団長と副長のこそっと話


「ねえ、蒼くん。何してるの?」


「これまであったことを書簡に記録してるだけさ。仕事中に何があったのかを書き留めておくのは大事なことでしょう?」


 一方その頃、離れの広間では蒼とやよいが二人きりで話をしていた。

 小さな机に向かい、本日の出来事を書き記している蒼の背中へとつまらなそうに声をかけたやよいは、頬を膨らませながら尚も声をかけ続ける。


「別に明日でもいいんじゃない? 護衛任務からも解放されたんだし、今は休養を取った方がいいでしょ」


「今日あったことはその日の内に記録しておかないと、自分の記憶が曖昧になる。将来、何かの折にこの仕事を振り返ることになった時、そういった認識の誤差が思わぬ誤解を生むことだってあるんだ」


「……とかなんとか言って、本当はあたしと顔を合わせるのが気まずいだけなんじゃないかにゃ~?」


「うっ……!?」


 ずばり、と今の胸中を言い当てられた蒼が背筋を伸ばして呻き声を上げる。

 その反応にむっとしたやよいは、自分も立ち上がるとのっしのっしと大股で蒼の下へと歩みながら彼を詰問した。


「あーっ! やっぱりそうなんだ! さっき百合姫ちゃんに言われたことを気にしてるんでしょ!?」


「そ、そういうわけじゃないよ。別に、君が言うようなことは……」


「嘘だね! さっきっからずっと目が泳ぎっぱなしだし、今だってそっぽ向いたまんまじゃん!!」


 ぽこすかと蒼の背中を叩き、彼の不審な行動を咎めるやよい。

 見事に図星ばかりを突かれている蒼は、若干の気まずさを否定出来なくなりつつある状況に苦し気な表情を浮かべている。


 どうにも、先の百合姫から言われた夫婦のようだという一言が心に引っかかっているのは確かだ。

 確かにやよいには色々と世話になっているし、女房役という表現がぴったりなのは否定のしようもない。

 友人として、副長として、彼女のことを頼っているという気持ちが蒼の中ではあるのだが、そう言われてしまうとやはり彼女のことを意識してしまうのも仕方がないことであった。


「……そんなに嫌? あたしと、夫婦だって思われるの……」


「そんなことはないさ。ただ、ちょっと、こういうのに慣れてないだけで……やよいさんは魅力的な女の子だと、僕も思っているよ」


「なら、もう少し喜んでよ。そうやって顔を合わせるのも拒否されると、流石にあたしも傷つくんだけど」


「それは、その……ごめん。やっぱり気恥ずかしさには勝てないし……」


「……どーてー。女の子への耐性皆無のへたれ」


「うぐっ……! め、面目ないです……」


 単純な罵倒にも頭を下げ、やよいへと謝罪する蒼。

 そんな彼の背にもたれ掛かるようにして抱き着いたやよいは、肩越しに彼が書いていた記録書へと視線を向ける。


「へぇ、ちゃんと書いてはいるんだ。てっきりあたしと顔を合わせない為の方便かと思ってた」


「そんなまどろっこしい真似はしないって! っていうか、少し離れて。胸が、胸が……!!」


「ん~? 聞こえにゃ~い。さてさて、団長さまが書き間違いをしてないか、副長として確認しなきゃね~!!」


「うぐぅぅ……」


 ぎゅぅぅっ、と自らの胸を蒼の背に押し付けるようにして体を密着させたやよいが、その柔らかさを堪能させるべく小刻みな動きをみせる。

 暖かな体温とほのかに香る甘い匂い、そしてたわわな果実の柔らかさをこれでもかと味わわされる蒼は、必死に意識を集中させてその煩悩に抗っていた。


「……んにゃ? まだ書いてる途中なんだ? 気になった部分があるって書いてあるけど、何のこと?」


「あ、いや、それは、その……」


「……また秘密主義? やっぱり百合姫ちゃんに言われたことを気にしてるんじゃない」


 そうじゃなくて、今はやよいのいたずらに対抗するために意識を割いているから、上手く考えを纏められないだけだ……と、素直に言えたらどれだけ楽だっただろう。

 どれだけ時間が経っても自分はこのからかいに慣れることが出来ないなと、やよいに見事に弱点を握られている蒼が取り合えずこの状況を脱しようと、意を決して彼女の体を引き剥がそうとした時だった。


「やよいさん、もうそろそろ――おろっ!?」


「ひゃんっ!?」


 長い間、正座していた足が、思い切り振り返った拍子にこれまた思い切りもつれた。

 ぐるりと回転する勢いはそのままに、前方……つまり、やよいの方向へと彼女の小さな体を巻き込みながら倒れた蒼は、あわやというところで手を付いたことで完全なる転倒を防ぐことが出来たようだ。


 危うく、やよいのことを押し潰してしまうところだった……と、ぎりぎりでその災害を回避出来たことに安堵した蒼であったが――


「んあっ、んんっ……!!」


「あれ……?」


 妙な柔らかさが、右手の中で震えた。

 温もりと癖になるような質感を掌に覚えると同時に、何とも悩まし気なやよいの声が静かに響く。


 嫌な予感と共に、蒼が押し倒す形になってしまったやよいのことを見てみれば、自分の右手が彼女の服の内側に潜り、大きな胸を鷲掴みにしている光景が目に映った。


「んぁ……っ!」


「ごごごごごごご、ごめんっ!! そんなつもりじゃ……!!」


「ひゃううっ!?」


 一応、乳押さえの上からのことではあるが、自分が今、押し倒した女性の服の内側に手を突っ込んで体を弄っている状況には変わりはない。

 悩まし気に悶え、顔を赤らめて成すがままにされているやよいの姿に不埒な考えを抱いてしまったことも事実ではあるが、そんな野獣のような真似をするのは武士の道に反する。


 大慌てで謝罪を行い、急いでやよいから離れようとした蒼であったが、そんな間の悪い状況を見計らったかのように、風呂上がりのこころたちが襖を開けて部屋に入ってきてしまった。


「お風呂、上がりましたよー。次の方、どう、ぞ……?」


 先頭で部屋に入ってきたこころが、内部の光景を目の当たりにして硬直する。

 続いて同じ光景を目にした栞桜と涼音もそれぞれの反応を見せる中、ようやっとやよいの服から手を引き抜いた蒼は三人に向けて必死の弁明を図るが――


「蒼、貴様……! やよいを押し倒して、何をするつもりだ!?」


「ち、ちがっ!! 誤解だよ!!」


「そういうことは、家ですべき……ここは依頼人の家なのだから、少しは弁えた方が、いい」


「その……百合姫ちゃんもいますし、誰が入ってくるかわからない状況でそういうことをするのは止めた方がいいと、私も思いますよ」


「だから誤解なんだって! やよいさんも何か言って……あれぇっ!?」


 妙な誤解を受けている自分を助けてもらおうとやよいに声をかけた蒼だが、振り返った先にあるはずの彼女の姿が忽然と消えていることに素っ頓狂な声を上げてしまう。

 逃げられた……と、思うと同時に、この厄介な三人の誤解を解くという面倒な仕事を全て自分に押し付けたやよいに向け、一種の憤りを感じる蒼であったが、逼迫した状況はそんな猶予を彼に与えてはくれなかった。


「蒼! 貴様もあの男たちの雰囲気に当てられたか!? その根性、叩き直してやるっ!!」


「待って! 待ってっ! お願いだから話を聞いてってばーっ!!」


 阿修羅の如く怒気を放つ栞桜の姿に悲痛な蒼の叫びが響く。

 取り合えず、彼の身にとんでもない不幸が降りかかるのは避けられない事態のようであり、この数秒後に悲鳴に近しい蒼の悲鳴がこだますることになるのは誰しもが予想出来る顛末であった。


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