第23話 黒い円

山形誠の自宅


 明け方。月野姫星は何となく目が覚めてしまった。窓に寄りカーテンを少しだけずらせて外を覗いて見る。昨日の不審者でも現れたのかと思ったからだ。しかし、外が明るくなり始めていて、庭には不審者など居なかった。

 安堵した姫星は単独で再び霧湧神社に行く事にした。あることを確かめる為だ。また、気分が悪くなる可能性も有るが、姫星の考えている通りならば、建物内に入らなければ平気なはずだ。

 宝来雅史に相談すれば、近づく事さえ反対されるのは判っているので、姫星一人で行く事にしたのだ。


 霧湧神社にやって来た。朝の早い時間なので神社の中には誰も居ない。

 神社の境内に一人佇んで、周りを見回してみた。自分が感じている違和感の正体を確かめるためだ。

 姫星は『ぅわぁーーーん』と言うような感じで、耳の奥に圧迫感を感じていた。毛劉寺・毛巽寺の時には高周波の音で幻覚を見てしまったが、あの時とは印象が違って見えている。


「また、低周波音……?」


 姫星は雅史のタブレットを無断で持ち出していた。タブレットのアプリを起動させて、計測モードにしてみたが目立った波形は出ていない。つまり、境内には低周波も高周波も発生していないと言う事だ。


「んー…… 何なんだろう?」


 境内の真ん中付近に立ち、ぐるっと周りを見渡した。朝から感じている違和感が何なのかを思いあぐねているのだ。

 そして妙なことに気がついた。静かなのだ。田舎なのだから行き交う車も無いし、人の通りも極端に少ないのだから、当然なのだろうと思いきや、それにしても静かなのだ。


「虫の鳴き声が聞こえない…… 気のせいなのかな??」


 姫星は田舎と言えば絶え間なく、虫が鳴いているイメージを持っている。明け方だと虫たちも寝てしまうのだろうかと姫星は思った。


 姫星は何とはなしに空を見上げて、『今日も晴れになりそう……』そんな事を考えている時に気がついた。


「あっ……」


 早朝であれば鳥たちの活動時間だ。この時間に自分たちの餌場へと移動していくのが常だ。しかし、今は鳥の鳴き声も、羽ばたく音も聞こえない。飛んでいる様子も見られない。そういえば夕べも、夜に活動するはずの虫の鳴き声が聞こえなかったような気がした。


「虫…… あっ、セミの鳴き声が聞こえない!」


 一昨日、来た時には五月蝿いぐらいだったのに妙だった。今の時間ならヒグラシが鳴いている時間のはず。


「…………」


 姫星の顔に朝日が差し込んで来た。村は山に囲まれた盆地なので日の出が遅いのだ。


「まぶし……」


 右手をかざして太陽光を遮った姫星は妙な事に気がついた。


「あれ?」


 太陽が昇るのは東のはずだ。霧湧神社から見た場合には毛劉寺の方角から上がる筈なのだ。しかし、実際には毛劉寺より右にズレている。


「太陽も迷子になっちゃったのかな?」


 姫星は磁石を取り出して見てみた。磁石の針は落ち着きを無くしたかのように、フラフラと揺れ北を示してくれない。


「まさにぃに聞いてみようっと……」


 少しの事でも全て疑惑に思えてしまう。


鳥の事……

虫の事……

そして、奇妙な静けさ……


 姫星は雅史に疑問をぶつける事にして、いったん宿に帰る事にした。無断で出て来たので、見つかると大騒ぎになるのは分かり切っている。

 姫星が神社の境内を出ようとした時に、地面に丸く黒いものがあった。そして、その黒いモノは何やらワサワサと動いているように見える。


(……何? アレ?)


 姫星は、その不気味にうごめくモノにそっと近づいてみた。


(…… 蟻? ……)


 姫星は恐る恐る近付いて良く見ると、蟻が同じところをグルグルと回っている光景だった。それも数千匹、或は数万匹は居そうなくらい、一心不乱にグルグル回転している。蟻たちは直径が一メートルはありそうな黒い円を形作っていたのだ。


(どうして自分たちのお家に帰らないの?)


 これはアントデスマーチと呼ばれる現象だ。原因は解明されていないが、何らかの要因で帰るべき巣を見失っているのではないかと言われている。そして、この現象を起こした蟻集団は、そのまま死に絶えてしまう。


 姫星はその不思議な現象をしばらく眺めていたが、自分には何も出来ないと思い、蟻たちを踏まないように、道の端を通って帰り道に出た。

 一陣の風が素早く姫星の横を駆け抜けた感じがした。姫星は後ろを振り返ったが何も無い。地面では蟻たちは相変わらずグルグルと回っている。

 何が起きても怪しく感じてしまっている。姫星の神経が参り始めているのだ。


(やはり、一人で来るべきでは無かったのか)


 姫星は後悔し始めていた。

 その時。森の奥からガサガサと葉が擦れ合う音が聞こえてきた。姫星は身構えた。

 道の脇にある鬱蒼と茂る下草の間を、迷いもしないで真っ直ぐに自分に向かって来るモノがいる。


バキッ


 枝か何かが折れる音がしたかと思うと、猪が飛び出てきた。そして、目の前にいた姫星にびっくりしたように立ち止まっている。


バキッ


 また、音がしたかと思うと、その後ろから鹿も飛び出てきた。そして、姫星を見るや立ち止まってしまった。



(山火事でも起きているの?)


 自然を扱ったドキュメンタリーなどで見られる光景だ。姫星は注意深く山を見つめた。しかしながら、山にはそんな兆候は見られない。ただ、静かに風に吹かれている。


「姫星は何にもしないよ…… 山にお帰り……」


 姫星はそう声を掛けてあげた。当惑していた猪や鹿は、姫星が無害であると理解したのか、そのまま道を渡って反対側の森の中へ消えていった。


「なんか変……」


 姫星は当惑したまま宿へと急いだ。動物たちの様子もおかしいと雅史に報告する為だ。

 すると、前方からこちらに向かってくる雅史の姿があった。無断で宿を抜け出したので、姫星を心配して探しに来たらしい。


「村の様子が変だから気を付けなさいと注意したでしょ?」


 姫星の返事を聞く前に雅史が言った。恐らく、山形の家から駆けて来たのであろう。雅史は肩で息をしている。


「…… ゴメンナサイ ……」


 姫星は小さく手を合わせて謝っていた。


「それより、なんか磁石が変だよ」


 霧湧神社での出来事を簡単に雅史に説明した。


「ちょっと磁石を見せて……」


 姫星の説明を聞いた雅史は磁石を手にとってみた。


「……」


 この磁石は前回の取材でも使っている、その時には何も問題は無かった。そして、地図と自分のいる場所・方角を確かめてみた。


「ふむ、ここだと問題は無いようだな」



 雅史と姫星は、再び霧湧神社の境内に向かった。雅史は自分の目で確認したかったからだ。


「あれ? なんかおかしい……」


 霧湧神社の境内についた雅史は、地図と磁石を取り出して、目の前の光景を眺めてみた。だが、地図上の位置と山の位置と磁石の示す方角が合っていない。北を正しく示していないのだ。


「そうか…… この辺は磁場が狂っているんだ……」


 この霧湧神社が有る一帯は磁力の異常スポットだったのだ。

 雅史は考え込んでしまった。先日の姫星が、お寺で起こした幽霊騒ぎの時に感じた、違和感の正体はこれなのだろうかと考えたのだ。


「磁場が狂うって…… そんな事があるの?」


 姫星は雅史に尋ねた。磁石は常に北と南を示すと学校では習っているからだ。


「ああ、以前に千葉県でも似たような現象が起きて、話題になったこともあるんだよ」


 千葉県の一部の地域でのみ、方位磁石が五度~十度ずれてしまう現象が起きて話題になった。ニュースにも取り上げられている。その地域はガス田の上にある為、それの影響ではないかと推測されていたのだ。


「なんらかの霊的エネルギーが貯まっていて、磁場が発生して磁石を狂わせているとか?」


  姫星は電子機器が有る処では心霊現象が発生しやすいとの都市伝説を聞いた事があった。


「霊的なエネルギーとかは不明だけど、脳の活動には影響を与えるかもね知れないね」


 もっとも、そこまで強い影響を与える磁気では、電子機器はまともに動かないものである。


「たまたま、磁気に鋭敏な人が、見えたり寒気を感じたりするのかも知れない」


 人間の脳の仕組みは、まだ解明されていないのだ。だが、携帯電話にしろ中継する基地局にしろ電子機器の塊だ。磁石に影響が出るような磁場の乱れで、機材が異常を来たしてもおかしくはなかったのだ。


「人間は意味不明な現象に出合うと、自分の理解できる範囲で考えるようになるからね」


 雅史は巷に溢れる幽霊の目撃談は、磁場の異常なのではないかとも考えていたのだ。


「毛劉寺が東じゃないのなら、本当は北東になるのかな?」


 姫星が地図を見ながら言った。


「あっ!」


 雅史は今まで気にも留めていなかったが、地図だと方位は正しく判る。


「どうしたの?」


 急に叫んだ雅史に姫星は驚きながら聞いて来た。


「ああ、あの寺の配置には意味が在ったんだ」


 雅史は霧湧神社を中心にして、寺が配置されている意味を理解したのだ。


「意味?」


 姫星は雅史に尋ねた。


「霧湧神社の周りにある寺。 毛劉寺・毛巽寺の配置は鬼門と裏鬼門にあたるんだよ」


 霧湧神社を中心に考えると良くわかる配置だった。鬼がやってくると信じられていた時代の名残りだろう。古来から鬼門の方角に魔よけの意味で『猿の像』を置いたりする。


「…… 風水でしたっけ? 鬼門とか裏鬼門」


 風水とは陰陽道の考え方だ。大雑把に言ってしまえば、自然には力が流れていく方向があり、それの流れを読み取って運を良い物にしようという考え方だ。


「そう、風水の考え方だね。 でも仏教とは余り関係ないように思えるんだけど……」


 雅史は考え込んでしまった。


(寺が出来た時代には、貧困に悩んでいたに違いない村に、何故二つも寺が必要だったのか?)


 問題はどうしてそうしたのかだった。恐らく知っているのは一人だろう。


「力丸爺さんに聞いてみるしかないか……」


 二人は一度宿に帰ることにして霧湧神社を後にした。



 山形の家に帰り着いた二人は、玄関先で出かける用意をしていた誠に会った。忙しそうに車に色々と積んでいる。


「山形さん。 力丸爺さんの家に行きたいのですが……」


 雅史は誠が祭りの準備で忙しいのは分かっているので駄目もとで言ってみた。


「ええ、良いですよ。 でも、力丸爺さんの家に行く前に寄り道しても良いですか?」


 誠はすぐに引き受けた。どうせ役場に行く次いでだからだ。


「寄り道?」


 雅史が聞き返した。


「ええ、村の公民館に置いてある、毛劉寺の増長天像を見に行くんですよ。 毎朝、確認してるんで……」


 泥棒対策の為に貴重な仏像を避難させているのだ。それの安否確認に行くらしい。


「ああ、公民館に隠したって仏像ですね。 私も見てみたいです」


 姫星も一緒に行くと言い出した。


「どうぞどうぞ。 でも、ちっちゃい仏像ですから、見てもがっかりしないで下さいね」


 誠は屈託なく笑った。


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