一方その頃、部屋で泣きじゃくるタクトは……

 鷺宮邸本宅の豪華な一室。客人用の部屋として使われているそこに引き籠っているタクトと匡史が会話をしている。

 話の内容は蒼天武士団の処遇についてと、燈にプライドを傷つけられたタクトへの慰めであった。


「……と、いうことだ。すぐには奴らを追い出すことは出来なかったが、あと数日もすれば蒼天武士団も鷺宮領を出ていく。辛抱するのはそれまでさ」


「僕にあんな仕打ちをしたヤンキーがまだこの家に残り続けてるのか? 僕はあいつと顔を合わせるだけで、腸が煮えくり返っておかしくなりそうだってのに?」


「落ち着け、黒岩くん。君の気持ちもわかるが、たった数日、それだけの我慢じゃないか。蒼天武士団さえいなくなれば、君の天下だ。君は百合姫を側室に迎え、鷺宮家に大きな恩を売り、八岐大蛇を倒した英雄として東平京に凱旋する。そうすれば、君の名を聞き付けた美少女との出会いがやってくるに違いないさ」


「………」


 顔を合わせたくない、見たくもない燈たちがまだこの家に残ることに不満を垂らすタクトを落ち着かせるように、匡史が説得を行う。

 その言葉に無言になったタクトに対して、彼が納得してくれたものだと考えた匡史は、大和国聖徒会のエースである彼に阿るような上目遣いの言葉で機嫌を取る。


「鷺宮家の人々、少なくとも雪之丞と菊姫はこちら側さ。謝罪と君の励ましを兼ねて、今晩も酒宴を開いてくれるそうだよ。落ち着いたら、君も顔を出すといい。それじゃ――」


 連日連夜続いている宴に参加するよう言い残し、匡史が部屋から去っていく。

 その背を見送ったタクトは、言いようのない苛立ちをぶつけるかのように近くにあった置物を部屋の壁へと投げつけ、呻いた。


「何が、何が僕の天下だ? 八岐大蛇を倒した英雄だ? だとしたらどうして、こんな風にびくびくしながら部屋に引き籠っていなきゃならない!?」


 確かにタクトは八岐大蛇を倒し、百合姫を側室に迎えるための準備を整えた。

 その功績は英雄の名に相応しいし、鷺宮家の人間だって彼に感謝しているだろう。


 しかし……その実、彼は見下していた燈に手も足も出ず、赤子の手をひねるように蹴散らされてしまった。

 それも、妻として迎えるはずの百合姫と、未だに自分のハーレムに加えることを諦めきれていないやよいの前で、だ。


 タクトは八岐大蛇を倒した英雄だが、そんな彼よりも燈の方が数段強い。

 鷺宮領の人々を苦しめる妖を倒したはずの自分より、燈の方が百合姫の信頼を得られていることも我慢がならない。

 そして何より、主人公として大和国に君臨するはずの自分が、ただのヤンキーである燈の影に怯え、こうしてびくびくと部屋で縮こまって過ごすことしか出来ないことがタクトのプライドを大いに傷つけていた。


「どうしてだ? こんなはずじゃなかった……こんな風になるはずじゃあなかったのに……!!」


 計画を聞かされた時に思い描いた想像と、今の自分の姿には雲泥の差が存在している。

 銀華城奪還戦で手柄を立てて調子に乗っている蒼天武士団を利用し、彼らに代わって八岐大蛇を討伐して、百合姫や鷺宮家の人々の心をがっちりと掴む。

 あわよくば、やよいをはじめとした蒼天武士団の女子たちをも虜にして、何もかもを手に入れた自分に羨望の眼差しを向ける燈と蒼の悔しそうな姿を見ながら悠々と英雄として再起するというのが、タクトが描いていた妄想だ。


 しかし、今の自分はどうだ? その想像と、大きくかけ離れてはいないか?

 八岐大蛇を倒したというのに、百合姫や鷺宮家の連中は自分よりも蒼天武士団の方を信頼している。

 雪之丞も、菊姫も、玄白も、仲間であるはずの大和国聖徒会の面々だって、心から自分のことを英雄として尊敬してくれている者はいない。

 挙句の果てに燈に惨敗し、プライドをずたずたにされた上、自身の立場を利用して蒼天武士団を領地から追い出すという、他力本願なやり方しか出来なくなっている始末だ。


 こんなはずじゃなかった。自分はもっと、周りから一目置かれる存在になるはずだった。

 この大和国に来て、類稀なる素質の持ち主だと知らされて、挫折を経験してから再び手を差し伸べられた時、今度こそ自分は大きく羽ばたくのだという希望を見出したというのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう?


 信頼出来る仲間はいない。匡史や大和国聖徒会の連中は、自分の力を利用して名声を得て、甘い汁を啜りたいだけだ。

 彼らとは協力関係ではあるが、信頼関係ではない。蒼天武士団なんかよりも多くの人間に囲まれているのに、タクトは心の中から孤独感が拭い去れないでいる。


 想いを寄せ、慕ってくれる女性もいない。

 タクトに擦り寄る女性たちは、彼が簡単に手玉に取れる男だと理解し、金品を引き出すために近付いているのだということも判っていた。

 でも、まだ幼く無垢な百合姫なら、きっと自分のことを尊敬し、認めてくれる女性になってくれると思っていた。そう思っていた、のに……!!


「なんでだよ、どうしてだよ……僕は、主人公になるはずだったのに……!! どうしてあのクソヤンキーに全負けしてるんだよっ!?」


 命を預けるに足る仲間も、想いを寄せ、慕ってくれる女性も、燈は手にしている。

 一時は落伍者としての烙印を押され、クラスどころか学校からも追い出された男が、タクトの欲しているものを全て手にして自分の前に舞い戻ってきた。


 悔しい、悔しい、悔しい。


 本当なら、あんな風になっていたのは自分のはずだった。仲間も、名誉も、愛情も、自分が得るはずのものだった。

 これじゃまるで噛ませ犬じゃないか。結婚相手となる少女の心も、完全に燈に奪われてしまっている。もう、百合姫の中にある燈への信頼を揺るがすことなんて出来っこない。

 自分は、側室とした百合姫の夫として、永遠の二番手として生き続けなければならないのだ。


「どうしてだよぉ……? 悔しい、羨ましい……っ! どうして僕じゃないんだよぉ……!?」


 布団の上で蹲り、嗚咽を漏らして怨嗟と嫉妬の呻きを上げるタクト。

 子供のように泣きじゃくり、握り締めた拳を何度も床に叩き付けている彼の心の中では、汚泥のようなどす黒い感情が渦巻いている。

 濁り、腐臭を放ち、瘴気と共に膨れ上がったそれが、タクトの中に満ち満ちようとした、その時だった。


『欲しく、ないか? 望むもの、全てを……!!』

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