彼女はとんでもないものを盗んでいきました
「燈く~ん、入るよ~! ……って、誰もいない事はわかってるんだけどね」
燈が蒼との話し合いを終えてから数分後、彼の部屋の襖を開けてこころが中に入ってきた。
時間帯的に燈が修行を行っていることを知っている彼女は、彼が部屋にいない間に布団を回収しにやって来たのである。
本日は晴天。絶好の洗濯日和。
普段の通りに押し入れを開け、そこにしまわれている布団を引っ張り出したこころであったが……それと同時に、自分の足元にばさりと音を立てて本が落ちてきたことに気が付く。
「あれ、なんだろう? 本……?」
本棚や机ではなく、押し入れの中にしまわれていた本の存在に訝し気な表情を浮かべるこころ。
あの燈が、読書というインテリジェンス溢れる行為をするだなんて珍しいこともあるものだなと、引っ張り出した布団を床に置き、落ちてきた本を手に取る。
古めかしい装丁の、一見は普通の本にしか見えないそれをしげしげと見つめたこころは、表紙に書かれている題名を声に出して読み上げた。
「『若妻新婚絵巻』……? 恋愛小説かな?」
なんとも可愛らしい題材の本ではないかと微笑んだこころが、あの強面の燈がこの本を読んでいる姿を想像してくすくすと笑う。
読書自体がらしくないことに加えて、恋愛小説なんて柄じゃないものを読んでいることを知られたくなかったのだろうと、燈がこの本を押し入れに隠していた理由に勝手な合点をしたこころは、ちょっとした興味本位でその本の中を覗いてみることにした。
……その本が、本当はどんなものであるかすら知らずに。
「あ、絵巻ってことはどっちかっていうと漫画の方が近しいのかな? 大和国にも少女漫画みたいなものがあるだなんて、ちょっと、いが、い……!?!?!?」
こころにとっての不幸は、その本の冒頭数ページがまともな内容であったこと。
仕事から帰ってきた夫を迎える可愛らしい妻の日常が綴られたそれを目にしながら、ぱらぱらとページを捲っていったその手が、不意に止まった。
この本の内容について、詳しく語ることはここでは避けよう。
先程、こころが読み上げた題名から何となく察してほしい。
それでも敢えて簡単な説明を入れるとするならば……『ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』という質問に対して、三つ目の選択肢を選んだ展開だと思っていただければいい。
初々しい新婚夫婦の、熱々の夜をあれやこれやと描いたその春画を、内容を、目撃してしまったこころの手がわなわなと震えていく。
「こここ、これって、ま、まさか……!? え、えっちな、本……!?」
ごくりと、自分の勘違いに気が付くと共に、自分が今、読んでいる本が春画であることに気が付いたこころが唖然とした声を漏らす。
いけないことをしていると理解しながらも、そこからの内容に全て目を通してしまった彼女は、ぱたんと本を閉じると共に狼狽した様子で言う。
「ど、どどどっ、どうしよう!? あ、燈くんがこんな本を持っていただなんて……!! し、しかも、私、それを読んじゃったよ……っ!?」
……燈がこんな本を持っているということに関しては、別におかしな話ではない。
彼だって健全な青少年。性に対して興味を持つことは当たり前だし、自分たちに手を出さない代わりにこういった本で自分を慰めていても何らおかしなことではないはずだ。
問題は、そのオカズとでもいうべき本を自分が見つけ、あまつさえ内容を読破してしまったということだ。
これはもう、燈は想像も出来ないくらいのショックを受けるに違いない。
同級生にエロ本を見つけられ、性癖まで知られたとあっては、合わせる顔がなくなってしまうだろう。
ひいてはそれは自分と燈との関係性の悪化に繋がるかもしれない……と、考えたこころは、この数分間の出来事を自分の記憶の底に沈め、何もなかったように振る舞うことを決めた。
自分は燈の部屋に来なかったし、布団を回収してもいない。
何も、何もなかったのだ。決してやましいことなどなにもないということにすべきなのだ。
そう判断したこころは即座に布団を押し入れにしまい直すと、その奥に今しがた自分が読破してしまった春画をねじ込もうとして……はたと、気が付く。
(あれ? これってもしかしてチャンスなのでは……!?)
ぴたりと、布団の奥へと本を押し込もうとしていた手が止まった。
ゆっくりと視線をその本の向け、たった今、この瞬間に思い付いてしまった悪い妄想を頭の中で繰り返したこころがごくりと息を飲む。
これが、この本に描かれている内容が燈の趣味、性癖だというのならば、これを突き詰めることで彼の好感度を得ることが出来るのではないだろうか?
この本に登場する女性が燈の理想であるとするならば、それと近しい行動を取ることによって彼のことを誘惑出来るのではないだろうか?
仕事で疲れた自分を優しく迎え入れてくれる家内が燈の理想だというのならば、こころはそれに最も近しい存在だといえる。
この状態から更に燈の理想を研究するために……この本は、上手く活用出来るはずだ。
「……ご、ごめんね、燈くん……! でも、必ず、絶対に、返すから……!!」
そそくさと、手にしている春画を着物の内側に押し込んだこころが、この場にいない燈への謝罪の言葉を繰り返しながら部屋を出る。
割とむっつりなところがある彼女は、誰にも邪魔されない自室でこの本を熟読し、内容を徹底的に分析すべく足早に廊下を歩んでいった。
この時点で、こころが犯したミスは三つある。
一つ、手にしている本に気を取られた結果、他にも数冊の春画が燈の部屋に散らばっていたことに気が付かなかったということ。
二つ、そもそも彼女が盗んだ春画の持ち主は宗正であり、燈の趣味嗜好はまるで関係ないということ。
そして三つ、これが最大の失態にして、次の悲劇の引き金。
明らかに動揺した様子で、足早に部屋へと逃げ込む自分自身の姿を、たまたま通りがかった涼音に目撃されていたことだ。
――――――――――
『若妻新婚絵巻』
その名の通り、新婚ほやほやの若夫婦の幸せいっぱいな一晩を描いた春画。
基本的に夫の目線で妻が描かれており、読者は自分のことが大好きな愛らしい幼妻との夫婦生活を疑似体験出来る。
結婚なんてものと縁がない宗正が妻という存在に憧れて購入したが、その内容と自分自身の現状とのギャップに心がやられ、一度しか読まなかった。
ある程度歳を食った独身男性には興奮よりも哀愁を覚えさせる内容であり、色んな意味で有害図書なのではないかと噂されている。
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