師匠と弟子と師匠


「それで、どうなんだい? 正直なところは……?」


「はい? なんですか、藪から棒に」


 一方、宴会場と化していた広間では、騒ぎ疲れて寝静まってしまった女子たちを尻目に、燈が彼女らの師匠たちとゆるりとした晩酌を楽しんでいた。


 百元も桔梗も流石は大人というべきか、自分たちのようにどかどかと酒を煽ったりはしない。

 大人らしく酒量を調節し、自分の限界に対して余裕を持って酒を嗜む二人の様子に、自分の師匠とは大違いだなと苦笑していた燈は、百元からの不意の質問に目を点にして素っ頓狂な声でそう返した。


「涼音でも、栞桜くんでも、椿くんでも構わない。誰か一人くらい、好ましいと思ってる女の子はいるのかい?」


「はは、何か意外っすね。百元さんもそんな話するんだ」


 先程は酒の勢いもあったし、お膳立てをやよいがしてくれていた。

 だから、妙なテンションで自分と蒼が女の好みを聞かれる羽目になったとしても、燈も特におかしいとは思わなかった訳だ。


 だがしかし、今はそういった話から大分間が開いてから、改めて話を切り出された。

 普段は冷静で、そういった色恋沙汰に関してはあまり興味がなさそうな百元がそんな話を切り出すことを意外がって笑う燈であったが、師匠二人の声色は予想外に大真面目なもので、その声を聞いて、改めて彼は驚きを露わにする。


「さっきの話で、宗正が本当は何を言いたかったかわかるかい?」


「師匠がっすか? 俺には茶化されたとしか思えなかったんすけど……」


「ふふっ、それもそうだろうねぇ……。でも、あの馬鹿も色々と思うところがあるんだろうさ」


「???」


 まったくもって桔梗の言っていることの意味が分からず、首を傾げる燈。

 そんな彼と、長年の友人の不器用さに小さく笑みを浮かべた百元は、手にしていた杯を畳の上に置くと燈の目を見て答えを告げた。


「宗正はね、君にこの世界に残ってほしいんだよ。要するに、燈くんと離れ離れになるのが嫌なのさ」


「は、はぁっ?」


 唐突にセンチメンタルな宗正の本心を聞かされた燈は、その言葉を信じることが出来なかった。


 当然だ。彼の目から見た宗正は、騒がしく老いを感じさせない豪快な男。

 そんな彼が、まだ影も形も見えない自分との別れを惜しんでいるだなんて、にわかに信じられる話ではない。


 しかして、長い付き合いがあり、宗正という男の性格を熟知している桔梗と百元には、彼の心の中の想いが手に取るように理解出来ているようだ。


「君と蒼くんに童貞を捨ててもらいたいという考えに嘘はないよ。だけど、それ以上にあいつは君にこの世界で所帯を持ってほしいんだと思う。椿くんでも、栞桜くんでも、涼音でも、他の誰だって構わない。元の世界に戻ることを躊躇わせるような、そんな何かを燈くんに作ってほしいんだろうね」


「いや、でも、そんなの、まだまだ先の話じゃないっすか」


「ああ、そうだろう。だが、いつかは必ずやって来ることだ。君たちが元の世界に帰還するのが先か、僕たちが老いて死ぬのが先かはわからないが……出来ることならば、平穏になったこの世界で幸せに過ごす君たちのことを見守りながら隠居生活を楽しみたいという気持ちは、僕たち三人の誰もが抱いているさ」


 そう言って、酒を一口。

 喉を鳴らして清酒を飲み込んでいく百元に変わって、桔梗が口を開く。


「あいつにとって、坊やたちは本当の息子みたいなものなんだろうさ。私たち全員、結婚もせず、伴侶も持たずにこの歳まで生きてきたが……育て上げた弟子たちのことは、本当の子供だと思ってる。まだ出会ってから間もないだろうが、燈坊やのことも、宗正の奴は本当に大事に想ってるんだろうよ」


 この祝宴を開こうと提案した時の宗正の嬉しそうな顔を思い浮かべながら、桔梗が瞳を閉じる。

 息子が、娘が、一つ大きな仕事を成し遂げ、自分たちの夢を叶えるために尽力してくれた時の嬉しさといったら、それはそれは格別のものだった。

 その嬉しさを、子供たちの頑張りを褒め称える気持ちを、これ以上ない程に表すために、自分たちはこうして祝いの席を用意したのだから。


 出来ることならば、これから先もずっと……自分たちが死ぬまで、こんな幸せな時間を過ごしていたい。

 我が子が手柄を立て、立派に出世し、名を上げ、結婚し、孫が生まれ……と、平和な世界の中で、愛する子供たちと穏やかな時間を過ごしていきたい。


 それが自分勝手な願いであることは判っている。燈とこころにとって、この大和国は異世界であり、帰るべき場所があることもだ。

 だが、しかし……もしも、二人がこの世界で生きていく心を決めてくれたならば、その願いだって叶わないものではなくなるのだ。


「だから、家族っすか? 俺が誰かと結婚しちまえば、元の世界に戻ることを渋るようになる……ってことです?」


「まあ、そうだろうね。ただ……僕と桔梗からすると、また違った意味での願いもある」


「うちの馬鹿娘も、百元のところのお嬢ちゃんも、孤独な子さ。あの子たちには家族の温かみってものが、いまいちわかってないんだろう」


「だからこそ、あの子たちが君に好意を持ってくれて嬉しかった。剣士ではなく、一人の女の子としての幸せを知る機会が訪れたことは、親として喜ばしいことなんだよ」


 幼くして家族に捨てられ、実験動物として利用されていた栞桜。

 同じく、子供の頃に家族を亡くし、唯一残った弟とも悲しい別れを経験することとなってしまった涼音。


 家族の温もりとは、恋愛とは、かけ離れた人生を送っていた二人の少女が、燈と出会って恋の熱を知ったことは、育ての親である桔梗と百元にとっては非常に喜ばしい出来事であった。

 無論、その熱に焦がされた二人の暴走具合に手を焼いていることも事実だが……その苦難すらも凌駕する感動があることは確かだ。


「……君ならば、三人を妻として迎え入れたとしても、誰か一人を贔屓することはないだろう。あの子たちが選んだ男だ、安心して任せられる」


「お、俺は、そんなタマじゃ……」


「わかってる、わかってるよ。いきなりこんな話を振られて困る気持ちも、あの子たちを女として見ることが今は難しいってこともね。ただ、私たちは自分たちの子供に幸せになってほしい、ただそれだけなんだ。燈坊やは、うちの栞桜と夫婦になって不幸になる未来が見えるかい?」


 桔梗からの問いかけに、首を大きく横に振る燈。

 栞桜とは言い争いも多く、頑固な性格には苛立たされることもあるが、それでも深く信用し、人として好意を抱いている相手でもある。


 彼女とそういう関係になったとしたら、騒がしいが幸せな毎日を送れるだろう。

 涼音とも、こころとも、同じく結婚したとしたら、それぞれ別の形ながらも幸福な家庭を築けるはずだ。


「でも、やっぱり俺はよくわかんないんですよ。俺の住んでた国では結婚は一対一が規則でしたし、一夫多妻制みたいなものにイメージがつかないっていうか……」


「そりゃあそうだろうね。燈くんの世界とこの大和国では、あらゆる面が違っている。その全てを今すぐに受け入れて、心を決めてくれと言っているわけじゃあないさ」


「ただ、知っておいてほしかったんだよ。私たちの身勝手な欲望って奴をさ。それと、きちんと手順を踏んだらあの子たちに手を出しても構わないって許可も出しておこうかね」


「ふふふ、そうだね。例の露天風呂の一件であの子たちに手を出さなかったことは褒めておこう。でも燈くん、我慢は体に毒だから、程々にしておきなよ?」


「ちょっ!? 二人とも、やっぱ俺のことからかってないっすか!?」


 自分たちの言葉に慌てた燈の反応を見ながら、桔梗と百元が静かに笑う。

 こうして、酒宴はなだらかに終わりを迎えようとしていたのだが……燈の胸には、自分に好意を寄せてくれている少女たちの親代わりでもある二人からの言葉が、重く圧し掛かっていた。


 手を出してもいいだとか、夫婦になってほしいだとか、そういった許可が出たことが逆にプレッシャーとなっているような気がしなくもない。

 未だに、彼女たちに対しては仲間という意識が拭えないが……いつか、それが変わる日がやって来るのだろうか?

 その時自分は誰を選び、誰と共に生きようとするのだろうか? それとも、三人を同時に好きになり、妻として迎え入れるのだろうか?


 何もかもが判らない、判断がつかない。

 酒を煽って忘れようとしても、まるで温い水を飲んだかのように酔いが回ってこないままだ。


 誰を選び、誰と番となるのか? いっそ全員を選んでしまうのか?

 そして、この大和国で一生を過ごす覚悟を決めるべきなのか?


 まだまだ判らないことは山ほどあって、今すぐに心を決めることは出来ないだろう。

 ただ、百元の言葉を借りるならば、いつかは決めなければいけない時がやって来ることでもある。


 その日までに、自分がもう少し賢くなっていればいいな……と思いつつ、燈は縁側から見える夜空を見上げ、息を吐く。

 とてもとても綺麗な満月が、優しく輝いている夜だった。


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