一方その頃、夜逃げした匡史たちは……

 薄暗い山の中を、足取りも重く進む男たちの影。

 誰も彼もが疲れ果てた顔をしているその一団の中で、とりわけ疲弊している男が苦々し気に言葉を発する。


「くそっ、くそっ!! なんて醜態だ。まさか、帰還にまで苦難するだなんて……!!」


 そう、泣き言とも恨み言とも取れる発言をしたのは、大和国聖徒会の長である聖川匡史だ。

 彼の周囲を歩く死人のような顔をした男たちも、当然ながら大和国聖徒会のメンバーである。


 街道から大きく道を外れ、東平京に近付いているのかどうかも判らない有様の集団を率いる匡史は、片腕だけになりながらぶつぶつと何かを呟き、左手の爪を噛むタクトへと視線を向ける。


「僕は生まれかわったんだ。僕は強いんだ。僕はヒーロー、僕は、僕は、僕は……」


「……はぁ。やはり、駄目か。多少は落ち着いたが、役に立たないことは変わりないな」


 先程からずっと同じ呟きを繰り返すタクトの様子に、溜息を一つ。

 八岐大蛇を倒し、ヒーローとして人々に感謝され、可愛らしい美少女との結婚を目前に控えているという幸せの絶頂から一転、その全てを失った末に自身の利き腕までもを落とされ、しかも剣士としての再起は絶望的という状況に転げ落ちてしまったタクトは、完全に精神に異常をきたしてしまっている。


 折角、切り札エースとして聖徒会に迎えてやったというのに、なんという体たらくだと……嫌悪している燈に負け、傷心の果てに妖に精神を乗っ取られ、醜態を晒す羽目になったタクトへと心の中で悪態を吐く匡史。

 彼もそうだが、反対や批判を覚悟で牢獄から解放した元下働き組の面々も大半が再起不能という有様であり、残った者も再び剣を握るだけの気概が残っているかも怪しい所だ。


 一度ならず二度までも率いる軍団が壊滅したことに、匡史が並々ならぬ焦燥感を抱く。

 このままでは英雄たちの長など夢のまた夢、常勝将軍ならぬ常敗将軍として侮蔑の目で見られることは明らか。


 かなりの無理をして幕府に再起の機会をもらったのに、その結果がこれでは今度こそ見放されてしまうと……八岐大蛇の首を手土産に、悠々と凱旋するはずの未来とは程遠い、今現在の自分たちの姿に苛立ちを越えた怒りを抱いた匡史は、その不満を唸るようにして口にした。


「なんて醜態だ。まるで夜逃げじゃないか。こんな無様な姿を晒す羽目になったのも、全てはあの鷺宮領の人間と蒼天武士団の連中のせいだ……!!」


 夜逃げのようだ、と匡史は言ったが、正しくは夜逃げのよう、ではなく、夜逃げそのものである。

 燈たちが呪いの元凶である煙々羅を倒し、夜明けと共に被害状況の確認や領民たちへの説明を行う鷺宮家の人々を手伝う傍ら、大和国聖徒会は何もせずに自分たちに関することだけを行った挙句、タクトと百合姫との婚約解消の旨を記した手紙だけを残してそそくさと領地から逃げ去ってしまったのだ。


 自分たちが蒼天武士団と百合姫を囮とした浅はかな策を実行したことで真の黒幕である煙々羅の暴走を招いてしまったこともそうだが、その後に立て籠っていた鷺宮邸に庇護を求めて逃げ延びてきた領民たちを追い払おうとしたことが非常にまずかった。

 鷺宮家公認の作戦だったとはいえ、自分たちの失敗のせいで被害を被った人々を助けようともせず、自分たちの身の安全のみを優先して行動した匡史たちの姿は、誰が見てもこの一件に関する責任を取ろうとしている風には見えなかっただろう。


 被害確認の作業や領民たちが落ち着いたら、まず間違いなく自分たちはこの件に関する責任を追及される。

 夜な夜ないい気になってどんちゃん騒ぎをしたことや、調子に乗って領民たちに強く当たっていたという自覚があった匡史たちは、そのことを大いに恐れたのだ。


 タクトが健在であり、百合姫との婚姻が生きている状態であれば鷺宮家からの庇護も期待出来ただろうが……今となってはもう、そんなものは存在していない。

 自分たちに騙された蒼天武士団も、見殺しにされかけた領民たちも、こぞって匡史たち大和国聖徒会を責め、糾弾することだろう。


 幕府の介入も望めない辺地での裁きだ。事が悪い方向に弾んでしまえば、首打ち処断という可能性も無いとは言い切れない。

 公的にそこまで過激な裁きを受けることは避けられたとしても、領内にいる限りは恨み骨髄まで染み込んだ人々からの怨嗟の眼差しを受けながら過ごさねばならないのだ。


 最悪の場合、処刑。上手く転んだとしても集団暴行リンチの憂き目に遭うかもしれない。

 そんなものは御免だと考えた大和国聖徒会の一同は、東平京への帰還を目論んで大した旅支度もしないまま、人目に付かぬようこっそりと鷺宮領から脱したというわけであった。


 幸か不幸か、仲間たちの中で生き残った者はタクトを除いてすぐに動ける状態であった。

 とるものもとりあえず逃げ延びた匡史たちであったが……旅支度もなく、進行経路の確認もしていなかったツケを早速払う羽目になってしまっている。


 地図を見て、おおよその方角と道を決めて進んでいったはいいが、そこは慣れない道のり。

 ふとした切っ掛けで予定していた道を外れ、そのことに気が付いた時には引き返すことすら困難な場所まで進んでおり、今ではすっかり道に迷ってしまっている有様だ。


「くそぅ、くそぅ、くそぉ……! 誰か! 周囲の状況を偵察出来るような武神刀を持っている者はいないのか!? 式神を使える者は!?」


 正弘のように、偵察や索敵に適した能力の武神刀を持つ者がいれば、あるいは、巫女ややよいのように式神を操れる者がいれば……と、淡い期待と共に生き残った部下たちに声をかける匡史であったが、そんな都合の良い話があるはずもない。

 誰もが下を向き、疲れた表情を浮かべて無言でいる姿を見て、彼は悔しそうに地団太を踏み、不満をぶちまける。


「この……っ! 役立たず共め!! 蒼天武士団にも王毅軍にもこんな時に頼れる人員がいるというのに、お前たちときたら……!! 戦いも何もかも、僕に頼り切りじゃないか!! 寄生虫! ごく潰し! 役立たずの落伍者共めっ!!」


 蒼や王毅と違い、部下に恵まれていないことへの恨み言を口にする匡史であったが、彼に従う者からしてみれば、上に立つ匡史への信頼や器の大きさに対する疑問があるということに気が付いていない。


 先の戦で匡史の尻拭いをしつつ、大手柄を挙げた蒼にしても、英雄の代表としての立場を追われたのにも関わらず、一から軍団を再建した王毅にしても、自分についてきてくれている仲間たちに信頼に応えようとする意志が見受けられる。

 蒼も王毅も率いる軍団の数は違えど、どちらも仲間を大切に想い、全幅の信頼を寄せつつ、彼らと共に自分たちの出来ることを全力でやろうとする意志があり、その姿を見ているからこそ、燈も慎吾も彼らを支え、盛り立てようと思えるのだろう。


 対して、匡史は自分の武神刀の能力を活かすため、ひいては自分の立身出世のための軍勢として、ただ頭数を揃えているだけに過ぎない。

 部下たちの武神刀の能力もまともに把握しておらず、戦いにおいても武神刀の能力で強化した兵隊を戦わせるだけというお粗末なやり方しか取っていないことからも彼が軍団の長という立場に就くには力量不足であることを示しているだろう。


 匡史は自分が如何に素晴らしい人材であるかを大和国の民や幕府に示すために兵隊が必要だった。

 タクトや他の生徒たちは、いい暮らしや望んだものを手に入れるための居場所が必要だった。


 最初から、自分たちの間には信頼なんてものは存在していない。

 利用し合うだけの関係……お互いがお互いに寄生し、依存し、利益を貪り合うだけの希薄な関係だったのだ。


 事ここに至って、匡史のことを尊敬している者など大和国聖徒会には存在していない。

 匡史もまた、この状況下で絶対の信頼を置ける部下など有していない。


 物事において何よりも重要視されるべき人の和というものを蔑ろにしていた大和国聖徒会がその反動を思いっきり味わう中、近くにあった切り株に座った匡史は、普段の冷静さをかなぐり捨てた憎しみを滾らせた表情で恨み言を口にする。


「見ていろよ、蒼……!! このままでは終わらせないぞ。必ず、お前にも責任を取らせてやるからな……!!」


 栄誉も、報酬も、成果も……何一つとして得られなかった遠征だが、たった一つだけ手にしたものがある。

 蒼によって、タクトの右腕が斬り落とされたという事実だ。


 国士無双の英傑として名を轟かせてこそいるものの、蒼の立場は一介の武士に過ぎない。

 その武士が、幕府によって異世界から召喚され、英雄として活躍していたタクトを傷つけたばかりか、剣士として再起不能の怪我を負わせたというのは大きなスキャンダルになる。


 東平京に帰った暁には、この事実を十二分に用いて蒼天武士団へのバッシングを行ってやろう。

 幕府も先の銀華城攻略戦の際に仕込んだあれやこれやをぶち壊された(壊したのは蒼ではなく戦犯の匡史なのだが)恨みもあるだろうし、きっと手を貸してくれるに違いない。


 まだ、自分は終わらない。こんな汚名を被ったままで終わってなるものか。

 蒼や燈への憎しみを滾らせ、身勝手な恨みを彼らにぶつける匡史が、口元に薄気味の悪い笑みを浮かべた、その時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る