怒ってないよ
「は? 後ろ……? 馬鹿か、そんな古典的な手に誰が引っかか……んん?」
最初、偽蒼は燈たちが自分を騙そうとしているのだと思った。
後ろに注意を向かせ、視線を外させて、人質の救出を行うだけの隙を作るための虚言を口にしたのだろうとあたりを付けた彼であったが……次の瞬間、ゴキッという嫌な音が響き、右手に全く力が入らなくなったことで、自分の予想を超えた事態が発生していることに気が付いたようだ。
からん、からんと握っていた脇差が落ち、料理屋の床を転がる。
偽蒼を取り押さえる絶好のチャンスだというのに、燈たちは戦々恐々とした表情のままぴくりと動かない様子を目にした偽蒼は、やよいを抱く左腕にありったけの力を籠め、なけなしの勇気を振り絞りながら背後へと振り向き、そして――
「ひ、ひぃぃいぃぃいっ!?」
――そこに無言で立つ修羅の姿を目にして、情けない悲鳴を上げた。
溢れ出る気力が目に見えるオーラとなって体を包む様は、まるで全身から青い炎を立ち上らせているかのようだ。
そういえば彼は髑髏たちを祓うために店の中にいなかったのだということに気が付くと共に、偽蒼は、自分の右肩が峰打ちによって砕かれたことにも気が付き、今になってその痛みが襲い掛かってきたことに絶叫した。
「う、うおおおおおおっ!? おっ、おおおおっ!?」
「そ、蒼ーーっ! いいか、そこまでにしておけよ!? もう十分だ、もう十分だろ!?」
「と、取り合えず『時雨』を下ろせ! うっかり斬ったりしたら洒落にならん!」
「れれれ、冷静に、ななな、なった方が、あばばばば……!!」
「……みんな、どうしたの? そんなに慌てずとも、僕は冷静じゃないか。ほら、今もしっかり峰打ちしてみせただろう?」
無表情で、平坦な声で、叫ぶ仲間たちへと反応を返した蒼の姿を見た者たちが、揃って同じ感想を抱く。
絶対に……嘘だ。彼は今、本気で、心の底から、滅茶苦茶に怒っている。
その理由は様々あると思うが、まず間違いなく先程の偽蒼のやよいへの言葉が彼の堪忍袋の緒を引き千切らせたのだろうなと想像しながら、どうにかして怒りの炎を爆発させる蒼を宥めようとした燈たちであったが……。
「ふ、ふざけんなっ! お前、人質の姿が見えねえのか!?」
「わーっ! 馬鹿! お前、死にたいのか!?」
その努力をすべて無に帰す偽蒼の言葉に、燈が絶望的な悲鳴を上げた。
左腕に抱く人質を見せつけるようにして蒼へと突き出し、その命を盾にしてこの場を切り抜けようとする偽蒼であったが、彼は既にその優位性が崩れ去っていることに気が付いていないようだ。
「……人質? 悪いけど、僕にはそんなものの姿は見えないな」
「はぁっ!? てめえ、目玉がついてねえのか!? お前んとこのチビ女が、こうして俺に捕まっ……て……!?」
冷ややかに吐き捨てる蒼の言葉に怒りを露わにして叫び返す偽蒼が、左腕に抱いているはずのやよいの姿を見て愕然とする。
そこには彼女の姿はなく、代わりに店の中に置いてあった狸の置物がやよいの羽織を着せられているだけだ。
驚いた偽蒼が振り返ってみれば、小袖姿のやよいが燈たちと合流し、外したはずの肩を治してぐるぐると腕を回している様が目に映った。
ぐっ、ぱっ、と腕が問題なく動くことを確認しながら、こちらに気が付いた偽蒼へと笑みを返した彼女は、無邪気な表情のまま、彼へと言う。
「ね? 言ったでしょ。あの程度であたしをどうにか出来たと思うだなんて、お笑い種だってさ」
「あわ、あわ、あわわわわわ……!?」
マズい。非常にマズい状況だ。
人質は消えた、仲間は捕縛済み、逃げ道は封じられ、正に前門の虎後門の狼という状況。
この場から切り抜けるとか、どうにかして許してもらおうだとか、そういった状況は既に過ぎ去った。
待っているのは裁きの時間のみ。それも、このままだと死ぬほど辛い目に遭うことは確実だ。
もう逃げられないことは覚悟したが、せめて少しでも楽な報復で済ませてもらいたい。
そう考え、ゆっくりと再び振り返った偽蒼は、これまでずっとその名を騙り続けた本物の蒼天武士団団長と視線を交わらせると、手もみしながら機嫌を取り始める。
「さ、流石は今を煌く蒼天武士団の団長さま! 鮮やかなお手並みでございます! わ、私などがその名を騙るなど、とてもとても身の程知らずなことであったと、身に染みて理解いたしました!」
「………」
「こここ、これまでの非礼はお詫び申し上げます! 貴方様やお仲間の名を騙り、悪行三昧を重ねたことも反省しております! 平に、平に! どうかご容赦を!!」
「………」
「おおお、お情けをくださいまし! この外道、今度こそは更生して真っ当な人生を送ることをお約束致しますから! み、右肩の骨も見事に砕けて、可哀想でしょう? こ、これ以上の折檻は武士としての名が廃るというものなのではないでしょうか!? し、私怨に駆られて人を殺めるなど、武士団を預かる身としては些か行き過ぎた行為なのでは!?」
無表情なのが、無反応なのが、無言なのが……本当に怖い。
脅しても情けを請うても一切の反応を見せない蒼の姿に、偽蒼が段々と顔を青ざめさせていく。
死刑執行前の囚人の気分とはこんな感じなのだろうかと、冷や汗をだらだらと流しながら相手の反応を伺っていた偽蒼は、遂に圧し掛かる重圧に耐え切れなくなったのか最悪の愚行に打って出てしまった。
「う、うおおおおっ! どけぇぇっ!!」
自分を奮い立たせるような咆哮、からの突撃。
落としてしまった脇差を拾い、遮二無二蒼に向かって駆けていく彼の背に、無数の視線が突き刺さる。
その大半が、よりにもよってそこで開き直るのかという呆れと彼の末路を予想したことによる憐みの視線であり、残りの極少数は全力での制止の眼差しと共に叫び声をあげていた。
「や、やめっ――」
「おんどりゃあ、ガキがっ!! てめぇの女を撫で回されたくらいでいっちょ前にキレてんじゃね、ぶげごぉおっ!?」
闇雲に脇差を振り回し、蒼に罵声を浴びせながら走っていった男が、綺麗なカウンターを浴びて宙を舞う。
ぐるんっ、と高くまで天に打ち上げられた偽蒼は、握っていた脇差を取りこぼすと共に空中で回転しつつ蒼と目を合わせ……そこで、彼の短い呟きを耳にした。
「僕は、別に、全く、これっぽっちも……怒ってませんよ」
「嘘、吐け……げぶうっ!?」
どこからどう考えても嘘だとしか思えないその呟きに、落下しながら突っ込みを入れる偽蒼。
次の瞬間、襲い掛かった衝撃と共に彼の意識はブラックアウトし、それが本日最後の記憶となった。
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