三日目・夜



「んっ、あっ……! 蒼くん、もう少し優しくして……っ」


「あ、ああ、うん……ごめん、ね……」


 目の前にあるやよいの小さな体を組み敷くような体勢を取りながら、この状況と彼女の言葉にごくりと息を飲む蒼。

 柔らかさと温もりを感じながら、その体の中に押し込むようにして力を込めれば、苦悶とも悦楽とも判別のつかない官能的な声がやよいの口から飛び出す。


 息遣いは荒く、身悶えするように体を震わせ、幾度となく部位を変えて彼女の体を押し込んだ蒼は、遂に我慢の限界を迎えると共に、やよいへと言い放った。


「ねえ、お願いだから妙に色っぽい声を出すのは止めてくれない? ただ按摩をしてるだけなのに、誰かに君の声を聞かれたら勘違いされそうだし……」


「んあっ、だってぇ……蒼くん、上手だから、ついつい声が出ちゃうんだもん。あんっ……」


 ぷるり、と体を震わせながら、言われた傍から喘ぎ声を漏らすやよい。

 そんな彼女の姿と、声と、その気になればこのまま彼女の服を剥ぎ取って事に及ぶことも出来るというシチュエーションが、蒼の理性をがんがんと揺さぶりにかかっていた。


(まずい……! まさか、こんなことになるなんて……!!)


 やよいから昼の事務作業で凝った全身を癒すために按摩をしてくれと頼まれた時、すっぱりと断ればよかったと後悔する蒼。

 彼女の労をねぎらいたかったし、感謝の気持ちもあるからと請け負ってしまったが、この状況はそこそこにマズい。


 無防備に背中を向け、肩やら背中やらを揉ませつつ、普段から自分をその下に敷いている憎たらしくも愛らしいお尻をちょくちょく左右に振る彼女の姿は、ともすれば蒼の理性を蒸発させてしまうような破壊力がある。

 柔らかいようでいて引き締まっている見事に鍛えられたやよいの体には感心の気持ちはあるが、それ以上に天然物である彼女の胸やら尻やらの光景が非常に非常的で非常事態だ。


 無論、そういった理性を押し殺すことなど蒼にとってはお茶の子さいさいなことではあるのだが、そもそもこんな劣情に近しい感情を抱くこと自体がこれまでの人生で皆無だった彼は、大いに今の自分の状況に戸惑ってもいた。


(無心だ、無心になれ! やよいさんは僕を信用してこんな真似をさせているんだから、その信頼を裏切るような真似だけはするんじゃあない!!)


 ここでやよいに手を出すことは、逆に彼女にとって失礼であると自分自身に言い聞かせながら、蒼は必死に精神の均衡を図ろうとしている。


 やよいは自分を信用の出来る男であると考え、こうして無防備な姿を晒しても問題はないと判断したからこそ、嫁入り前の乙女の体を馴れ馴れしく触ることを許してくれているのだ。

 故に、ここで自分が彼女を襲うだのなんだの考えることは、その信頼を裏切ってしまうことになる。

 だから絶対にここで自分が彼女に劣情を抱くなどということはあってはならないし、ほんのわずかでもその感情を察知されたら駄目なのだ。


 精神集中、明鏡止水の境地……常に平静を心掛け、決して慌てることのない静かなる心持ちであれという師匠の言葉を思い出し、実践する蒼。


 そうとも、心さえ落ち着いていればこの程度のことに動揺するはずもない。

 たとえやよいの小さな体を押さえ付け、その気になれば彼女を美味しく頂けるような状況下であろうと、彼女の背中を押す度に反対側で布団へと押し付けられる大きな二つの山の弾力を感じようと、肩を揉む度に彼女が漏らす色っぽい声を耳にしようとも、ほっそりとしたわき腹とそこから続く腰、更には丸い桃のようなお尻に手が触れてしまいそうな距離にあろうとも、別に自分の心が乱されるだなんてことは、これまでの修行を思えば、思えば――


(――いや、やっぱり無理! 冷静でい続けることなんて出来っこない!!)


 ……悲しいかな、どれだけ剣の腕が冴えていようとも、万を超える戦略に通じていようとも、この男はであり、女性に対する耐性は皆無なのである。

 指を折って数えられるくらいしか経験のない異性との密着や、そもそも自分の心をかき乱す唯一の存在といって差し支えないやよいとの触れ合いは、蒼の心に波風どころか暴風雨レベルの大嵐を発生させていた。


 師匠の言っていたことは正しかった。自分は早く童貞を卒業し、こういったことに慣れておくべきだった。

 以前は本当に馬鹿らしいと思っていた宗正の言葉の正しさを理解した蒼が心の中で師に謝罪する中、やよいはさらに彼の心をかき乱すような言葉を口にする。


「あ、そうそう。頭の怪我ね、大方治ったんだ~! 頭痛が痛い毎日とはおさらばだね、やったぜ!」


「そ、そう。よかったね……」


 明らかな突っ込みどころを用意してあるやよいの言葉にもまともな反応を見せられない程に、蒼は精神を摩耗していた。

 あの事故で負った怪我が大事なく癒えたことは幸いなことだが、それを今、言われたところでどんな風に反応をすればいいのかが自分には判らないだけ……と、そこまで考えた蒼は、はたとそのことに気付いてしまう。


 ぴしり、と自分の中で何かが凍り付いたような錯覚を覚えながら、その精神の硬直が肉体にまで影響を及ぼし、やよいの体を按摩する腕に必要以上の力を込めさせていることにも気が付かなくなる程に混乱した彼の脳内では、緊急事態を告げる鐘の音が鳴り響くと共に、こんな言葉が駆け巡っていた。


(頭の傷が、癒えた……? それってつまり、前々から言われていた頭の怪我のことがあるから襲わないでねという制約の必要性が消えたということで……と、ということは、今の言葉はまさか……!?)


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