一旦冷静になってから……


「なにしてんの!? 本当にもう、なにやってんの!?」


 ずるずると暫しの間やよいに引き摺られた燈と蒼は、宗獏との会合を行った家から十分に離れた場所で解放されると共に、彼女からのお説教を喰らっていた。

 ぷんぷんどころか、本気で怒りを露にするやよいの様子に気後れする燈であったが、相棒の方は冷静そうに見えてまだ頭に血が上っているのか、彼女へとこう言葉を返す。


「別に本当に斬ろうとしたわけじゃあないさ。ただ、目の前で仲間があれだけ馬鹿にされて、何も言い返さずに帰ることだけはしたくなかっただけだ。そも、あの口振りは君だけじゃなく、師匠たちに対する悪意も込められていたわけだし――」


「はい、お尻ど~んっ!!」


「ぶっっ……!!」


 珍しく早口で、節々から怒りを感じさせる口調でそう述べていた蒼の顔面へと、やよいの大きなお尻が叩き込まれる。

 今回は彼女も本気なのか、あるいは気力で身体能力を大幅に強化していたせいか、その一発を喰らった蒼は後方へと吹き飛ばされてしまった。


「だ・か・ら! それが問題だって言ってるの! わざわざあんなことしてくるってことは、向こうがこっちを怒らせようとしてるってことはわかるでしょ!? その狙い通りに動いてどうすんのさ!!」


「それは……そうかもしれないけどさ……」


「血気盛んで荒れる団員を抑えるのが団長の役目でしょう!? 燈くんはともかく、蒼くんが同じように暴れちゃ駄目でしょうが!!」


「うぐぅ……」


 ガミガミとやよいから本気のお説教をされた蒼は、体を小さくしながら俯いて押し黙った。

 確かに、短慮にも程がある行動をしてしまったと、普段の彼らしくない軽率な振る舞いを徹底的に責めたやよいは、くるりと振り返ると今度は燈へと怒りの矛先を向ける。


「燈くんも! いちいち相手の挑発に乗らない!! 逆鱗に触れる度に怒ってたら、余計な厄介事を背負うことになるでしょうが!」


「わ、わりぃ……」


 どうやら、彼女は燈から発せられていた殺気を見逃すことはなかったようだ。

 蒼の気に紛れて誤魔化せていたかもなと期待していたが、やよいは目ざとく燈の感情の機敏にも注意を払っていたらしい。


 大柄な青年が二人して小柄な少女にお説教される様は、傍から見るとかなり滑稽だろう。

 やよいから叱責されて多少は落ち着きを取り戻した蒼であったが、それでもといった具合で彼女へと言葉を返す。


「……確かに軽率な行動だったよ。部下の命を預かる団長としては、してはならない行動だった。だが、それでも……あそこで怒りを表さないのは、人間としてあるまじき行動だったと僕は思う。謝罪はするけど、後悔も反省もしてないよ」


「なに? もう一発お尻ど~んされたい? あたしは蒼くんの顔面が凹むまでお尻に敷いてあげてもいいんだけど?」


「今回は僕も譲らないよ。やり過ぎるところだったけど、抗議の声くらいは上げてもいいはずだ。それでもというのなら、何度でも折檻するといいさ」


「むむむ~……っ!」


 珍しく、本当に珍しく、自分の食って掛かる蒼の態度にやよいが唸りを上げる。

 どうにも聞き分けが悪くなった彼をどう言いくるめてやろうかと考えている彼女の表情を見て取った燈は、この諍いを止めるために双方を宥めるような言葉を口にした。


「二人とも落ち着けよ。確かに俺たちはやり過ぎるところだったが、あんなこと言われてへらへらしていられる人間なんて居やしねえさ。自分じゃなくてお前や師匠たちのことを馬鹿にされて怒ったんだから、そんなに蒼のことを責めてやるなよ」


「それはそうかもしれないけど、あそこで武神刀を抜いたらとんでもないことになってたのは目に見えてるでしょう?」


「ああ、そうだな。俺が言えたことじゃないかもしれないが、蒼、お前はやり過ぎだよ。やよいが止めてくれなきゃ、あの宗獏といかいうジジイを叩き斬るところだったじゃねえか。あの爺さん、あれでもこの辺の権力者なんだろう? しかも、七星刀匠とかいう幕府とも深い関わりがある人間だ。そんな奴を斬っちまったら、えらい騒動になることをわからないお前じゃねえだろうに……」


「………」


 やよいだけでなく、親友である燈からも軽率な行動を咎められた蒼が、なんとも言えない表情を浮かべたまま口を真一文字に結ぶ。

 心の中にある感情をどう言葉にすればいいのかがわからないといった雰囲気の彼は、その苛立ちともやもやに顔を顰めた後、不意に立ち上がると無言のままにどこかへ歩き去ってしまった。


「蒼くん! もう……!!」


「放っておいてやれ。大丈夫、あいつだって冷静になってるよ。今からあの爺さんを斬りに行くだなんて馬鹿な真似はしないはずだ」


 一人でどこかに行こうとする蒼を追いかけて駆け出そうとしたやよいを、燈が制止する。

 今は一人になりたいのだろうという親友の心情を慮った彼は、やよいの肩を抑えながら大きく溜息を吐いた。


「……蒼がここまで心を乱すとはなぁ。あの爺さん、やり口がえげつねえよ」


「だとしても、普段の蒼くんならあの程度の挑発に乗ったりするわけないじゃん。どうしてああも簡単に向こうの手に乗ろうとするかなぁ?」


 珍しいにも程がある蒼の反応に、愚痴と疑問を入り混じらせた言葉を吐くやよい。

 そんな彼女のことをちらりと見た燈は、また別の意味で溜息を吐いた後に彼女へとこう告げた。


「……蒼にとってのお前は、俺にとっての名前ってことなんじゃねえの?」


「えっ……?」


 それを馬鹿にすることを許さない、自分にとって何よりも大切なもの。

 自分にとってそれは亡き両親から贈られた名前であり、蒼にとってのそれはやよいなのではないかと燈が言う。


 それは即ち、蒼がやよいのことを特別に想っているということなのだが……そんなことを急に言われたやよいは目を丸くすると、視線を泳がせて言い訳じみた言葉を口にし始めた。


「そ、そんなんじゃあないと思うよ。蒼くんも言ってたけど、あの宗獏って人、あたしだけじゃなくっておばば様や宗正さんのことも馬鹿にしてたしさ。全部ひっくるめての怒りだったわけだし、あたし一人のために怒ったんじゃあないって」


「そうかもな。でも、そうじゃないかもしれないぜ。まあ、その辺のことを深く突っ込む気はねえよ。ただ、悪かったな。お前に妙な気を遣わせちまった」


 非道な人体実験による肉体の欠陥も、子供を産みにくくなっているという副作用も、やよいにとっては触れられたくはない深い傷であるはずだ。

 燈と蒼はその傷を無遠慮に触れた宗獏に怒りを露にしたが、やよい本人はひたすらに悲しく、辛く、苦しい思いをしたことだろう。


 その状況下で、蒼天武士団を守るために必死に行動した彼女へと感謝と謝罪の気持ちを表した燈は、必要以上にやよいの傷に触れることはせず、さらりと次の言葉を続けた。


「……取り合えず、先に戻ろうぜ。あの宗獏って奴のことを詳しく聞きたいってのもあるが、それ以上にやんなきゃならねえことがある」


「……栞桜ちゃんに、あの人の存在を教えること?」


「正解だ。お前らの過去に関わってる、因縁深い野郎なんだろ? 栞桜の奴がそんな野郎とばったり出くわしたりなんかしたら、冗談抜きで武神刀を抜きかねないからな」


 宗獏と浅からぬ因縁を持ち、直情的な性格をしている栞桜が、なんの前情報も無しに彼と出くわしてしまったらどうなるか?

 十中八九、宗獏の挑発に乗って彼をミンチにしかねないと判断した燈は、まずは彼の存在を栞桜に伝えることを優先した方がいいと考えた。


 それはやよいも同じだったようで、頭を冷やしに消えた蒼を置いて、今は宿屋で情報を共有すべきだという結論に至った二人は、気持ちを落ち着かせると仲間たちが待つ仮拠点に向かって歩いていくのであった。


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