第32話 終焉の合図
北バイパス道路。
警官たちは事故の現場検証の手伝いをしたり、遺体搬出後の後処理をしていた。事故の現場検証が済んでも彼らがお役御免になる事はまだない。事故の時に壊されたガードレールをかたずけたり、遺留品を片づけたりと忙しいのだ。
しかも、事故を目撃しているので、その調書も作らなければならない。それらが全て終わったら、やっと帰宅できるのだ。
「明日の朝一でクレーンを手配して車を引き揚げましょうとの事です」
一緒に来ていた若い警官がベテランの警官に声を掛けて来ていた。
「じゃあ、朝までここに居る事に為るのか…… めんどくさいな、ったく」
鎮火したとは言え、事故車にはガソリンが残っている。万が一にでも、事故車が再出火したら警察の職務怠慢と、新聞に騒がれてしまう。
もうすぐ、他の署に移動となるキャリア持ち署長が望まない事だ。警察は縦社会。親分が誰であれ、彼らが望まない事をしないのが警察の心得だそうだ。
「遠鳴市の繁華街で乱闘騒ぎが有って、交代する要員が居ないとも言ってました」
若い警官は頭を掻きながらしゃべっている。
「…… ったく、飯はどうしろって言うんだ。 本部の連中は何も考えてねぇだろ」
ベテランの警官はブツブツ言っていた。こう言った現場では、何時間かすると交替の警官が来て、自分たちは警察署の方に帰る事が出来るのだ。
(仕方ない。 コンビニまで行って貰って、おにぎりでも調達するか……)
見張りと言っても一人残っていれば事が足りるので、若い警官に行って貰おうかとベテランの警官は考えていた。
もう少しで夜明けという頃。日村家での話し合いは平行線で夜明け近くになってしまった。
宝来雅史は、このまま日が出るのを待って、月野姫星が見つけた月野美良の車で帰宅しようと考えていた。ここで目を離すと違う家に匿われてしまいそうだからだ。この村の人たちが、そこまでするとは思えなかったが念の為だ。
姫星は姉に会いに行くと言って奥の部屋に行ったままだった。恐らく寝ているのだろう。
その頃、村では違う騒動が起こっていた。上空で謎の光が目撃されているのだ。
雅史も山が光るのを見ていたが、早起きの村人たちが見たのは、雲が光って見えているのだ。夜明けの太陽が照らしているのかと思ったが、光っている雲と太陽は方角が違う。
「ウテマガミ様が祭りの不始末を、お怒りなのではないか?」
「やはり、もう駄目なのかもしれんな……」
「地震の前触れではないのか?」
そこでウテマガミ様が、雲を光らせているのではないかと、話が独り歩きし始めていた。そのざわめきは瞬く間に村全体に広がって行く。
早朝にも関わらず、役場に電話する者もかなり居た。 『神御神輿』が失敗に終わり、ウテマガミ様の祟りを本気で信じているらしい。中には村から脱出しようと荷造りを始めた家もあった。
「……雲が光っている?」
役場には当番の役人が居る。村人からの問い合わせの電話がひっきりなしに掛かって来ていると報告して来た。その電話を受けた日村は困惑してしまっているのだ。
日村の電話応答を聞いていた雅史は、居間の窓に寄って空を見上げた。ボンヤリとだが光っているのが分かる。
ある研究では、玄武岩や斑糲岩に含まれている細かい水晶などが、地盤変動で受けるストレスで放電することが判明している。
放電で発生した電荷は互いに結びつき、一種のプラズマ状態になる。蓄えられた電荷は大気中へ向けて放電され、雲に含まれる水の分子と反応して光って見えている。
『破壊発光効果』と呼ばれている現象だ。この現象は、大地震が発生した各地で観測されている。
「なんだ? あれ??」
ベテランの警官が、我川の水面に無数の気泡が、浮かんできているのを見つけていた。
事故現場の番をしていた警官たちは、再び不思議な自然現象を目の当たりにしていた。川面には直径二メートル程の範囲に、最大で約1センチのあぶくがポツポツと浮き上がるのが見えていたのだ。
川面に大きな変色は見られず、異臭も感じられない。
「不気味ですね。 川には川魚が泳いでいるのが見えるので有害ではなさそうですけど……」
しゃがんで川を覗き込んで居た若い警官は話した。
「沼なんかだと、猛暑の影響で泥が発酵してメタンガスが発生することもありますよね」
沈んだ地形に枯れ葉や死んだプランクトンなどが貯まり、その堆積した泥が分解されていく過程で、メタンガスが発生するのはよくある自然現象だ。若い警官は、その事を言ってるらしい。
「うん、俺の田舎にもそう言うのあったよ」
ベテランの警官は、自分の田舎にある沼で、メタンガスが発生した時に様子を思い出していた。
(牛乳瓶にメタンガスを集めて、火を点けて遊んだっけか……)
もちろん母親のバレて怒られたのは言うまでも無い。下手すると牛乳瓶が破裂しかねないからだ。
(でも、メタンガスって結構臭かったよな……)
クンクンと、空気の臭いを嗅いだベテランの警官は、異臭がしていないのを改めて確認していた。
「でも、ここって川の流れがあるから発酵ガスは考えづらいですよね」
「ああ、そういやそうだな」
何かが起こっているのだが、警官たちは訳も分からずに首を捻るばかりだった。
ヴォォォ~~~ン
唐突に大きな怪音が響き、日村の家がミシミシと音を立てて揺れ出した。昨夜からの怪音騒ぎが無ければ地震と間違えてしまう程だ。余りの揺れに、雅史のバッグが椅子から落ちて中身が、居間の床に散らかってしまった。
(ああ、しまった…… え?)
雅史は慌ててバックの中身を、鞄に戻そうとしたが、ある物を見つけて固まってしまう。
コンパスだ。
雅史のコンパスが、床の上に鞄の中身と一緒に落ちていた。しかも、コンパスの針が北を示さずにゆっくりと回っている。普通は一度方角を示したら動かないものだ。そうしないとコンパスの意味が無い。
(なんなんだ? コンパスの針がクルクル回ってるじゃないか……)
また、『磁気異常』という不可思議な現象が発生していると考えた。この事実に霧湧神社で気づいた時には、コンパスの針は十度ほど針のズレだけだったが、今見ているのはフラつきなどと言う現象では無い。
恐らく磁気を帯びた『何か』が地下で動いている。そう考えるのが合理的だ。
「…… まずいな……」
雅史は昨日の昼間に見た、空き家が地面に吸い込まれる現象を思い起こしていた。地下に何らかの原因があるに違いない。
「昨日の空き家のように、この建物が崩れる可能性があります。 全員を表に避難させてください」
突然の事に驚き、天井に下がった揺れる照明器具を見ていた日村は頷いた。原因の究明の前に、まずは生きている人間の保護が先だ。どこが安全なのかは不明だが、少なくともこの建物よりはマシだと雅史は考えたのだ。
「さあ、みんな一旦外に出るんだ」
そう、日村が声を掛けた。雅史が忠告するのは、危険が差し迫っているのだろう判断したのだ。室内に居た村人たちは全員バタバタと外に出始めた。
「美良と姫星はどこですか?」
連れ出すのなら今のタイミングしかない、そう考えた雅史は日村に尋ねた。
「部屋を出て左、廊下の一番奥です」
日村は居間にある書類入れから、重要書類と思われる物を鞄に詰めていた。
「ありがとうございます」
礼を言った雅史は、居間を飛び出て奥の部屋に向かった。
ヴォォォーーーン
……
キィーーーーッ
……
ヴォォォオオオーーーン
事故の処理を行っていた警官たちは聞こえて来た異音に驚いていた。最初は小さな音だったが、今では車の窓が振動するような、巨大な音になっている。
ガラスを引っ掻くような高い音や、弦楽器を弾く時の様な重低音が繰り返されている。そんな狂想曲が夜明けの空に響き渡っていた。
警察署に事故車を持ち帰るために、クレーン車が朝一でやってくる。警官たちは、その誘導と交通整理を行うために事故現場に来ていた。
「な、なんだあ?!」
警官たちはあちらこちらと見回して、音の発生源を探ろうとしたが駄目だった。音は四方八方から聞こえてくるのだ。
「アポカリプティック・サウンド(終末の音)またはストレンジ・サウンド(不思議な音)と呼ばれている物ですね」
後から来た若い警官が辺りを見回しながら答えた。原因は不明だが、自分が知らない事では無いので落ち着いているようだ。
「おまえ良く知ってるな…… なあ、留守電の音声聞くにはどうしたらいいんだ?」
最近、家族にやいのやいの言われて、仕方なしにスマフォを使いだしたベテランの警官は感心したように言った。キーを押すと隣のキーも一緒に押してしまうと嘆いていた。
「ええ、ネットのゾンビ小説で出て来たんですよ。 導入部で書かれていて不思議な感じがしたんで覚えているんです」
紙の本は重いし場所を取るので、もっぱらインターネットで小説を読むのが今の若者たちの主流らしい。そんな話をしながらベテランの警官のスマフォを手に取り、代わりに操作してあげた。
「ああ、そうやればいいのか、ありがとな。 で、そのゾンビ小説って面白いのか?」
ベテランの警官は若い警官に操作方法を指で示してもらい礼を言った、スマフォの扱い方なら若い者に聞くに限るからだ。
「ええ、主人公がトイレ掃除用のラバーカップで、ゾンビと闘っているんですよ……」
若い警官は笑いながら話した。
「なんだよ、それ……ふふっ」
ベテランの警官も釣られて笑っている。
そんな話をしていると、不意に異音が止んだ。空気がビリビリとする程だった異音がピタリと止まったのだ。薄暗い中を川面のせせらぎだけが聞こえてきていた。
「…… え? ……」
二人の警官が顔を見合わせた。それを待っていたかのように、山に居たと思われる鳥たちが一斉に空に向かって飛び始める。
バサバサッ
警官たちは異音に続いての出来事に驚き、思わず揃って空を見上げた。
バサバサバサバサッ!
そこには空を覆い尽くす程の雑多な鳥たちが飛び回り。最初に飛び立った鳥の群れは、ひと塊になって飛び去って行こうとしている。
終焉の合図だ。
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