第22話 中年男
誠の母の怪談話。
霧湧村には見晴らしの良い山の頂上に無線の基地局がある。携帯電話やテレビ放送を中継させる基地局だ。基本的には無人化されているのだが、今回の騒動の最中に故障してしまった。そこで修理の依頼を受けた会社が作業員の広瀬と加藤を二名派遣してきた。
修理と言っても部品を順番に取り替えるだけだ。それで治ったのなら、該当する部品を持ち帰って詳細に原因を究明する。駄目なら他の部品を取り替えるだけだ。
作業員はメンテナンスの時にも訪れているので気軽な気持ちでやって来ていた。しかし、いくら部品を交換しても故障が直らず、時間もかなり過ぎているので、一旦会社に引き上げようということになった。
山道を車で降りている時に、崖のちょっと広くなった場所に来たと思ったら、エンジンがいきなり停止してしまった。
「え? なんだよ……」
運転していた広瀬が再びエンジンをスタートさせようとイグニッションキーを回した。しかし、セルモーターが回るだけで一向にエンジンがかからない。
「ガス欠? 勘弁してよ……」
しかし、山に登るときの鉄則として、山に入る前に満タンにしてある。ならばエンジン故障なのかもしれないと広瀬は考えた。
「くそっ、エンジン見てみるわ」
広瀬がシートベルトを外そうとした時に、いきなり助手席の加藤に手を掴まれた。見ると加藤は頭を振っている。
「あ? 見てみないと解らないだろ?」
広瀬が加藤に言った。しかし、それでも加藤は頭を振っている。
「…… あそこに何か居る……」
加藤は自分の肩越しに森の中を指差していた。
『…………』
その時、窓越しに何かが聞こえているのに気がついた。
「え?!」
振り返ってみると何やら黒い影が居るのがわかる。灯り一つ無いので暗闇のはずなのにだ。森の暗さの暗闇とは違う種類。深遠の暗闇と表せばいいのだろうか。光が吸い込まれていくような暗闇だ。その黒い陰が少しづつ車に近づいて来るのだ。
『…… ってよぉ……ぉ』
やがて声がハッキリと聞こえ始めた。それは子供の声だ。最初に見ていたのは一人のようだった。
広瀬は咄嗟に山の中で迷子になった子供かと思った。
『ねぇー、まってよぉぉぉ』
また、声が聞こえたと思ったらソレは二人分の影になった。
『ねぇー、まってよぉぉぉ』
黒い影は正面からもやってきて、ヘッドライトに捕まる前に左右に別れて通り過ぎたのだ。気が付くと車は黒い影たちに囲まれている。
「……増えてね?」
黒い影は一カ所に固まろうとしているかのように、車のドアにすり寄って来ている。
『まってよぉー いかないでよぉぉぉ』
子供特有の甲高い声が響き渡る。それも四方八方から聞こえ始めていた。
「なあ……」
加藤は思った。
(こんな夜中に、しかも人里離れた山の中だ。 まともな子供などでは無いのは明白だ)
そう言おうとしたのだが、広瀬は車の操作パネルから目を離そうとしない。
「…………」
広瀬は何も答えようとしてくれない。車のエンジンをスタートさせようと懸命にエンジンキーをいじっている。
「なあ……」
加藤にはソレが直ぐ傍まで来ているのが気配で分かった。見ると窓の外がざわめいている気がする。
「ああ…… 目を合わせたら駄目だと思う」
やっと広瀬が答えた。やがて、近づいてきたソレは車の窓を叩き始めた。
『まってよぉー おいてかないでよぉぉぉ』
『バンバンバン』と手のひらで叩いているのだろう。暗闇のなから小さい手だけが現れて窓を叩いている。時々、ビチャと音がする。その時には窓に手形の赤黒い跡を残していく。
『まってよぉー いかないでよぉぉぉ ひとりにしないでよぉぉぉ』
広瀬たちは車の正面しか見ることが出来なくなっていた。どうやらヘッドライトの光の中には、黒い影たちは入ってこられないようだ。
だが、車を揺らすことは出来るらしく、右に左にと激しく車を揺らし始めた。
広瀬は何度目かの挑戦で、やっと車のエンジンがかかった。急いで発進させたかったが、ハンドルが思うように制御出来ない。手も足も竦み上がっているからだった。
『だから、待てって言ってんだろうがっ!』
暗闇の中から野太い中年男性の声で言われた。
エンジンが掛かった瞬間だそうだ。作業員二人は、それを合図に車を急発進させて山を下りて来た。
誠の母の脚色もあるだろうが、怖さたっぷりに話してくれた。
「工事関係者は災難でしたね」
雅史は工事関係者に同情してしまった。工事関係者は村の出来事には無関係なはずなのに怖い思いをしている。祟りだとしたら、随分と迷惑な神様だ。
姫星は……耳を塞いで俯いてしまっている。怖い話が苦手だと言っていたのを思い出した。
「村の家々の家電が誤動作を起こすらしくて、みんな困っているんですわ」
誠がそんな事を言っていた。無線機の故障に、家電製品の故障。雅史は電磁波の影響を疑っていた。
(そういえば、死んじゃった泥棒たちも、追いかけて来る子供の影に怯えていたのよね……)
姫星は誠の母の怪談話を聞きながら、子供の影という言葉にヒントが或るような気がしていた。
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