハッハッハ……。言ったなキサマあッッッ!!!」


 ユージオは今までにないほどに目を鋭くして魔王に問うた。だがそれでも、魔王は怯まなかった。震えることすら、しなかった。その姿に、魔軍上皇は確信した。己の決断、己の目。すべては正しく、この童女こそが魔界の導き手となると。


「言った。我は魔王だ。この場の者を全て束ね、魔界を治め、人界を窺い続ける魔王である。十年程度の約定、果たせずしてなにが魔王か!」

「!!!」


 この瞬間、場の形勢は一変した。陰謀の横行から、幼女魔王への畏怖へと変化した。ユージオは少しだけ彼女を睨みつけたあと、背を向けて軽く笑った。


「ククッ、やってみるがいい。……おい、四天王に貴族ども。しゃっきりしねえと、テメエらの居場所がなくなるかもしれねえぞ」


 ユージオはそのまま闘技場を去っていく。あとに残されたのは沈黙。そしてユージオの去った方角を見る、魔王二人だけだった。

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