七日目・深夜


「蒼、く……」


 強く、強く……彼の腕の中で抱き締められたやよいが、胸の鼓動を高鳴らせながら微かに声を漏らす。

 着物も脱がさないままにいきなり行われた抱擁に驚いた彼女は、緊張感を高めながらもあまり焦るなと蒼に言おうとしたのだが……そこで、彼の様子がおかしいことに気が付いた。


 自分を抱き締めたままの蒼は、それ以上のことをしようとしていない。

 自分を裸にしようだとか、接吻や女の体を手慰みのように弄ぶといった行為をしようとはせず、ただただ強く自分を抱き締めるに留めている。


 その様子と、昼間に見た雰囲気がおかしかった彼の姿を思い出したやよいが何かを感じ取る中、彼女を抱き締めたままの蒼が苦し気な声で彼女へと謝罪の言葉を口にした。


「……ごめん。また僕は、君に恥を掻かせてしまうみたいだ。僕は、今日……君を抱くことは、出来ない」


「……どうして? なにかあったの?」


「桔梗さんに言われたんだよ。もしも君との未来を本気で考えているのなら、誠実さを見せろって。師匠以外の誰にも話していない、自分自身の過去を君に話せと、そうしなければ可愛い娘を僕に預けることは出来ないって、そう言われた」


 結論と、その理由を静かにやよいへと語る蒼。

 ここまで距離を詰めたのに、覚悟を決めてくれたのに、その全てを無下にしてしまうことへの謝罪の言葉を口にする彼の声は、とても苦し気だった。


「……どうして話してくれないの? あたしのこと、そんなに信用出来ない?」


「そうじゃない、そうじゃないんだ。これはただ、僕が弱いだけで……君にも燈たちにも、何にも非はないんだよ。ただ純粋に、僕が僕自身の過去と向き合うのが怖いだけなんだ……」


 ぎゅうっと、やよいを抱き締めている蒼の腕に力が込められる。

 それはまるで、怖い夢を見た子供が親に縋る時のような、幼子が必死に安心感を求める時のような、弱々しい彼のそんな姿を目の当たりにしたやよいは、その震えを感じ取ると共に何も言えなくなってしまった。


「……そっか。なら、しょうがないね。でもさ、あたしと口裏を合わせて、話したことにしちゃうっていうのも手だよ? あたしは別にそれでも構わないんだけどにゃ~」


「それは……駄目だ。桔梗さんにも、君にも、とんでもない不義理を働くことになる。なにより、そんなことをしてまで君を手にしたとしても、僕はそのことを喜べない。勝手な自己満足なのはわかってる。ただ、僕は――」


「……うん、そう言うと思ってた。やっぱり馬鹿真面目だなぁ、蒼くんは! あ~あ、こんなことならあの若旦那さんを振るんじゃなかったかもな~!!」


「ごめん……本当に、ごめん……」


「ば~か! 本当にそんなこと思ってるわけないじゃん! あたしのこと信用しなさ過ぎでしょ、蒼くん! にゃはははははっ!!」


 明るく……努めて明るく振る舞い、蒼の心の負担を軽くしようとするやよい。

 彼の言う通り、ここまで覚悟を決めたというのにそれをふいにされてしまったことへのショックがないわけではないのだが、蒼が本気で悩んだ上でこういった決断を下したということを理解している彼女は、敢えてその感情を押し殺した。


 代わりに、お返しだとばかりに軽く彼を詰りつつ、自らも両腕を彼の背に回して強く抱き締める。

 お互いに抱き合う格好になりながら、自分から離れることは許さないとばかりに腕に力を込めながら、やよいは蒼へと言った。


「一応、蒼くんがここまで頑張ったってことで、一晩このままでいてくれたら許してあげる! でも、逆に生殺しで辛いかもよ~? おっぱいもお尻も触りたい放題なのに絶対にしちゃいけないだなんて、苦しいんじゃないかな~?」


「……よくわからないよ、そんなのは。ただ、こんな僕を許してくれる君の優しさが、とても染みるってだけだ」


 その優しさが心の傷に染み込む温もりとなっているのか、それとも痛みを増させる更なる苦しみになっているのか、やよいには判らない。

 きっと、蒼が感じている苦しみは彼自身の過去を仲間たちに告げられるその日まで続くのだろうなと思いつつ、救いを求めるように腕に力を込めて自分を抱き締める彼のことを思ったやよいは、瞳を閉じながら小さな声を漏らした。


「おやすみ、蒼くん。どうかいい夢を見てね」


「……おやすみ、やよいさん」


 謝罪の言葉を押し殺し、就寝の挨拶だけを口にした蒼の声を耳にしながら、やよいは彼の胸に自身の体を押し付ける。

 どうか自分の温もりを、心臓の鼓動を、一緒に感じてほしいと……自分という存在が常に傍にいるということを蒼に理解してほしいという願いを抱きながら、やよいは夢の世界へと意識を手放すのであった。

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