第10話 目の前に雪の使者が現れたら……たとえ溶け去ると分かっていても、手を伸ばすしかなくて

 転入生のメアリは、魔法学園でかなり浮いた存在となっていた。


 準男爵という平民スレスレの身分も珍しいし、ピンク色の髪も珍しいし、なにより動作がいちいち危なっかしい。


 どうやら、義父のアッシュ少年の前では気にしていないふりをしていたらしいが、さすがに緊張しないでいるのは無理だったろう。


 正面ロビーの扉の迫力に気おされたのか、誰かが開けてくれるのを待つ子猫のように、扉の前にぽつねんと立ち尽くし。

 他の生徒が普通に入っていくのをじっと見送って、すー、はー、と深呼吸をして、意を決して学園の校舎に立ち入った。


「うわぁー!」


 入った途端、メアリは髪と同じピンク色の目を、キラキラ輝かせた。

 彼女の閃光の魔弦の力によってか、本当に顔からキラキラと光が放たれている。


 窓ガラスが変質してステンドグラスになり、天井に連なるシャンデリアにぼっと火が灯った。

 純白のドレスが深紅のドレスに生まれ変わり、ぶわっとフレアが広がった。

 どうやら、興奮して魔法が発動したらしい。


 感激の声をあげ、ミケランジェロの絵画が延々と書き連ねられた天井を見上げたまま、ぽかーん、として立ち尽くしている。


「広い……高ぁーい!」


 そして距離感を掴もうとするかのように、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、天井に手を伸ばしていた。

 いったい何故とびあがっていたのか、彼女の一人称視点でゲームをしていた俺にも理解できなかった。


 ひょっとすると、今から高いところに逃げるときのイメージトレーニングをしていたのかもしれない。

 いい判断だ。

 だいたいのルートで戦場になるからな、魔法学園は。


 どうやら、俺には狭い檻にしか見えない校舎も、メアリにとっては驚愕するくらい大きなお城に見えるらしい。


 ここまでシナリオ通りだったが、実際目の当たりにすると、かなり突飛な行動にみえる。


 何事か、と周りの少年少女たちの注目を集めて、クスクス笑われて、新入生のなかで一番目立っていた。


 誰か指摘してあげればいいものの、お目付け役の少年は馬車を馬屋にあずけにゆき、メアリはひとりになっていた。


「……従者ぐらいつけた方がよくないか」


「クラリスお嬢様、魔法学園には原則として、従者を引き連れることはできません」


「初めて聞いたぞ、ドレスデン。お前は俺の従者じゃなかったのか」


「私は生徒としてこの学園に入学しましたので、何ら問題はございません」


 などと言いつつ、ドレスデンはいつも携帯しているらしい、学生証を広げてみせた。

 10歳も年の離れたドレスデンが俺の同級生、というのはなんとも無茶な気がするが。

 クラリスほどの公爵令嬢ともなれば、そんな無茶ぐらい軽く通せてしまうのだろう。


 そういえば、俺の取り巻きたちも、よく見るとそれぞれ従者みたいに働いてくれる生徒を従えていた。

 図書館から借りた本を持って歩いたり、食堂で給仕みたいに料理を配膳して、自分は別の部屋でほそぼそと食事をしたり。


 メイド服まで着ているのはドレスデンぐらいだったが、だいたい同じことをしていた。

 貴族間で序列があるので、自然とそういう関係になってしまうのだ。


「うきゃぁー!」


 悲鳴があがったので、みると、メアリが曲がり角で誰かとぶつかって倒れていた。


「だ、大丈夫ですか、ピンクの子」


「ひぃー! すみませんー!」


 派手に広がったメアリの深紅のドレスが、しおしおと縮んで、もとの純白のドレスに戻ってしまった。

 こいつ、ドレスで感情を表すのか。


 どうやら神殿の連中は、彼女に『魔法』しか教えてこなかったみたいだ。

 武芸や身のこなし、貴族社会での身の守り方など、肝心なことはまるで鍛錬していない。


 偶然にも、廊下でぶつかった相手は気前の良い令嬢だったため、そのまま手を振って別れた。


 亜麻色の髪を大きな三つ編みにして、胸元に垂らしている。

 あれはたしか『迷宮部』部長、バベル。


 後にダンジョンで拾ってきたアイテムを売り買いすることになる、重要なサブキャラだった。


 今回は運が良かったが、準男爵令嬢のメアリがこのまま無事で済むとは思えない。


「このままでは、まずいな……」


 はやく、メアリを強くしてやらなければ。

 この弱肉強食の学園で、生き残ることはできない。

 

 これから先のイベントを進めていくためには、メアリの戦闘力はある程度たかめておく必要がある。


 だが、戦闘にばかりかまけていては、恋愛イベントの多くを逃してしまうことになる。

 ダンジョンに潜るだけで1日を費やしてしまって、結果として親密になるのは、ダンジョン探索マニアの部長だけだ。


 正直、部長には終盤で伝説の剣をもらったらもう利用価値はないので、そこまで親密になる必要は特にない。


 逆ハーレムルートに至るためには、裏道があった。

 手っ取り早く戦闘力を高めつつ、恋愛イベントも推し進めていくためのイベント。


 俺は授業の時間を利用して、中庭に向かった。

 この世界がシナリオ通りに進んでいるのなら、あいつがいるはずだ。


 レンガと漆喰の壁で作られた鍛錬場。

 補修が手早くできるように、という配慮で、ここだけ簡素な作りになっていた。

 床一面に砂が敷き詰められ、四方に練習台の人形が設置されている。


「リヒター!!」


 鉄の鎧に身を包んだ青年が、大きな剣を振って鍛錬している。

 全身汗まみれになっているが、それがよく似合う爽やかな眼差し。


 顎は細く、体つきに反比例するように小顔だ。

 身長は210センチ、肩幅が横1メートルはあり、はちきれんばかりに膨らんだ逆三角形の胴体を持っている。


 体にぴったり張り付くシャツを着ると、アメリカ映画のヒーローにしか見えない。

 その筋肉の鎧の上から身に着けている鉄の鎧は40キロ。

 いずれ近衛兵になり、レイモンド王子の隣で戦う未来をまっすぐに見つめていた。

 王子の婚約者の俺とも、自然と接する機会が多い。

 言葉遣いも慇懃だった。


「クラリスお嬢様。お目にかかれて光栄です。お嬢様も、早朝の鍛錬でございますか」


「そのつもりだったが、ちょっと都合が悪くなった。リヒター、その剣、50キロぐらいあるか?」


「ありませんね。軽いと問題がありますか?」


「今日は俺がドレスを脱げないのだ。ドレスデンが授業に出ているので、脱いだあと着付けができん」


「まってください……50キロぐらいなら、よっと」


 リヒターは、オーダーメイドの鉄の鎧の上からさらに鉄の鎧を重ね着した。

 騎士団ご用達のこの鎧は、プレートメイルのように部品をつなぎ合わせるため、体格にあわせて若干の修正が効く。


 リヒターは、70キロオーバーの鉄の塊になった。

 これで俺の超重量級ドレスと、ほぼ同等のハンデだ。


「いい男になったな、リヒター」


「アルベルト公爵さまには内密にお願いします」


「話がわかる男は嫌いじゃない」


 武闘派のリヒターは、俺の同期の中でも、もっとも前世の俺によく似ていた。

 自分に厳しく、ストイックに己を鍛え続けるタイプだ。

 そして、己が強さを認める相手と全力でぶつかり合うことに、至上の喜びを見出している。


 リヒターの体を、砂粒のように小さな光が取り巻いてゆく。

 ノイズのように途切れ途切れだが、それはまごうことなき、魔弦。


 ダイヤモンドダストのようにきらめき、息を白く凍らせる、雪の魔弦だった。


「行きますよ、お嬢」


 魔弦とは、人体を構成する筋肉の延長、人類が獲得した新たな外骨格だ。


 強い魔弦ほどリーチが長くなり、究極的には俺の金の尻尾や王子のドラゴンの尻尾のように太い束になるものだが。


 他のリーチが長い武器と同様に、手元に近くなるほど動きが鈍く、弱点になりやすかった。


 魔弦の場合、皮膚の上が根元になる。

 鎧を着ていると、分厚い装甲のおかげで、ほとんど動かせない。


 俺もドレスを脱がなければ、金の魔弦を解放することができなかった。


 だが、リヒターの雪の魔弦は、あまりに短いため、鎧の下でも十分に伸びきり、変わらず全力を発揮することができる。


 70キロの鎧をまとっていても、その隙間を自在に縫って発動できるのだ。


「すみません、クラリスお嬢は、魔弦が使えないのは分かっていますが」


「いちいち謝るな。お前は相手との実力差を見抜いて、最適な措置をしているだけだ」


「ああ、本当にすばらしいお方だ。お会いできたことを誇りに思います」


【好感度】87→90


 リヒターの俺に対する好感度が、ぐっとあがった。

 俺がヒロインなら、攻略ルートに入ったぐらいの数値である。


 だが、今は俺よりもメアリとの攻略ルートに入ってもらわないと困るのだが。

 本来のルートに入るのに大きな影響を与えないか、祈るしかない。


 吹雪が激しくなり、台風のようなうなりを上げ始めた。

 リヒターの体が雪で見えなくなる。

 ホワイトアウトだ。


 訓練場を豪風が吹き荒れ、練習台の人形が大きくしなり、破片がべきべきと音を立てて宙に浮かび上がった。


『遠隔力』の嵐の中心にいる。

 まるで白い宇宙空間に放り込まれたような錯覚を受けた。


 雪の魔弦の力は、ひとつひとつは弱い。

 俺の皮膚にぶつかる前に、体温で溶けてしまう。


 だが、ひとつひとつの力を無駄なく集めれば、黄金の魔弦に匹敵する力を発揮することができる。


 加速を繰り返すリヒターは、嵐の中で信じがたい速度に到達していた。


 去年よりも、また強くなった。

 俺は嬉しく思った。


「クラリスお嬢様、お慕い申しております!」


 リヒターの気配が変わると、吹雪もそれに合わせて向きを変え、白い雪埃が俺めがけて吹きよせてきた。


 隠すつもりがまるでない。

 俺に真正面から気持ちをぶつけてくる。

 リヒターは、まっすぐ過ぎるのが玉に瑕だ。


 上空で雪の魔弦が絡み合って、短い氷柱のようにとがっていた。

 雷雹らいひょうに引っ張られて生じる力の慣性を、リヒターが全身の筋肉を引き絞って、余すことなく両腕へと伝える。


 リヒターが剣技に入る。

 そこから先の剣技は、まさに職人芸だった。


 30センチの鉄の具足で地面を踏みぬき、狙いすましたように最適な位置にてこの支点を生み出す。

 地面に沈み込もうとする振り下ろしの力に、踏み込みによって瞬間的に仰角の力を加えるのだ。


 一見して不合理なこの『踏み込み』の力は、振り下ろしの力とあわさることによって力の渦を生じさせる。

 渦は内側の動きが遅くなるかわりに、外側の動きを加速させる性質を持つ。

 剣の打突部のみに力を凝集させ、対象を斬るための技巧だ。


 その渦は腰から背中、両肩へと、逆三角形の体躯を這い上ってゆき、おぞましい大蛇となって伝播していった。


「うおおおおおおいくぞおおおッ!!!」


 斜めに構えられたリヒターの剣が、ぎらっと目を焼くような陽光を反射し、怒号が鳴り響いた。

 

 俺は、愛剣ダヴィニフスを抜くと、その剣を真下から弾き飛ばした。


 がぃぃぃぃん、という、スクラップ工場で車をつぶすような耳障りな金属音と共が響いた。


 あまりに速く弾き飛ばしたせいで、リヒターがはっと気づいたときには、両手から剣が消えていた。

 彼の剣は、ブーメランのように「く」の字に曲がり、鍛錬場のはるか上空へと飛ばされていた。


「!!!!」


 リヒターの目は、一瞬空の方を向いた。

 その目はもう、諦めに満ちていた。


 雪の魔弦がまともな力を出すには、時間をかけて力を集めなければならない。

 最初の一発が弾かれたら、ほとんど死に体になってしまう。


 最低でも、相手の力をある程度は削っておく公算だったのだろう、そうでなければ負けはほぼ確定だ。

 だが……そこで粘らなければ、チャンスをすべて失う。


「リヒター! そこだ、お前の悪いところだ! 最後まで食らいつけ!」


 はっと覚醒したようなリヒターの目が、俺の方に向き直った。

 リヒターは、腰からサブウェポンを取り出す。


 刃渡り30センチほどの短剣だ。

 リヒターが両手を組み合わせると、鎧にこびりついたわずかな雪が針のように尖った。

 70キロの巨体をゆすぶるように進行方向を変え、俺に覆いかぶさるような突進をしてきた。


 だが、最後まで粘ったところで、俺も軽々しくチャンスを与えてなどやらない。

 突ける隙が見えたら、全力でそこを突いて、相手を負かせてやる。


 俺は、愛剣ダヴィニフスを横に一閃した。

 ドレスが重いので、足は動かさず、ほぼ腕の振りだけだ。

 九尾の力を全力で発揮させると、金色の風が吹いて、地面に火柱の線路が灯った。


 リヒターは、魔弦が一瞬放った眩い光に弾かれ、大仰にのけぞった体勢のまま、鍛錬場の端までふっとび、隕石みたいに地面にわだちを作った。


 立ち上がるかと思ったが、リヒターは仰向けにぐったり倒れてしまった。

 俺は、あきれて息をついた。


「リヒター! 立て!」


 俺の言葉に続いて、不思議な声が鍛錬場に響き渡った。


「受け身も取らないとは情けない! お立ちなさい! それでも近衛兵団長の第一子ですか!」


 俺は、自分の口から出た言葉にはっとした。


 ……なんだ? いまの言葉は。

 ひょっとして、俺が言ったのか?


 落ち着け、いまのセリフ、どこかで聞いたような気がする。

 確か……そうだ、悪役令嬢クラリスのセリフ、そのままだ。


 メアリが主人公のゲームをプレイしているときに、このセリフを聞いた、ということは。


 はっと見ると、ピンク色の髪がひょこっと鍛錬場の隅っこから、こちらを覗いていた。


 奴が来た。

 いずれこの世界で、最強の魔弦使いとなる女。


 いまは田舎の少女でしかないが、やがて逆ハーレムの主となる大悪女。


 びくっと肩をふるわせ、俺とリヒターのやり取りを観察している。

 その怯えるような目に、俺はぞくっとした。


 まるで、そのピンク色の眼差しが、俺の戦闘技術のすべてを遥か高みから俯瞰して、コピーしようとしているかのように感じられたのだ。


 恐れている? この俺が。

 そんな事が、ありうるのか。

 俺は怒りがこみあげてきて、つい怒鳴ってしまった。


「こそこそ隠れて、何をしていらっしゃいますの!?」


「はわっ、はわわわっ!」


 ピンク色の奴は、俺が声をかけるとばたばたっと両手をふって慌て、段差になっていることに気づかずに足を踏み外し、鍛錬場までごろごろ転がり出てきた。


 あちこち擦りむいて、純白のドレスは、痛みを表す漆黒に染まった。

 痛みからか、恐怖からか、目にぶわぶわとにじみ出てくる涙。


「ご、ごめ、ごめんなさいぃぃ! 迷っちゃったんですぅ! 魔法科棟ってどこですかぁ!」


 俺は、愛剣ダヴィニフスを振り回して鞘に納めながら、安堵のため息をついた。


 ……とりあえず、ここまではシナリオ通りだったが。

 どうやら、ゲームの『脚本』は絶対ということらしい。

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