後編
イワン・エヴァンスは暖かいスープを飲みながら窓の外を眺めている。
朝日が差し込み、部屋の奥角まで照らしていた。
埃がダイアモンドダストのように良く見える。
「掃除をしないといけませんね。さぼり過ぎましたか」
少女を助け出してから三週間が経つ。
その三週間に色々と動いた。
まず、衛生兵として同行していた大隊に退役を申し出て受理される。
学生の衛生兵ではよくあることだからと、思っていたよりあっさりと。
少女を助けたいという意向も汲み取ってもらえたようだ。
そして今は戦場から離れ、軍から紹介された場所にいる。
戦火を逃れている田舎だった。
彼は迷うことなくここに居を構えた。
住居は空き家で小ぢんまりとしているが状態は良い。
周辺も家の横には防風林があり、適度な丘になっている。
その丘は牧場のような草原となっていて広い。
痛んだ心を癒すには良い材料が揃っていた。
しかし、到着してからが大変だった。
少女の左腕と左脚の処理をしなければならない。
止血処置しか出来ていなかったために、彼は焦っていた。
最低限だがオペが出来る状態を作る。
即彼女の身体から離れてもらうべき部分と別れさせる作業を行った。
全て一人でやるしかないために、まだ戦うのかと辟易しながら。
ずっと意識の戻らない少女に心を痛めながらも、イワンは無事に成し遂げる。
少女を助け出し運んでいる途中で知り合いの工兵にあるものを頼んでいた。
その工兵はイワンに共感し、急いで用意してくれたようだ。
すでにイワンの手元に届き、事は済んでいる。
部屋のベッドでは少女がようやく意識を取り戻しかけていた。
「う、ん……」
窓際のイワンはすぐに気づいて少女の傍へ行く。
「意識が、戻ってくれた」
両手をベッドに乗せ、シーツをギュッと握る。
涙が零れ落ちた。
「ここ、どこ? え、何?」
「ここは安全な場所です。安心していいんですよ」
少女はイワンの顔を見て一瞬ビクっと震えた。
だが身体を動かして、あることに気付く。
「これは、何?」
「ああ、驚くのも無理はないですね。義手と義足なのですから」
「きゃああ! あたしの手が……足が……」
彼女は狼狽える。
覚悟はしていたはずのイワンも思わず慌ててしまう。
「大丈夫、大丈夫なんです」
「何が! 何がよ! あたしの手と足がこんなことになっているのよ!」
「いきなりそんなに動いたら怪我をしますから、落ち着いて!」
イワンは彼女を抱きしめる。
それしか暴れるのを抑える方法は無いだろう。
そのままこれまでの経緯を必死に話して聞かせた。
「みんな目の前でいなくなっちゃったの。私も凄く痛かったし」
涙が頬を滑り落ちる。
一瞬のうちに状況が変わってしまった。
そんな当時の事をこれ以外は覚えていないらしい。
ただ、自分一人だけになったという寂しさが全てを覆いつくしているようだ。
それからも数時間は話した。
イワンが必死に治療したことが彼女には伝わり始めていた。
「これ、動くんだね。触っても分からないけど、動かせるの。変だよ?」
そう言って、ベッドから降りようと試みる。
「まだ早いですよ。ずっと眠っていたのだから」
「もう起きてから随分経つわ。動きたいし」
イワンが止めるのを聞き流してベッドから降り立ち上がる。
「わあ。ちゃんと立てるよ。おっと、わわわ、あれっ?」
彼女の身体をイワンが受け止める。
「ほら、こうなる」
「脚の感覚が無いことに慣れていないからよ。でも動けそうだわ」
少女はもう一度立つようにイワンへ目で頼む。
「わかりましたよ。見かけによらず強いんですね」
少女はダークブロンドのショートヘアで茶色い眼。
肌は白く、とても細い。
工兵に頼む際にも不格好になるかもしれないと言われていた。
しかし細い腕と脚にピッタリのモノを用意できたようで。
「彼にも連絡とお礼をしないといけませんね」
じっと立っている彼女を見て呟いた。
「そう言えば、名前を聞いていませんでした。私はイワン・エヴァンス」
「あたしは」
少し俯いたがすぐにイワンへと目線を戻す。
「ミラナ……ミナコヴァ」
「もしかして、すぐに思い出せなかった?」
「そう、なの。びっくりした」
「あと、歳はいくつになりますか? 私は二十四歳です」
「あたしは十四歳」
そう伝えた時、ミラナの身体が揺れ出した。
だが彼女は手のひらを見せる。
「大丈夫、まだ倒れないわ。ほんと感覚が無いのって不便ね」
「私に君の感覚まで分かればいいのだけれど、ごめんなさい」
イワンの所まで歩こうとし始めるミラナ。
彼は思わず一歩彼女に近づいた。
ミラナは突然号泣し始める。
「どうしました!? どこか痛む!?」
右脚で支え、義足を引きずるように少し前に出す。
イワンに動ける姿を見せつつ、袖のシワを掴んだ。
「……一人にしないで」
そう言いながら小刻みに震えている。
急に恐怖が襲ってきたのだろうか。
意識が戻って色々話し、体も動かした。
様々な感覚が戻ってきていてもおかしくない。
彼女が発した一言で充分に伝わった恐怖心。
痛いほどイワンは感じているだろう。
その気持ちが分かるからこそ、この家まで逃れてきたのだから。
「私も一人ですし、君さえ良ければ一緒に暮らしませんか?」
イワンは微笑んでみせる。
「ありがとう」
お互いに微笑み合う。
様々な思いを込めて――
傷ついた元衛生兵~小さな光と共に~ 沢鴨ゆうま @calket
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