第3話 VS白銀の竜

 雪山の洞穴にて、白銀も艶やかな竜は考え込んでいた。古の竜の中でも一等美しいと謳われたその身体を畳み込み、切れ長の目を伏せ、思案していた。彼女の中でここ数年に渡ってくすぶっている、ある男への思いだった。

 古竜の生は非常に長い。三千年も前にはこうして散り散りになっていたし、六千年前には『古の七竜』として名を残していた。始祖にして、七竜と全ての竜の筆頭、至高たる虹霓こうげい竜の加護の元、ほぼほぼ終わることのない生を満喫していた。


「神――すなわち世界の意志そのものにたてつき、始祖様の加護を失ってよりすでに三千と四百年。まさか、ここまで貪欲な男が世界に生まれるとは」


 男の存在を知ったのは、八年ほど前――竜にしてみれば昨日のことに等しい――の七竜会合であった。同朋の雷雲竜が、あまりにも快活に人間に対する敗北を語ったのである。彼が戦いを好むことは知っていたものの、敗北について口が軽いのは稀だった。曰く。


「一言で言うとありゃ『貪欲』だな。強い相手を探し求め、ただただ己の基準で拳を振るう。竜だろうが神だろうが、雑兵だろうが人ならざるものだろうが、アレは己の基準で拳を振るう。立ち向かう。おそらく……」


 竜が独自に語り合う異空間で、雷雲竜の口はあまりにも軽かった。主たる虹霓竜に睨みつけられて、ようやく止まる。あまりの軽さに、白銀竜は声を潜めて問うた。


「負けたのに、なぜ」

「負けたから、だろうな。アレは討伐じゃあなく、ただ勝負を望んでやって来た。確かに負けた。我が権能、『アクセラレーション』を擬似的とはいえ見取りされた。だが戦そのものは楽しかった。今までになくな」


 白銀竜はそこで硬直した。おおよそ自分の知る闘争とは、まったく異なる世界があった。

 竜の知る闘争とは、おおよそ人間や亜人類による討伐である。多対一で己を追い詰め、命、もしくはそれに比類するなにかを奪い去って帰っていく。そういうものだと思っていた。

 だが聞けば聞くほど、雷雲竜の語る『貪欲な男』は違うと思わされるようになった。結果、会合が終わっても『貪欲な男』――ユージオ・バール――への興味は尽きず、いつしか膨らみ、片隅に棲み続けるようになった。気づかぬうちにその思いが、竜と人を隔つ結界に穴を開けていた。


 ***


「退屈だ」


 王国大将軍・公爵・ゴルニーゼ家当主である隻眼の男は、対面している男の何気ない言葉に身を震わせた。それがユージオ・バールから放たれたことの意味を、十分に理解しているからである。

 ゴルニーゼ・ベルンディーは逡巡した。彼はユージオという男を知っている。知りすぎている。それだけの殺し合いと付き合いを、この場に至るまでに積み重ねてきたからだ。

 それ故の言葉の迷いを、対面する相手は容赦なく突いてきた。


「貴様の部隊はどうなっている」

「半年前の傷がふさがっておらん。年が変わったとはいえ、まだしばらくは挑めぬ」


 ゴルニーゼの返答に、『地上最強の生物』と謳われる男は不機嫌を隠さなかった。『火』と呼ばれる中でも一等強い酒を一息に飲み干し、大将軍を睨みつけた。

 ちなみにこの事実上の接待は、王侯貴族専用の迎賓館で行われている。大将軍の名義で、数日にわたって押さえたのだ。多少会うだけなら王都の高級店でもいいが、滞在するともなれば客人へと扱いが変わる。己の屋敷や並の宿屋では、ユージオの要求に耐えられぬのだ。


「酒がぬるい」

「片っ端から飲み干すからだ」

「違う」


 ゴルニーゼは気付く。分厚いガウンをまとうユージオから、湯気が噴き出していた。身体がたぎっているのだと、大将軍は感性で理解した。


「ならばいっそ、キサマが一対一サシで俺に挑むか」

「ユージオ、そう言われ」

「それくらいには退屈だ。暗殺教団のアテは外れ、大森林も最近は獣一匹出くわさん」


 ゴルニーゼはため息を吐いた。彼としても、このままユージオにくすぶっていられるのは不本意だった。迎賓館そのものも含めて飲み食いの代金はベルンディー家の持ち出しになっているし、最悪の場合直属部隊や王宮の騎士団に戦を吹っ掛けかねない。彼にはそれだけの前科がある。少し思案した後、ゴルニーゼはある提案に踏み切った。そこには一縷いちるの望みがあった。


「……昨年、我が国の探検隊が新たなる竜の生息地を発見したのは知っているか?」

「それがどうした」

「これは未発表の情報だが――」


 翌朝、ユージオ・バールは凶相に笑みを浮かべて王都を旅立った。遙か北嶺の地へ男を追い出すことに成功した大将軍は、しばらくの間、上機嫌で直属部隊の訓練を増やしたという。


 ***


 外套を身にまとった軽装の男は、北嶺に積もる根深い雪さえも溶かしかねなかった。ゴルニーゼ直々の命令で案内を請け負った現地指揮官は、必死に冷や汗と失禁を押さえ込み、こらえていた。


「あの断崖の上が、新種の竜……えー、白雪竜はくせつりゅうの生息地になります」

「……大将軍からは『古の七竜が一つを見つけた』と聞いたが」

「白雪竜が奉じています。現状目撃には至らず……」


 説明のさなかで、指揮官は男に吊り上げられた。指揮官は見る。見てしまう。口にするにもはばかられるような凶相には怒りが満ち、獅子さえも怯まんばかりとなっていた。


「あの上まで案内しろ」

「は、はいいいいいいい!」


 若干手荒く降ろされ、指揮官は足を挫きかけた。ともあれ、緊急で小部隊が編成され、急ぎ断崖へと向かうことになった。とはいえ、移動は容易なものではない。


「……これが最短の道か」

「はい、温暖期に突入しつつありますので、一歩間違うと足を滑ら」


 説明しようとした兵士は直後、口をあんぐりと開けた。ほんの一瞬前までそこにいたはずの男が、かき消えていた。男を探す兵士が前方を見ると、おおよそ二十歩先に彼は立っていた。息を切らすこともなく、平然としている。


「なるほど。臭うな」


 兵士は理解した。この男は、己と肉体の構造が違う。軍人であるから、当然鍛えてはいた。鍛えてはいたが、目の前の男とは根本的に違う。そう分からされた。

 しかし責務を無視すれば死に至る。兵士は己に強いて、男を誘導する職務に復帰した。半分泣きながら進んだ道程は、普段のそれよりも短く感じた。否。事実短いものだった。男に追い立てられたのだ。


「クク……いるな。強者がいる」


 ユージオは髪を逆立て、口の端を吊り上げた。案内人を退け、足を早める。背後で水音が響いたが、聞こえてすらいない。翔ぶように走り、断崖に住まうドラゴンのつがいへと迫った。美しい白銀の双竜が、優雅に羽を畳んでいた


『何者ぞ』


 七歩の間合いまで迫って、ユージオは脳裏に言葉を聞いた。


「前にもあったな、雷雲竜の時か」


 ユージオはひとりごちる。思念を相手の脳に翻訳させるのだと、かの古竜はのたまっていた。故に怯まず、言の葉を返す。


「強者に会いに来た。キサマらからも臭いがするが、違う。古の七竜が一匹、白銀竜はどこだ」

『我らが母に会いたいと申すか。ならぬ、ならぬぞ』


 番の内、頭部に角を生やした側が翼を広げ、頭を低くした。ユージオは微動だにせず鼻を動かし、喝破した。


「母にならって雌が優位か。威嚇程度では動かんぞ」

『戦は我のものぞ』


 ユージオはさり気なく後方を見た。軍隊どもが遠巻きにしていた。軽く舌を打ち、手の動きだけで距離を取るように告げる。


「来い」


 ユージオは外套を捨て、両腕を広げた。傷だらけの筋肉にくを膨張させ、腰を落とし、竜の威嚇を呑まんばかりの闘気を発する。

 だがまさにその時、上空に巨大な影が差した。ユージオは見上げる。竜の番さえも覆うほどの、大きく美しい竜がそこにいた。


『貴方達は退きなさい。勝負にならない』

『我が母! 何故お出ましに!』

『この者は我のともがらが一つ、雷雲竜を倒せし者! 我が子らよ、命のためにも退き給え!』


 やりとりを耳にしつつ、ユージオはさらに腰を落とした。自然と口角が上がる。目元が緩む。足の筋肉が暴れている。今にも飛び出してしまいたい。


「三匹まとめてでも構わんぞ」


 高揚する気分を、言葉にして解き放つ。挑発じみた言葉は、されど自信の表れである。三匹をいかに屠るか、幾通りも思案していた。


「返事はなしか、行くぞ!」


 遂に耐え切れず、ユージオは跳んだ。高々と跳ねた。高度を落とし、白雪竜と語らう白銀竜の背が見える。一撃で撃ち落とそうとして、思いとどまる。白銀竜の羽、まさか。


『気付くか。我が羽根は常に噴き出す氷雪結晶の集まりよ。いかにそなたが強くとも、浴びれば氷像となるが定めよ』

「チイッ!」


 一声舌を打ち、ユージオは氷雪の大地へと舞い戻った。白雪竜の番が、連れ立って離脱するのが見える。『理解』されたかと、鼻を鳴らした。あの雌もまた、強者だった。


『風雪のとばり


 白銀竜が告げる。二人の周囲に、凄まじき風雪が舞った。妨害や乱入を妨げる、天然の戦場。円柱状の、戦闘用天蓋てんがい


「……」


 ユージオは筋肉にくの力みを一段高めた。数々の傷が繋がり、奇妙な絵を映し出す。吹き荒ぶ雪が音を奪い、静寂をもたらしていた。敵は高度を上げている。もう一度背を奪うには、いささか難易度が高かった。


『動かぬか。ならばそのまま像となるがいい』


 膠着を嫌ったか、白銀の竜が先に動いた。見惚れるような吐息ブレスと、両の羽から伸びる氷雪の弾丸。三方からの致命的攻撃。だが。


「チェルアッ!」


 ユージオはこれを蹴散らす。気合一閃、身体一旋。拳と身体の回転で渦を描いた。否、蹴散らすばかりでなく、逆に風雪を巻き上げていた。雪が視界を塞ぎ、膠着を生む。


『我が友朋を無体に使うか。面白い』

「使えるものはなんでも使う」

『ならばこれも使ってみよ!』


 美しき竜の口から吐き出されたのは、これまた美しき氷槍ひょうそう。カアッ、と吐き出されたそれは、二発、三発、四発と続く。

 さらに氷雪の竜は、天から無数の氷柱つららまで呼び寄せた。物量攻勢。並の人類であれば、百はおろか千、いや、万回は死んでも不思議ではない。事実ユージオの姿は、瞬く間に視界からかき消えた。それでもなお、氷雪は吹き荒び、槍と氷柱は白き大地を満たしていく。

 そうして。音と白が雪山の戦場に満ち満ちた頃、ようやく竜は攻撃を止めた。いかに竜といえども、敵の生死所在がつかぬのでは手に余る。だが、視界が晴れての第一声は……。


「さす、がに、効いたぜ……」


 ユージオの、振り絞るような声だった。雨霰と例えるのすら生温いほどの攻撃を経て、なお彼は生きていた。いくつもの紅が、彼の身体を彩っていた。右肩は氷柱にえぐられ、深い傷。しかし男の立ち姿に揺らぎはなく、熱を帯び、湯気さえも見える。


「流石は古の竜だ。喰らうにゃ、相応しい……!」

『まだ折れぬか』


 竜は畏れた。全力の攻勢を凌いでなお、目の前の男は戦意を絶やしていない。この男は、興味本位で触れていい存在ではなかった。この男は、この男は――!


『ならばいま一度!』


 なんとしてでも、この場で葬り去らねばならぬ。竜は決心し、高度を上げんとした。だが……目の前の光景に目を奪われた。


「調子こかせてもらうぜ」


 男の手足が、稲妻を帯びていた。そうだ、と思い出す。この男は。


 ――『アクセラレーション』を、擬似的とはいえ見取りされた。


「貴様と同じ古の竜、雷雲竜から見取り、学び、覚えた。奴は『アクセラレーション』とか言っちゃいたが、俺は知らんッ!」


 雪原が、爆ぜた。次の瞬間、目前に男がいた。知覚し難い疾さで、左の頬をはたかれる。稲妻の如く、痛みが走る。


「のろいッ!」


 次に襲われたのは顎だった。下から突き上げる拳が、牙を砕いた。雪の果てに、空が見えて――。


「チェルアアアアッッッ!!!」


 蛮声と同時に、雷霆の踵。脳天に打ち下ろされた。揺れる。狂う。彼の帯びていた雷が、脳内の指示に干渉していた。思うままにならない身体は、そのまま雪原に突き刺さった。死ぬことはないが、脱出も、語りかけることも難しかった。操っていた氷雪の帳も、たちまちのうちに消え去った。


「喰い甲斐はあった。また来るぜ」


 平然と降りた、男の声。お前はそうして突き進むのかと、問いたかった。問いたかったが、未だに波を送れなかった。遠くからの二つの羽音と、人々のざわめき。それだけが、彼女の耳には残されてた。

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