五日目・お説教


「酷い、酷いって……ぼ、僕、そんな風に言われるようなことしてるかい?」


「ええ、してるわ。自覚がないから本当に質が悪いわね」


 ばっさりと蒼を斬り捨て、小さく溜息を吐く涼音。

 そんな彼女の言葉に多少の憤りを感じながらも、普段は言葉少なである彼女がここまで言うのだから、自分の行動にも問題があるのだろうと思い直した蒼は、黙って涼音の話を聞くことにした。


「蒼……あなた、やよいの気持ちを考えたことがある? あの子が、どんな気持ちであなたに誘いをかけたか、想像出来る?」


「どんな気持ちって、そりゃあ、その――」


 普段通りに自分をからかうため……と答えを口にしようとした蒼は、それが正答ではないと気が付いて開きかけた口を閉ざした。


 今の自分たちの状況が、結構に危うい状態だということはやよいにも理解出来ているはずだ。

 桔梗に手を出していいと許可を出され、いつでも手出しが出来る二人きりの空間で夜を過ごしている状態で、ふとしたことが切っ掛けでそのまま事に及ぶことになる可能性があることくらい、聡い彼女ならば判っているだろう。


 無論、それを理解した上で自分をからかって、お茶らけて、ふざけて笑うためにそんなことをしたという可能性はある。

 だが……如何にやよいが自分のことを女性に免疫がない男だと考えていようとも、手出しをするような度胸がない腑抜けだと思っていようとも、彼女がそれを嘲笑うような真似をする人間ではないということは、誰よりも蒼が理解していた。


「……具体的に、どんなことがあったのかは私は知らないし、聞こうとも思わない。でも、そこに至るまで、やよいは結構頑張ったと思うわよ。覚悟も決めて、勇気を振り絞って、あなたに誘いを仕掛けた。でも、あなたはその誘いを突っ撥ねたんでしょう?」


「………」


 涼音の問いかけに何も答えず、無言で視線を逸らす蒼。

 その反応は予想していたと、答えが返ってこなくても構わないと、そんな表情を浮かべて、涼音は更に話を続ける。


「私がやよいだったら、凄く傷付くと思う。自分がどんなに頑張っても、これだけ上等な条件が整っても、向こうが手を出そうとするどころか、関係性を一切発展させるような素振りを見せてくれないんだもの。自分の気持ちが一方通行なのもそうだけど……何より痛いのは、相手が自分のことを女として見てないって、行動で示されたことよ」


「僕はそんなことは思ってないよ。そもそも、やよいさんを女性として見てないっていうのなら、それこそ平然と彼女と過ごしているはずじゃあないか」


「恋愛対象として見てない……こう言い換えればわかる? お前はただの女友達、あるいは仕事仲間以外のなにものでもない。関係を深めようとか考えて、余計なことをするな、鬱陶しい……あなたのしたことは、暗にこう相手に告げるような行動なの」


「そんな悪し様に言う必要なんてないじゃないか! 僕はそんなことは思ってない! 少なくとも、やよいさんにそんな酷いことを言ったつもりもない!」


「じゃあ、逆に聞くけれど、ここまでの話を聞いて、あなたはやよいがどんなことを考えたと思うの? 一生懸命に勇気を出して差し出した手を、あなたに思い切り振り払われたあの子が、どんな気持ちでいると思う?」


「それ、は……」


 涼音のあんまりな物言いに憤慨し、流石にそれは見過ごせないと抗議の声を上げた蒼であったが、返す刀で繰り出された質問に早くも意気消沈してしまう。

 ここまでの話を聞き、これまで自分のことでいっぱいいっぱいであったが故に思い至ることの出来なかったやよいの気持ちを考えた彼は、先の涼音の言葉の正しさを痛感すると共に、何も言えなくなってしまう。


「あなたがそういう性格だから、仕方がない……って、考えようとしてくれているかもしれない。でも、やっぱり傷付いたと思う。さっきの私の意見は言い過ぎかもしれないけど、絶対にやよいは近しいことを考えているわ。蒼、あなたがしたことは、やよいの想いをこれ以上なく踏み躙る行動なのよ」


「……じゃあ、どうすればよかったって言うんだい? 遠慮なしに手を出して、彼女を抱けばよかったのかい? それが正しい行動だったと、涼音さんは言うの?」


「ええ、それが正解の一つよ」


「そんなの……不誠実が過ぎるじゃないか! その場の空気に流されて関係を持つだなんて、揚屋での契りと何も変わらない! こういうことは、もっとお互いのことをよく知って、十分な段階を踏んでから行うべきことであって、周囲にお膳立てされたからって取り急いで行うようなことじゃあないだろう!?」


 再び、涼音の言葉に冷静さを失った蒼が吼えるように叫ぶ様を、彼女は黙って見ていた。

 ひと息に自分の意見を述べ、呼吸を荒げた蒼を真っ直ぐに見据えながら、涼音は静かにこう尋ねる。


「……それを、の?」


「え……?」


「どうして手を出さないのか、自分が何を考えているのか、やよいにきちんと伝えた? 今、私に向けて口にしたその言葉を、あの子にもちゃんと言って、理解を得たの?」


「っ……!?」


 涼音の問いかけに、ずきりと胸を痛める蒼。

 痛いところを突かれる度に無言になる彼の様子も見飽きたとばかりに小さく頷いた涼音は、押し黙った彼に反撃するようにして口を開き、己の意見を告げた。


「やよいの覚悟に応えて、彼女に手を出すことはあくまで正解の中の一つ。これが絶対的な正解ってわけじゃ、ない。それが出来ないのなら、相手の本気を受け入れられない理由をきちんと伝えるべき。それが、もう一つの正解よ」


 誘いに乗り、相手を抱くこと以外の正答……それは、かつて燈が自分たちへとそうしたように、きちんとその想いを受け止めながらも今は受け入れることは出来ないと、言葉と態度で伝えて理解を得るということ。

 涼音たちは、そういった行動を取って自分の心境や想いを吐露してくれた燈に理解を示し、その上で彼を愛することを決めた。

 異世界に転移し、様々な事件や戦いの渦中にある今は恋愛に思考を割く余裕がなかったという燈の言葉や感情を理解して、ならばここから彼を振り向かせてやろうと決めたわけだ。


 彼女たちがそう思えるようになったのは、燈がきちんと自分の想いを言葉として伝えてくれたから。

 別段、三人娘たちのことを嫌っているわけでもないのだが、状況が状況なだけに恋愛対象として見ることがなかった。

 ならば今からそう見てもらえるようにアプローチを仕掛けていけばいいじゃないか……という思考に辿り着けたのは、燈が何を考えているかが彼女たちにも理解出来たからなのだ。


「あなたが慎重な性格をしているのはわかる。やよいだってきっとそういったあなたの性格を熟知している。でも、だからといって、自分が何を考えているかを一切相手に伝えなくていいってわけじゃないわ。言葉にしなくてもやよいなら理解してくれるって考えているのなら、それはとんでもない傲慢よ。やよいはあなたの思考を読み取る神通力を持っているわけでもないし、あなたのお母さんってわけでもないんだから」


「ぐっ……!!」


 これも、涼音の言う通りだった。

 やよいは自分のことをよく理解して、その場面に応じて適切な行動を取って自分を窘めたり、背中を押してくれたりしているが……彼女とはまだ、出会って一年も経っていないのである。


 蒼はやよいの思考パターンを完全に把握などしていないし、やよいだってきっとそうだ。大切なことは、きちんと伝えないと理解など出来るはずもない。


 涼音からの手痛い一撃をもらった蒼は、ここでようやく自分が彼女の行動に対しての責任を何一つとして果たしていないことに気が付いたのである。


「………」


 無言のまま、自分の行動を振り返って改めてその酷さを痛感する蒼。

 もしかしなくとも、自分はどこかでやよいに対して甘えの気持ちがあったのかもしれない。


 自分に対して世話を焼き、仕事だけでなく私生活までもを面倒を見てくれて、してほしいことを完璧に理解した上で様々な部分での補佐をしてくれる。

 そんなやよいの献身に胡坐をかき、その心地良さを享受し続けるうちに、それが絶対のものであるという慢心を抱いてしまったのだろう。


 それら全てがやよいの好意の上に成り立っている関係であるということから、自分はずっと目を逸らし続けてしまっていたのかもしれない。


「蒼、あなたさっき、その場の空気に流されて簡単に手出しをするだなんて不誠実が過ぎるって言ったわよね? 私はそうは思わないわ。確かにそういう見方が一般的かもしれないけど、きちんとお互いがお互いのことを想い合って契りを結ぶなら、問題なんてない。逆に、相手の考えや想いを全部無視して、手を出さないことこそが誠実さの証明だっていう思い込みのままにやよいから逃げ続けているあなたの方が、ずっと不誠実だと思うわよ」

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