第11話 空がこの上なく青く美しいときは、きっと空を見つめる人たちの涙を集めているのでしょう

 俺は、胸の高鳴りを押さえながら、訓練場に乱入してきたピンク色の髪をにらみつけた。


 まだ体の自由が利かない。

 全身に650個ある筋肉のすべてが、俺の意志に関わりなく動いている。

 まるで操り人形の糸によって、操られているかのようだ。


「あなたは何者です、まずは名乗りなさい」


 俺の口から出てくる声は、いつも令息令嬢が怯えるような、ドスのきいた声ではない。

 女性的な柔らかさを持っていて、甲高い、悪役令嬢クラリスのものだった。


 メアリは、膝の砂を払って、すっとその場に立ち上がる。

 鼻にちょっと砂がついているのは減点だったが、膝を折り曲げて、スカートの裾を掴む、折り目正しい仕草をした。


「失礼いたしました、お嬢様。お初にお目にかかります、私はアルベルト公爵領から参りました、アッシュ準男爵の娘、メアリ・エルクレア・リュパと申します。メアリとお呼びください」


 どうやら、一通りの作法は仕込まれているようだった。


 家長のアッシュが教えたのではない。

 おそらく神官長か、神殿の者がこの5年でメアリに教えたのだろう。


 神殿の連中は、ハインツ聖皇国では最も古風で、伝統的な作法を使う。


 食前や就寝の祈りに、パンの食べ方にまでルールがある。

 下手をすると、俺よりもまともな作法を教えられているかもしれない。


 公爵領では、南部の旧王朝の作法がじゃっかん混じっていて、いつ敵襲があっても対処できるよう、時間のかかる作法はかっ飛ばされていた。

 食前の祈りなんて3秒で終わる。


 だが……それにしては、妙だ。

 まず、服装が気に食わない。


 ゲームをやっている時は、メアリの視点だったから気づかなかった。

 あるいは、たんに男子高校生だった頃の俺の感性が、そのことを見抜けなかっただけかもしれないが。


 どうしてメアリはこんな貧相なドレスを着ているのだろう?


 ドレスや身なりは、挨拶の言葉の延長にあるようなものだ。

 家柄を、権力をあらわし、自分の所属をあるていど見るものに伝える役割りがある。


 俺はこの世界に転生してから16年。

 幾万のドレスを見慣れる環境にいた。


 流通の授業を熱心に受けている訳ではなくても、それが上物でないことは、すぐに分かった。


 上物どころか……そのドレスは、洗濯槽の底にたまっていたみたいに色がくすみ、くたびれている。


「……まぁ、なんてみすぼらしい格好なのかしら?」


「はうぅ、すみません」


 メアリは、恥ずかしそうにうつむいて、顔を赤らめた。

 年相応に恥ずかしがるメアリをじろじろ眺め、俺は小さく息をついた。


 ……ああ、なんて軟弱なんだろう。

 これが俺の最終目標だとは。


 このとき、悪役令嬢クラリスが怒りを抱いていたのは、神殿に対してだった。


 神殿は、聖皇国に君臨する3大勢力のひとつ。

 メアリを預かっていたルーベンス修道院にしたって、公爵家の大貴族が修道女になったり、俺の誕生パーティに神官長が呼ばれて、祝福をささげてもらったりするぐらい、身分が高いものだ。


 彼らが粗末なドレスしかメアリに与えなかった、という事実が、悪役令嬢クラリスを傷つけた。


 メアリは、15年間、一度も顔をあわせることのなかった自分の従妹であり、遠い未来に立ちはだかるであろう、強大な敵であった。


 ゲームの終盤に手に入れるような、ゴージャスで、聖なる力さえ宿ったドレスは、本当はこの時点で着ていてしかるべきだった。


 それが、ないがしろにされているというのが、どうしても気にさわった。


 イライラしながら、鉄の扇(5キロ)を開いて口元を隠した。

 表情を隠すのに、扇は役に立つ。


「少しは淑女らしい立ち振る舞いをなさい、見苦しい。貴女はいったい誰に礼儀作法を教わりましたの?」


「あの……神官長が教えてくれました……」


「まあ、『あの』アリオードですの?」


 予想はしていたが、本人が教えていたのか。


 メアリは、目をぱちくりとさせた。

 どうやら、俺があの神官を知っているとは、思わなかったらしい。


 こいつ、自分のところの修道院が、どれだけ王家と深くかかわっているか、分かってないな。


「はい……神官長の事を、ご存じだったのですか?」


「ええ……少しご縁がありまして。誕生会に、祝福をいただいておりましたわ」


「うわぁぁぁぁ~!」


 メアリは、目を500ルクスぐらいキラキラさせていた。

 まぶしい。

 目が焼かれて直視できない。


 忘れるわけがない。

 あの男。


 俺の誕生パーティに、突如として現れた神官長。

 孤児たちの救済を訴えて、公爵の前で自害をはかった、あの男だ。


 あの男の行動の意味を、ずっと考えていた。


 ひょっとすると、形はなんでもいいので、俺とメアリのつながりを持たせたかったのかもしれない。

 俺にだけは、メアリの正体を伝えておくつもりだったのかもしれない。


 将来、メアリが継ぐかもしれない次期公爵という立場の事を一番よく知っているのは、俺だ。


 俺ならば、メアリの味方になってくれるかもしれない、そう考えたのかもしれない。


 普通に考えれば、ありえない話だ。

 将来は敵になるかもしれない相手に、わざわざ教えるなんて。


 だが……事実『普通ではない』のだ。

 ひょっとして、読まれていたのか。


 悪役令嬢クラリスが、『一領主などという小さな器』に執着するような女ではない、ということを。


 ああ、なんて狡猾な奴だ。

 俺は、口の端が吊り上がった。

 そうだ……次期公爵などというお下がりの立場など、こいつにくれてやってもいい。


 メアリは、ぴょんぴょん嬉しそうに飛び跳ねた。


「素晴らしいお方でしょう! 聡明で、話も面白くて、頼りがいがあって! あの方がいてくれたおかげで、私は学園に通うことができるんですよ!」


「なんというか……『変人』ですわね」


「なあっ!?」


 俺は、普通の基準に照らし合わせてみたが、やっぱりアリオードは変人だろう。

 うん、と頷いた。


「孤児の救済を訴えて、公爵殿下の前で自害しようとするような、常識知らずでしたわ。まったく、貴女にもいったい何を教えていたのか、分かったものではありませんね?」


「じ、自害……? 神官長が? そんな……」


「知りませんの? アリオードは5年前、公爵殿下に孤児院の支援を訴えて、短剣で自分の喉を突こうとしていましたのよ……礼儀作法とかそれ以前の問題で、常識を疑われますわ」


 メアリは、その夜のやり取りをはじめて知ったのだろう。

 ショックを受けて、石像みたいに固まっていた。


『あの夜の事は決して口外しない事』


 どうやらアリオードは、メアリに対しても真実を打ち明けていなかったようだ。

 彼女を守ったのだろう。


「そんな……神官長は、そんな事は、ひとことも……」


「まあ、あの男に作法を学んだのなら、仕方ありませんわ。なるべく憐れみを誘うように、わざと安物のドレスを着させている、ということでしょうね。非常に合理的です」


「……ッ!」


 メアリは、ぐっと唇を噛んでいた。


 俺は、眉をひそめた。

 本当は、こんなセリフを言いたいわけではなかったのだ。

 だが、悪役令嬢クラリスの体は、思いもよらない言葉を紡いでしまう。


 だいいち、淑女らしい立ち振る舞いをしろなどと、いったいどの口が言うのか。


 たかがドレスのことで、俺が何か言うたびにメアリが傷ついていくのが、見ていて忍びなかった。


 まるで操り人形みたいに、不思議な糸によって操作されている。

 たぶん、この見えない運命の糸は、ゲームの『脚本』だ。


「い……言い直してくれませんか」


 ぐっと顎を引いて、メアリは俺をにらんでいた。

 いい面構えだ。

 南部の作法を覚えたのか、と思っていたら、彼女はすうっと息を吸って、俺に言った。


「神官長は、私たち孤児を救うために、いつも必死だったんです。5年前、飢饉で食べ物がなかったとき、あの方が手を差し伸べてくれたおかげで、今のアッシュや私がいるんです……言い直してください、でないと、私は貴女を嫌いになってしまう」


 俺の扇を持つ手が、ぶるぶる震えていた。

 ドレスの中でも鉄の重りが、かちゃかちゃ、と音を立てている。


 ……なんてことだ、恐れている?

 この俺が、こんな小さな女の子を。


 俺ははじめて、メアリの目をまっすぐ見ていた。

 その目は、まるで夏の日差しを反射する川面のように、無尽蔵の光を辺りにばら撒いていた。


 この女……こんな目をしていたのか。

 ゲームでは、声しか聞いてこなかった。


 悪役令嬢クラリスの立場になってみて、今、ようやく分かる。

 次期公爵の立場を彼女から奪いかねない、巨大な存在である以前に、メアリは底知れない力を秘めた怪物だった。


 だが、同時に心の内側からこみ上げてくる、この怒りはなんなのだ。

 お前ほどの傑物が、一体、どうしてあんな男を妄信して、自分の才能を埋もれさせなくてはならないというのだ。


 俺は、扇をばしっと閉じて、力の限り握りしめた。


「貴女は何を勘違いしているの。私の事を嫌いになるというのなら、私の許可を取る必要はございません、そうすればよいでしょう」


「……!」


「覚えておきなさい、メアリ嬢。私は上に立つ者として、自分の言は決して曲げません。それが南部の流儀。公爵家の作法です」


「公爵家の……作法?」


「最も上に立つ者が自分の負うべき責任から逃れれば、その責任を負うのは、自分より下の者しかいないでしょう……私はアリオードや、神殿の連中のように無責任でいたくないの」


 ひと握りの人間から恨みを買ったからといって、やすやすと言葉を翻してはならない。

 そうすると、より大勢の者に責任を負わせ、より多くの恨みを買うことになる。


 このとき、悪役令嬢クラリスは、次期公爵としての立ち振る舞いをメアリに伝えようとしていた。

 自分が恨みを買うのもいとわなかった。


 自分の立場が脅かされることを恐れて、メアリに嫌がらせをしていた小物だと思っていた。

 まったく逆の事をしていたのだ。


 不覚にも、俺にはその真意まで読み取ることができなかった。

 神官長の真意を読み取るのにも、5年かかったのだ。


 初対面で彼女の事を理解できるはずがない。

 ゲームでは、神官長のことをひたすら非難しているようにしか聞こえなかった。


 メアリもきっと、そうだっただろう。

 それはメアリの主観でしかない。


 ますますショックを受けたように、青ざめている。

 その表情に、悪役令嬢クラリスは、心を痛めたようだった。

 だが、こちらの表情は1ミリも揺るがない。


 俺がメアリとにらみ合っていると、がしゃがしゃ、と鎧の音を響かせ、リヒターがやってきた。


「クラリスお嬢! その辺にしておいてあげてください!」


 俺は、うるさそうに眼を細めて、リヒターの方を見た。

 どうやら、はたから見ても、俺が態度のなっていない新入生をいびっていた悪役令嬢のように見えたらしい。


 それでいい。

 俺とメアリの関係は、誰にも知られてはならない。


「リヒターッ!!!」


 俺が声を放つと、その音声は、魔弦の振動を介して数倍に増幅された。

 太鼓の一打のように空気をどんっと震わせ、リヒターをその場に立ち止まらせるほどの衝撃を響かせた。


 リヒターは、鎧のままその場にひざまずいて、頭を下げた。

 俺は、ちょうどいい、とばかりに言った。


「あなたが今日からこの子に、舞踏ダンスの手ほどきをなさい」


「は……!?」


「夏に公爵家の舞踏会をもよおします。それまでに、彼女を一人前のレディに鍛え上げておきなさい。パートナーの選別もあなたに一任いたします。よろしいですわね?」


「ははッ……! ありがたき幸せ……ッ!」


 リヒターは、ひたすら俺に頭を下げるだけだ。

 近衛兵としての心構えが、すでにできている。

 振り返ると、メアリは、がるる、と牙をむいて、まだ俺に食ってかかってきた。


「待ってください、私は舞踏会に出場するなんて、ひと言も……」


「貴女に命令を拒否する権限があるとお思いですか? メアリ・エルクレア・リュパ」


 俺は、負けじと眼光を鋭くして、メアリを押し黙らせた。

 メアリの眼光をはじき返すのは、かなり骨が折れたが、心の一法の集中力を総動員して威圧する。


「私は次期アルベルト公爵領主、クラリス・エイブラハムです。私の命令は、領主の命令と同じと思いなさい」


「……! そんな、貴女が……! あのクラリスお嬢様……!」


 メアリは、ようやく俺の正体に気づいたみたいだ。

 そういえば学園に来る前に、悪役令嬢クラリスに対する「けっして逆らってはならないあの人」的な噂をいろいろな所で聞いていたな。


「では、ごきげんよう。次に会う時は、まともな服装で出迎えて欲しいものですわね」


 俺は50キロのスカートの裾をぶうん、と翻して、メアリの前から立ち去っていった。

 授業に出るつもりはない、どこか夕涼みするところを探すつもりだった。


 瓦礫に埋もれた訓練場に残されたメアリは、自分の貧相なドレスをつかんで、「どうしよう」と静かにこぼしている。


「……ドレス、ないよぅ」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 しばらく歩き続けると、俺は全身に絡みついていた糸のようなものの力が緩むのを感じた。


 学園の廊下で、ぼーっと、その場に立ち尽くしている。

 悪役令嬢クラリスの『脚本』がここで終わったのだ。


 どうやら、ゲームのメインストーリーに関与しない範囲では、行動が制限されないみたいだった。


(……いや、どこにも行く必要ねぇな、これ)


 メインストーリーを変えることはできそうにない。


 だが、ゲームのメインストーリーでは語られない、影のストーリーもあるはず。


 俺は、そのまま訓練場にUターンしていった。

 このあと、落ち込んでいるメアリをリヒターが励ます場面がある。


 イベント終了時に戦闘力がアップして、その後は分からない。


 そこで何とかメアリと接触をはかれないだろうか。


 うかつにメアリに近づくと、メインストーリーに関与しかねないので、なるべく慎重に。


 物陰からこっそり様子を窺うと、剣を持ったメアリと、リヒターがいた。


 メアリはドレスを着るどころか、肌に張り付くスエットに身を包み、スポーティな格好になっていた。

 互いにぴりぴりと張りつめた空気を漂わせ、静かに呼吸を整えている。


「えやー!」


 メアリが剣を高く持ち上げ、切りかかっていく。

 リヒターは回避しようとしない。

 真正面から剣で受け止め、はじき返してやっている。

 まるで子供に剣を教えるときのようだ。


「もっと踏み込みを意識してください!」


「はい!」


「剣の先端に結んだリボン以外は、打突部分として認めません! その一点に集中するように!」


「はい!」


 俺はその訓練風景を見て、「なにか違う」と首を傾げた。


 リヒターには、舞踏会に出るための特訓を任せたはずが、なぜかガチで武術の訓練をしていたのだ。


 たしかに、このイベントを経験することで、リヒターが仲間になり、メアリの戦闘力は飛躍的に上昇する。


 だが、こんな訓練までしていたなんて、俺も知らなかった。


「メアリ様! クラリスお嬢様のお眼鏡にかなうレディになるまで、私がお付き合いして差し上げます!」


「ありがとうございます! でやぁぁ!」


 戦闘力 3→33


 パラメータを見ると、メアリの戦闘力が、ぐんぐん上昇していた。


 ……俺のせいか?


 どうやら目指すべきレディの定義が、変わっているのだ。


 ひょっとすると、知らないうちに俺はこの世界の『脚本』を、歪めてしまっているのかもしれない。

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姉貴のゲームをこっそりやっていた俺が悪役令嬢に転生して恋して無双する話 桜山うす @mouce

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