二日目・朝


 結局、緊張でなかなか寝付けなかった蒼は、普段よりも大分遅れて眠りについた。

 それでも体に染みついた習慣というものは恐ろしく、翌朝は普段通りの時間に目が覚めてしまったようだ。


 いつもより短い睡眠時間のせいでぼーっとする頭を抱えながら、寝不足で意識を朦朧とさせながら寝返りを打つ蒼。

 願わくば、あともう少しだけ夢の世界にいさせてほしい……と、珍しく怠惰な願望を抱く彼の耳に、しゅるしゅるという布が擦れる音が聞こえてきた。


 この音は何なのだろうと、蒼が未だにぼやけたままの頭で考えながら音の出所を探って目を開く。

 自分が今、どこにいるのかを忘れていた彼の目に映ったのは、小さな女の子の大きなお尻だった。


「ぶっ!? げほっ! ごほっ……!?」


 褌一丁の格好になっている少女が、こちらに背を向けながら着替えをしている。

 綺麗な肌を晒す背中を見るに、乳押さえすらも身に着けていない彼女のほぼ全裸ともいえる姿と、谷間に褌の紐を食い込ませていることで一層強調されている丸いお尻をばっちりと目にしてしまった蒼は、一気に感じていた眠気を吹き飛ばす程の衝撃を感じて思い切り咽込んだ。


「あ、起きたんだ。おはよう、蒼くん」


「ご、ごめっ! わ、わざとじゃないんだ! 寝惚けてて、ついやよいさんの部屋にいることを忘れちゃってて……」


「あはは、わかってるよ。蒼くんは堂々と女の子の着替えを覗けるような助平さんじゃあないもんね」


 不可抗力とはいえ、やよいの着替えを覗くことになってしまった蒼は罪悪感を覚えながら謝罪の言葉を口にするが、対する彼女は全くもってそのことを気にしていないようだ。

 からからと笑い、布団の中に潜った上で両目をぎゅっと瞑ってこれ以上は覗きをしないように全力を尽くす蒼をあっさりと許したやよいは、てきぱきと着物を身に着けると彼へと声をかける。


「ん、終わったよ。もう起きても大丈夫」


「う、うん……その、本当にごめん。以後、気を付けるよ」


「にゃはは、そんなの気にしなくっていいって。そもそもあたしの裸なんてもう見飽きてるでしょう? 今更着替えを覗かれたところで、ああだこうだ言うような女じゃあありませんよ~だ」


 風呂場への乱入や突っ込みの度に入れるお尻ど~ん等の自身の行為を挙げつつ、蒼に覗かれたところで痛くも痒くもないと笑いながら言ってのけるやよい。

 確かにその通りなのではあるが、女性への免疫の無さとやよいへの好意が相まってそんな風に開き直ることも出来ない蒼は、自分だけがこの状況に妙な意識を抱いているような気がして、若干の苛立ちを覚えてしまった。


「見飽きるだなんて、そんなことあるわけないじゃないか。僕の性格は君だって理解しているだろう?」


「ま~ね~! ……んふっ、今のってもしかして、あたしの裸は何度見てもどきどきしちゃうくらいに綺麗だって意味かにゃ~?」


「だから、からかわないでって! そういう意味で言ったわけじゃあないし、変な含みは一切ないから!」


「あはははは! わかってる、わかってるって! ……やっぱり蒼くんはからかうといい反応を見せてくれるよね!」


 屈託なく笑い、怒る蒼をあしらったやよいが立ち上がり、部屋を後にする。

 未だに寝間着のままの蒼へと振り返った彼女は、にぱっと明るい笑みを浮かべながら、去り際に彼へとこう言った。


「そろそろ朝ご飯だから、あたしは先に広間に行ってるね。早く準備しないと、こころちゃんが怒っちゃっても知らないぞ~!」


 最後まで蒼を翻弄しながら部屋を出ていったやよいが、とたとたと廊下を小走りで進む足音が聞こえる。

 朝からいきなりとんでもない事態と直面してしまった蒼は、暫くは頭の中から消えないであろうやよいの綺麗な後ろ姿を思い返すと、自分自身の情けなさに大きな溜息を吐くのであった。







「……で? どうなった? 首尾の方はどうだ?」


「それはどういう意味でのお言葉でしょうか、師匠?」


「抱いたのか、抱いてないのかということだ。それくらい言わなくてもわかるだろう?」


 それから暫くして、朝食のために広間へと向かった蒼は、そこで待ち受けていた宗正から早速質問責めにあっていた。

 可愛い一番弟子が年頃の娘と二人きりで一夜を過ごしたことに期待を膨らませている宗正は、からかいが半分と本心からの期待を半分とした感情のままに、彼へと問いかけを行う。

 蒼はそんな師匠の言葉にうんざりとした表情を浮かべながら、淡々とした口調で答えを返した。


「抱くはずがないでしょう、普通に考えて。僕がそんな節操なしの男に見えますか?」


「はぁ~~……やっぱりな、そうだろうと思ったわい。ああ、お前という奴は本当に腰抜けというか、何と言うか……」


 例えどんなに絶好の状態であっても、自分はそれをこれ幸いと思いながら簡単に女子に手を出すような男ではない。

 そんな意味合いの想いを含んだ答えを返してきた弟子の反応に、今度は宗正の方がやれやれといった表情を見せる。


 どうせそんな風に呆れられるだろうなとは思っていたが、実際にこうして目の前でそんな反応を取られると、それが父親代わりの師であったとしても苛立つものなのだなと、努めて冷静を保つ蒼が考える中、宗正はからかいではなく本気の助言を彼へと送った。


「いいか? 親代わりの桔梗が承諾を出し、わし自身もお前がその気ならば何も言うことはないと考えている。何より、やよい本人がお前を拒むことなく部屋に迎え入れてくれているんだぞ? 何を躊躇う必要があるんじゃ?」


「躊躇う必要がないことが手を出す理由にはなりませんよ。機会があれば節操なくあちらこちらの女性に手を出そうとする師匠と一緒にしないでください」


「……好いてないのか? やよいのことを……手を出す理由なら、それだけで十分だろうに」


「……そんな単純なことじゃありませんよ。僕は別に彼女に女性としての好意を寄せているわけじゃないんです。信用に足る仲間として、自分を支えてくれるかけがえのない相棒としてですね――」


 ずばりと核心を突く師匠の言葉を、必死になって回りくどい方法で否定する蒼。

 半分以上は自覚しているやよいへの恋心から目を逸らし、彼女とは団長と副長という関係性であることを主張する彼であったが、宗正は静かに息を吐くと、彼の言葉を遮ってこう言った。


「そうか、そうなんだな? なら、別に構わん。そのまま手出しをせずにいれば良い。ただし、その結果どんなことになったとしても、後悔はするなよ?」


「……どういう意味ですか? 僕は、別に――」


「普段は聡いお前がここまで鈍くなるとは……実に、恋とは厄介なものだな。だが、これはその辺のことについて教育出来んかったわしの落ち度でもある。やはりとっとと童貞を卒業させておくべきだったか……!」


「ふざけないでくださいよ、師匠。僕をからかって遊んでいるんでしょうが、いい加減にしないと僕だって怒りますからね?」


 これ以上はこの話をしたくないと警告めいた発言をした蒼の横顔を、宗正がじっと見つめる。

 その表情には蒼が言うようなからかいや遊び半分のお茶らけた感情はなく、真に息子の身を案じているような父としての顔を見せた彼は、小さく首を振ると静かな声で呟いた。


「すまんな、蒼。わしがこれまで茶化し半分でお前たちに女を教えようとしたから、そんな頑なな考えになってしまったんじゃろう。こうなってはわしがどんなに言葉を尽くしても無駄だろうて。これは、お前が自分で気付かなければならない問題だ。手遅れになる前に、どうか自分で答えを見つけ出してくれ」


「………」


 意味深な師匠の言葉に閉口した蒼がむっつりと押し黙り、互いに何も言わなくなったところで、丁度朝食の準備が出来たようだ。

 食卓に仲間たちと座し、普段と変わらない朝の日常を送る蒼であったが……その頭の中では、たった今、師匠から言われた言葉が幾度となく反響し続けていた。

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