三日目・深夜



 自分自身への言い訳にもなっていた、頭の怪我が癒えたというやよいの言葉は、蒼の思考にとんでもない衝撃を与えていた。

 深読みし過ぎといわれればそれまでの話だが、お互いが密接に触れ合っているこの状況でそんな報告をしてきたとなると、やはりそういった考えに至ってしまうのは当然のことだろう。


 その気になれば服を剥ぎ取り、組み伏せてしまえる状況+自分を制していた条件を解除するような言葉=手を出すことを容認している。


 そんな計算式が頭の中で即座に組み上げられてしまった蒼へと、やよいが少し不機嫌そうな口調でこう言った。


「蒼くん、力込めすぎ……ちょっと痛いんだけど……」


「ごごご、ごめんっ! つつつ、つい……!!」


「むぅ~……蒼くんは意識してないかもだけどさ、あたしも女の子なんだからね。男と女の体格の差ってやつを考えて力を入れてよ」


 今の叱責の言葉ですら、蒼の耳にはよろしくない意味に聞こえてしまっている。

 やよいは女性で、自分は男で、その気になれば簡単に襲えてしまって、何の抵抗も許さないままに彼女の肢体を貪ることが出来てしまって――


 そこまで考えたところで、蒼の脳裏にこれまで幾度となく目にしてきたやよいの裸体が思い浮かぶ。

 小柄な体に反して膨らんだ女性としての部分やきめ細やかな肌、蒼の贔屓目を抜きにしても美しいと誰もが思うであろう彼女の体を、我が物とする絶好の機会が目の前に転がっている。


 据え膳食わぬは男の恥だという宗正の説教だとか、手を出しても構わないという桔梗の言葉だとか、積極性がなさ過ぎるのも問題だという涼音の忠告だとかが一瞬のうちに頭の中に浮かび、消えていく度に、蒼は自分の心臓が激しく脈動していることを感じていた。

 ごくりと息を飲み、ゆっくりと手を下へと動かし……普段は自分を押し潰すやよいのお尻に触れるか触れないかの位置まで両手を近付けた彼は、大きく目を見開くと――


(やっぱり無理っ! 出来る訳がないっ!!)


 ――見事なまでに童貞臭さを発動し、そのままやよいの体から猛烈な勢いで離れてしまった。


 どったんばったんと大きな音を立てながら自分の布団へと撤退する彼のことを不思議そうに見つめるやよいの視線から逃れるようにして、掛け布団の中に包まる蒼。

 自分の中にあった不埒な思いと、それに流されそうになった邪な感情を見抜かれることを恐れる彼は、布団の中からやよいへと大きな声で言う。


「きょ、今日はここまで! あんまり女の子が異性に体をべたべたと触らせるもんじゃないと、僕は思うよ!!」


「ん~? あはっ、蒼くんってば恥ずかしがってたんだね~! どうりでがちがちに硬くなってたと思ったよ~!」


「ぐ、うっ……! からかわないでって!」


「にゃはははは! ごめん、ごめん!! でも~、そんなに硬くなる必要はないっていうか、だと、あたしは思うにゃ~!」


「やよいさんっ! だからそういう冗談はやめてってば!」


 意味深なやよいの言葉の裏側にある真意を理解してしまった蒼が顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

 からからと楽しそうに笑い、彼を普段通りの口調でからかったやよいも、これ以上のお説教は勘弁だとひとしきり笑った後に口を閉じると、按摩によって軽くなった体でぐぐ~っと伸びをしながら灯篭へと手を伸ばした。


「ありがとうね、蒼くん。次の機会にはあたしが蒼くんを按摩してあげるよ! おばば様にも褒められる腕前だから、期待しててね!」


「い、いいよ、別に……これは昼間に仕事を手伝ってくれたお礼みたいなものだし、その上で何かされたらまたお礼をしなくちゃいけなくなるし……」


「いいじゃん、いいじゃん! なんだったら、今後定期的にお互いを按摩し合うってのはどう? 気持ちいいし、蒼くんに女の子への耐性を付けるにはもってこいだと思うんだけど――」


「お断りします! お休み、やよいさん!!」


 そんなことをやられては自分の理性がもたないと、やよいの提案を途中で斬って捨てた蒼が叫びながら就寝の構えを取る。

 彼女に背を向け、これ以上は何も話さないぞと態度で示した蒼の姿に、やよいも会話を諦めたようだ。


 結局、やよいがどんなつもりであんなことを言ったのかは、判断がつかなかった。

 本気で自分を誘っていたのか、それともいつものからかいだったのか、はたまた何の気なしに口にした会話の糸口だったのかすらも、蒼には判らないままだ。


「……おやすみ、蒼くん。また明日ね」


 そうやって、明かりを消しながらおやすみの挨拶をしてくれたやよいの声に一抹の寂しさが含まれているように感じられてしまうことすらも、自分の考え過ぎなのもしれない。

 何も判断が出来ない状況になりながらも、蒼は一心にその雑念を振り払い、眠りに就こうと努力するのであった。

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