百合姫が見たもの

「失礼します、百合姫さま」


「……お待ちしておりました、燈さま」


 そうして、その日の夜。

 約束通りに今晩の夜警担当を引き受けた燈は、百合姫と玄白が泊まる部屋を訪れていた。


 部屋で父と共に待っていた百合姫は、燈が一人ではなく供を連れてきたことに気が付き、彼女たちの方へと視線を向ける。


「勝手に連れてきてすいません。ただ、この二人なら姫さまの力になってくれるだろうって、蒼が……」


 ちらりと彼女の見やった方向へと自身も目を向けながら、燈が言う。


 陰陽術に詳しいやよいと、常に百合姫の傍に控えているこころ。

 その二人を伴った理由を簡単に説明した燈は、百合姫の機嫌を損ねぬよう、言葉を選びながら彼女の許可を取る。


「勿論、姫さまが話を聞かれたくないってんなら、二人には下がってもらうつもりです。如何致しますか?」


「……私の方もお父様に同席してもらっています。私のことを思っての人選ならば、何も物言いはありません」


 小さく、首を左右に振ってそう言った百合姫は、次いで軽く息を吐いた。

 思っていたよりも人が集まり、それら全員が自分の話を聞くためにこの場にいるという状況に緊張している彼女の体と表情は、僅かに強張っているようだ。


 燈は、そんな百合姫の緊張を解すように落ち着いた声で、彼女へと話を促した。


「早速で悪いんすけど、話を聞かせてもらえますか? 八岐大蛇に襲われた時、姫さまは何を見たんです?」


「……とても、不思議な感覚でした。あれは恐らく、鷺宮家初代当主である真白さまの意識が私の中に流れ込んできたのでしょう」


 促されるまま、昨日に感じた不思議な感覚について語り始める百合姫。

 燈、やよい、こころ、そして玄白は、彼女の話に黙って耳を傾ける。


「断片的な、途切れ途切れの映像でした。しかし、それが真白さまの記憶であることは間違いありません。私は恐らく、彼女の最期を追体験したのでしょう」


「鷺宮真白の死ということは……八岐大蛇を封じるまでを見たというのか、百合姫!?」


「いいえ、残念ながらそこまでは見ておりません。封印の方法を見ていたのなら、燈さまたちのお力になれたかもしれませんのに……」


 悔しそうに、申し訳なさそうに、燈たちに告げた百合姫が視線を落とし、俯く。

 しかし、やよいはそんな彼女の言葉を否定しつつ、励ましとも取れる言葉を口にした。


「いや、それで良かったと思います。記憶の中の話とはいえ、死を追体験するなんてことは精神に大きな負荷をかけるもの。我々のように心身を鍛えた武士ならいざしらず、百合姫さまのようなお方がそんな過激な経験をして、まともでいられる保証はありませんから」


「……よもや、八岐大蛇は百合姫を狂わせるためにそんなことを!? 奴め、自分の傍におれば、その者の心がどうなっていても良いと思っているのか!?」


 百合姫の心を破壊し、人形のようにして自分の傍におこうとしているのではないかと、そう八岐大蛇の狙いを勘ぐった玄白が憤慨の声を上げる。

 確証はないが、その可能性も十分にあり得ると考えた面々は、玄白の意見を否定せず、再び百合姫の話へと耳を傾けていった。


「先程も申した通り、私が見たのは途切れ途切れの映像です。しかし、その中でも一つだけ、はっきりと見えたものがありました」


「……それは、なんですか?」


 百合姫が見たものとは何なのか? その答えを探るように燈が言葉を投げかける。

 一度言葉を切り、覚悟を固めるように息を吸った百合姫は、震える声でその答えを口にした。


「……姿、です。黒い炎に包まれ、誰かが焼かれていました」


「っっ……!?」


「私は、地面に倒れた状態でそれを目にしていました。黒炎の中で苦しそうに人がもがき、燃え尽きるまでの様がこの目に焼き付いております」


 百合姫の声の震えが、その光景のおぞましさを物語っていた。


 八岐大蛇の炎は呪いの炎。一度燃え移ったら最期、対象を焼き尽くすまで消えることのない必殺の黒炎。

 その情報が正しければ、百合姫が目撃した炎に包まれた人間が辿った末路の想像もつく。

 恐らくは、その人物が灰と化すまでの光景を目にしたであろう百合姫がそれを語る様を痛々しく思ったのか、玄白が我が子の体を強く抱き締めながらその話を制止した。


「もうよい! よいのだ、百合姫! 無理をするな。そんなおぞましい光景を思い返さずともよい!」


「……はい、お父さま」


 父親に抱き締められて安堵したのか、百合姫の声に僅かながら平静が戻った。

 しかして、まだその体が小刻みに震えていることや、顔色があまりよくないことから察するに、百合姫の心の不安定さの原因は、彼女が見てしまったその光景にあるのだろうと燈たちは思う。


 燃え盛る黒炎とそれに包まれる男性。その様子を地面に附した状態で見ていた真白。

 その二つの情報を組み合わせれば、自ずと出る答えは一つに絞られる。


「……百合姫が見たのは、鷺宮真白が八岐大蛇に連れ去られ、それを救出に向かった婚約者が殺される様子でしょう。しかし、そんな無残な最期を遂げていただなんて……!」


「婚約者というと、八岐大蛇の首の内、四つを斬り落としたという、あの?」


「そうです。婚約者である鷺宮真白を救うために八岐大蛇に戦いを挑むも、力及ばずに敗れたという逸話を残した人物です」


「……そういえば、その人のことについては詳しく聞いてませんでしたね。あんまり情報が残っていなかったとか?」


「いや、そんなことはありません。その男……黛龍興まゆずみ たつおきのことは、詳しく記録に残っております」


 ここにきて名前が出た真白の婚約者、黛龍興。

 かつての戦いにおいて八岐大蛇に大きな痛手を負わせたその人物が何かの鍵を握っているのではないかと考えた燈は、詳しい情報を求めて玄白へと龍興について話すよう頼む。


「玄白さん。どうやらその黛龍興って男が八岐大蛇との戦いで何をしたのか? という部分が重要な話になりそうです。よろしければ、その男について知り得ることを俺たちに教えていただけませんか?」


「勿論、そういたしましょう。しかし、私が知るのはあくまで龍興の立てた手柄や周囲からどう見られていたかという部分であって、その最期については何もわかっておりません。それでもよろしいですかな?」


 肝心の八岐大蛇との戦いの部分は何も判っていないようだが、龍興がどのような人物であったかを知るだけでも十分に価値はある。

 情報が一か零かでは話がとんと違ってくるのだから、何か少しでも手掛かりを得られる機会は貴重であることを知っている燈が首を縦に振れば、同じように頷いた玄白が咳払いをした後、鷺宮家の記録に残っている龍興に関しての情報を話し始めた。


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