第4話 VS魔王(回想)

「これにて、魔王継承の儀を終了とする」


 宰相の一声をもって、魔界でも随一の格式を持つ儀式は終了した。現魔王はただの魔物の一匹へと戻り、新たなる魔王が誕生した。新たなる魔王は未だ年若く、幼女と称しても過言ではない。しかし魔王――儀式が終了したため、魔軍上皇となった――は必ずや彼女が、魔界大陸に平和と栄光をもたらすと確信していた。


「……ようやく、か」


 魔軍上皇は新たにあてがわれた一室の寝台で、気だるげに寝転んだ。しばらくすれば新造される離宮に住むことになっているが、それまではこの部屋が王宮での拠点になることは明白だった。

 上皇の切れ長の瞳はまばゆく、高い背と長い角もあって、多くの女性をざわめかせる。そんな彼が放つため息は、ある意味では玉宝の一つとも言えるだろう。そしてほっそりとした口から、言葉が漏れ出した。余人には聞かせられぬ、自室ゆえの偽りのない言葉が。


「自由にはほど遠いといえ、成さねばならぬ。魔王の敗北でなくば、面目も立つ」


 十年来、ある男が心に残っていた。古の人界大陸攻撃装置、転移門の向こうからやってきた人間の男。軍からもたらされる立て続けの敗北の報に、魔軍上皇は立場も忘れて心を奮い立たされた。そして遂には臣民を装い、一対一での決戦を挑んでしまった。


「一昼夜殴り合ったのだったか……。まさか決着つかずとはな」


 戦は熾烈を極めた。魔軍上皇の放つ魔法は、魔界大陸臣民のそれとは比較にならぬ。最初は翻弄し、優勢だった。こんなものかと、拍子抜けしかけるほどだった。しかし徐々に敵手は魔法に順応し、むしろ炎さえまとって殴り合いを挑んできた。


「……今思えばアレは、魔素の吸入によるものだな」


 振り返れば冷静に判断できる要素さえ、戦いの中では判断を誤る要素となる。魔軍上皇は血の滾りに任せ、愚直にも殴り合いに応じてしまった。殴り殴られ、焼いて焼かれて。いつしか楽しむ己がいて――。


「四天王がいてよかった」


 魔軍上皇は本心からひとりごちた。今やほとんどが代替わりをしてしまったが、彼らがいなければ戦いの渦に飲まれ、己が魔王であることを忘却していたかもしれない。それは魔界の混乱であり、あってはならないことだった。

 だが、今や混乱をもたらすことはなくなった。魔界の主は新たなる者へと移り、己は一匹の魔界大陸の臣民となった。ならば。


「やらねば……否。やっても、構わんだろうよ」


 起き上がり、目を閉じる。まずは独自の通信路を開かねばならなかった。


 ***


 酷暑期も半ばの頃、ユージオ・バールは上空遥か高く、かえって涼しき場所にいた。彼は空を飛べない。多少の跳躍と制御ならともかくとしても、空を舞うことは不可能である。ならば、なぜ彼は空にいるのか。答えはただ一つ。彼は、空を征く生物に跨っていた。それも鳥なぞではない。竜である。それも古の七竜。白銀竜の同類であった。

 余談ではあるが、常人には竜に跨ることはおろか、竜と対面することさえも至難である。仮に対面できたとしても、なすすべなく死ぬ。殺される。本来、竜とはそういう生物なのだ。ましてや、古の七竜など。

 ただしユージオ・バールは違った。彼はいかなる経緯をたどってか、古の七竜のうち二竜に土をつけている。はっきりと言えば、人であるかすら疑わしき所業である。そしてこの度跨っているのは、雷雲竜。ユージオにとっては、先に倒した方の七竜であった。


「雷雲竜よぉ。まさか俺を空へカチ上げ、強引に跨がらせるとは思わなかったぜ」

『呼び出したところで、貴様は来ぬであろう。ならばさらう方が適切だ』

「ちっ、流石に不意打ちを食らったらどうしようもねえ。覚えてろ」


 ユージオは舌打ちをした。舌打ちをしたが、不機嫌ではなかった。『餌』の行動としては不快だが、戦の相手としては不足はなかった。むしろ血が滾る。高揚する。許されるのであれば、この場で争いたいほどに。しかし今の己は空中の人。争ったところで、振り落とされて絶命が関の山だ。やむをえず、ユージオは雷雲竜の角を握った。稲妻を思わせる形が、この竜の性質を現している。


「なぜ俺をさらった?」

『過日、魔界……魔界大陸から呼び出しを受けた。魔王……いや、正確には魔軍上皇か。ユージオ・バールと再戦を望む故、協力せよ、とな』

「……あの男、引退できたのか」


 ユージオが問えば、即座に竜が答えた。鋭く直線的なフォルムを持ち、四肢と翼の周りに雷をまとう竜は、あっという間に西方の絶海へと近づいていた。


「おい。人魔和約以来、この海には結界があるのはずだが」

『雷雲竜の権能を舐めるな。あと魔軍上皇は我が同胞、炎帝竜の子孫にあたる。多少の融通は効く。しっかり掴まって、身を低くしろ』

「……仕方ねえ」


 渋々応じて、ユージオはその身を竜のフォルムに沿わせた。各所の刺々しさが少し肌に障るが、必要経費とみなした。なにしろかつて引き分けに終わった男が、決着の戦を望んでいるのだ。ならば、応えねばなるまい。

 ユージオは、十年前を振り返る。まだ雷雲竜とも出会っていない頃の話だ。

 ちょっとした偶然から古の遺跡と転移門を発見し、そこを守る番人を打ち破った。興味本位で転移門をくぐると、そこには至れぬと思った赤空あかそら――魔素に染まった、魔界の空――があった。ならば当然、やることは一つだった。


「偶然とはいえ、絶海の向こうの赤空を拝めたか。ならば魔王への目通り、そして戦を望むまで」


 目につく限りの強者、目につく限りの軍隊を狩りに狩り、ユージオは魔界大陸を奥へ奥へと突き進んだ。しかし目当ての人物は、ユージオの想像よりも早く、素性を隠して現れた。魔界の一住人として、単身にて襲いかかって来た。

 魔界人特有の魔法戦闘――ただしこれまでに出会った魔界人とは比にならないほどに的確な判断で行使される――によって、ユージオは瞬く間に翻弄された。


「喰らうがいい……」


 数多の魔法陣が、上下左右からユージオを縛り上げる。敵が十の指先に炎を灯す姿を、彼は捉える。そして直感で理解した。指先に灯る炎一つ一つが、極大の火球を凝縮したもの。半分でも命中してしまえばユージオは灼かれ、消し飛ばされることだろう。


「十指火球弾……!」


 魔法陣を砕こうともがくユージオに向けて、絶望の腕が振り降ろされた。瞬間、ユージオは足掻きをやめ、決断した。炎を睨みつけ、高らかに吼える。闘気を開放する。仮に喰らったとしても、五体さえ残れば勝機はある!


「カーーーッッッ!!!」


 口から、身体から。全身全霊の闘気を放つ。その圧力は、並の戦士であれば即座に戦闘不能へ追い込むほどだ。故に、正面からぶつかった火炎弾丸は対衝突で爆ぜ、霧散した。しかし生き残りの弾丸は巧みな軌道を取り、すべてがユージオへと突き刺さった。当然、彼の身体は灼熱に晒される!


「~~~~~ッッッッッ!!!!!」


 耐え切れずに、叫びが溢れる。だが同時に、ユージオは己の実力に感謝していた。この程度なら、多少は効いても五体は保てる。勝機はある。呼吸を繰り返し、闘気を溜める。己の周りに、向かい火めいて炎がくすぶった。


「フウウウウウ……」


 幾度も幾度も繰り返す。呼吸する。主観時間は、永遠にも似て長かった。しかし、明けない夜がないように、炎もやがては消えていく。そして炎の向こうに、驚きを隠せぬ敵手が見えた。


「ハアアアアア……!」


 熱混じりの息を吐き出す。己の周りに、敵のそれとは異なる熱さを、炎を知覚した。だが、これから行うことには関係なかった。


「ガアアアアアッッッ!!!」


 獣じみた絶叫混じりに、飛び掛かる。漲らせた筋肉にくをはち切れさせ、人ならぬ速度で、敵へと突っかかる。


「だらあああああッ!!!」


 二発、三発、四発。ここが肝だと、ユージオは己に強いた。ここで殴れなければ、己は終わる。夢中で殴るうち、拳が炎をまとい、敵手を絡め取っていた。


「ドラアッ!」


 そして有効打。敵がたたらを踏み、口からなにかを吐き出す。ユージオにはわかった。己も吐き出したことがある。殴り合えば歯が砕ける。血が口に溜まる。つまりようやく、勝負になった。


「これでおあいこだ……来い」


 だが安堵は見せず、挑発する。敵手の口の端が、吊り上がる。見えた。血が湧き上がる音が、身体の内側から響いた気がした。ここまで滾る相手は、初めてだった。


「よかろう。名乗るが良い」

「ユージオ・バールだ」

「ユージオか、しかと覚えたぞ! ハアッ!」


 相手は尊大だった。名乗れと言われて、思わず答えてしまった。だが不満はなかった。魔法陣が見え、次の瞬間には間合いが詰まった。殴られる。殴り返す。炎を喰らう、喰らわせる。幾度転げても、戦意は尽き果てなかった。相手も同じだった。

 ユージオははっきりと覚えている。現在に至るまで、この戦以上に長い戦いはなかった。されど一昼夜を経た時。戦いは闖入者によって打ち切られた。


「魔王様、お戯れが長うございます。お叱りを承知で、まかしました」


 四人の新手――山羊角の執事、コウモリ羽のメイド、牛頭の戦士、小男の魔導師――がユージオと対戦者の四方を囲んだ。無数のコウモリが空を覆い、山羊角の執事からは電撃が飛び、牛頭の戦士からは斧による遠当てじみた斬撃が襲い掛かった。


「ぬあっ!? テメ、なにを……!」


 立て続けの連撃に、ユージオはたまらず防御姿勢を取った。取ってしまった。ガードの隙間から見えたのは、己の敵が攫われていく姿。魔法陣から生えた、金属のゴーレムによる仕業だった。


「人界の戦士殿。お楽しみのところ、大変申し訳ございません。魔王様は大変にお忙しいお方にて、決闘の続きはまたいずれ。貴殿の勇戦に免じ、所払いの刑とします」


 山羊角の執事が、慇懃無礼に一礼をする。敵の姿はすでにない。ユージオはなすすべなく、背後に開いた空間へと吸い込まれた。気を失い、目覚めた時には、元の転移門の前にいた。そして門は破壊されていた。恐らく、飛ばされてから数刻は経っていた。


「チッ……決着は持ち越しかい」


 ユージオは頭をかき、毒づいた。一本取られ、排除され、門を壊された。腹は立つが、同時に口角の上がる己がいた。この程度で諦める気はなかったし、まだまだ強くなれる確信があった。


「魔王よ、機運があらばまた会おう」


 転移門に背を向けた時には執着は消え、再戦への祈りとなっていた。


 ***


 絶海――人界と魔界の両大陸を隔てる、不可視の結界を抱く海――を、雷雲竜は己の権能――雷となり、遠近問わず目的地に転移する能力――をもって一跨ぎとしてしまった。


「おお、魔界の赤空だな。懐かしい」

『人界ではかつて、瘴気によるものだと言っていたそうだな』

「その通りだ。今では魔素の問題だとわかっている。かつての勇者やら賢者やらは、これを吸うことによってより力が高まった、とは聞いたことがある」


 魔界王都ではなく、近くの人気のない箇所に出現したユージオたち。ゆっくりと飛翔し、慎重に王都へ近づく。魔王軍の反応が良ければ、そろそろ守り手か門番でも出てくる頃だろう。だが。


「うむ。よくやったぞ、雷雲竜殿」

『恐悦至極』

「そしてようこそ。我が好敵手」

「十年ぶりか。あと好敵手はやめろ、魔王」


 朱色あけいろの空を背に、魔王と戦士、そして古竜が対峙する。ここに絵師の一人でもいれば、すぐさま筆を執っただろう。

 かたや簡素な装束にマントを纏い、肩まで伸びた黒の総髪。古の七竜が一角にまたがり、蛮勇にして豪放磊落を謳われた、古の王を思わせる。

 かたや人界の王侯貴族めいた豪奢な服装に、オールバックの銀の長髪。額から反り立つ、長い一本角はオーガ族の血をあらわす。魔物がひしめく魔界大陸。その王たるに間違いなしであった。


「今は魔軍上皇だ。大層な肩書をつけられたが、前よりは楽になった」

「崇敬なぞ捨てればよかろう。いっそ人界へ来るか?」

「好意だけは受け取ろう。これでも責務がある。さあ、我らが王都が見えるぞ」


 ユージオたちの目に、魔界王都の町並みが見える。王国のそれを、遥かに凌ぐ広さと美しさ、整然さが待ち受けていた。


「おお……」


 ユージオは思わず感嘆の声を上げた。王都の雑然さより、遥かに好ましくあった。竜が高度を落とし、やがて転移して去る。姿勢を制御し、魔軍上皇とともに緩やかに都大路へ舞い降りた。にわかに民が集まり、騒ぎ出す。


「ヒトだぞ」

「おお、ヒトじゃ」

「うむ、ヒトである。だが我が招いた者故、安心するが良い」


 上皇の一声で、魔界の民が引き潮じみて左右に割れた。ユージオと魔軍上皇は、その中を無言で並び歩いた。

 ユージオも人間としては背が高いが、魔軍上皇はさらに頭一つ背が高い。さらに二人を比べるならば、ユージオは筋骨隆々容貌魁偉の凶相であり、魔軍上皇は引き締まった身体に白皙の容貌を持つ、涼やかな男であった。

 二人は四半刻ほど無言で進み、やがて王城の門が姿を現した。開け放たれていたその向こうには、四人の魔界人が待ち受けていた。


「……やはりか」

「いかに陛下のご要望とはいえ、『腕試し』は必要かと」


 四人の先頭に立つのは、頭と背に一対のコウモリ羽を持つメイド。十年前にも見た顔だった。メイドはユージオを認め、一礼した。


「マナリアと申します。十年前もお会いいたしましたね。四天王筆頭として、一戦交えていただきたく」


 マナリアは他の三人にも名乗りを促した。右側頭部に角を生やした、背の高い東方装束の男。肌の色素が薄く、八重歯が光る、いかにも弁の立ちそうな男。快活を思わせるピンク髪の、ボサボサツインテールの娘。ユージオの前に、三人が整列した。


「キマサ。剣を扱う。戦士団の長でもある」


 背の高い男が、大太刀を手に一礼。


「ドーショウ。魔王軍大軍師。魔法も少々。」


 色素の薄い男は、不遜な言葉。一礼もなし。


「ラームニャーザ! お師匠も昔は四天王で、金属ゴーレムを操ってました!」


 ツインテールの娘が、ピョコンと一礼。あの折、魔王を攫った小男の弟子かと、ユージオはうなずいた。


「なるほどな……。良かろう、代替わりはしたようだが、連中にもしてやられた。肩慣らしにゃあ、ちょうどいい」


 ユージオが両腕を広げた。闘気が溢れ、陽炎が揺らいだ。髪が逆立ち、凶相がさらに険しさを増す。もどかしげに外套を捨てれば、はち切れんばかりにに筋肉にくが漲っていた。


「受けるのか」

「無論だ」

「ならば、相応の地へ案内しよう。お主らも、それでいいな?」


 四人が揃ってうなずく。魔軍上皇が先陣を切った。城を進むうち、にわかに歓声が耳を叩いた。


「ウオオオオオッッッ!!!」

「来たぞッ! 魔軍上皇に四天王だッッッ!」

「『地上最強の生物』! ホントに来やがったッッッ!」

「元はと言えば、我とそなたの戦のために人々を集めた。だが、四天王とて不足はあるまい」


 魔軍上皇が、前を向いたままに言う。正装に身を包んだ貴族どもが、嗜みを忘れて壁に張り付いていた。目の前には広く、障害物のない砂地の戦場。天井は遠く高く、スタンドは観衆に埋め尽くされていた。


「魔王城地下、『大闘技場』。ここを戦の場とする」


 地鳴りの如く、歓声が轟く。ユージオたちは中央へ進む。そのさなか、ユージオは一つの視線を捕捉した。熟成はなされていないが、強さがあった。目線をわずかにそちらへやると、多くの者に傅かれた幼女が見えた。肌は青く、魔界の者であることは明白だった。

 中央までたどり着いた魔軍上皇が、幼女の方へと跪いた。四天王も跪く。ユージオはわずかに考えた後、軽くこうべを垂れた。視線は幼女を見据え、睨め付ける。


「良い」


 声を発したのは、幼女のそばに傅く者であった。次の瞬間、四天王が四隅へと散開した。


「参ります」


 コウモリ羽のメイドが一声。すでに戦意が満ち満ちていた。魔軍上皇は全員を見据えると、一際高く飛び上がってから開戦を告げた。


「始めぇい!」


 次の瞬間、無数のコウモリが闘技場の空を埋め尽くした。


(次回へ続く)

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