持ちかけられた相談
夜が明け、朝日が昇ってから間もなくして、百合姫を護衛しながら東平京へと向かう一行の二日目の行軍が始まった。
まだ早朝と呼べる時間から始まった移動は何の妨害も受けることなく順調に進み、当初の予定時刻を前倒しして休憩地点に到着出来たほどだ。
昨日の不穏な出立が嘘であるかのような行軍に安堵するも、蒼天武士団の面々にも付き添いの武士たちの間にも油断はない。
八岐大蛇の呪いの恐ろしさ、呼び出される分身たちの強さを重々に理解している彼らは、昨日の経験を基に構築した防衛策をきっちりと守りながら行動している。
物理攻撃は無効。気力を用いて、確実に目の前の敵を仕留める。
大規模な掃討は蒼天武士団に任せ、その他の武士たちは百合姫の護衛とそこに迫る妖たちの撃退に注力。
前衛は蒼、燈、涼音の三名で交代しつつ担当し、それを栞桜とやよいで援護する。
再び襲撃を受けた際の決まり事を反復して確認しつつ、願わくばもう八岐大蛇との戦いが起きないことを望みながら、僅かな休憩時間を過ごす一行。
最初の戦闘以降は順調な旅路を送っているように見える彼らだが、たった一つだけ不安材料があった。
「あの、燈さま……少し、お時間よろしいでしょうか?」
「え? あ、はい、構わないっすけど……どうかしましたか?」
その不安材料である百合姫が浮かない表情のままに、休んでいた燈に声をかける。
きょとんとした顔に対応した燈は、やや青ざめて見える彼女の顔色に少なからず心配の感情を抱いた。
百合姫の精神状態が不安定であることは、蒼やこころから聞いていた。
昨日の襲撃の際、八岐大蛇から何らかの干渉を受けたであろう彼女は、夜もまともに眠ることが出来なかったようだ。
恐ろしい悪夢を見る、というのがその理由のようだが、肝心の夢の内容は誰にも話してはくれない。
口にするのも恐ろしい夢ということなのかもしれないが、駕籠の中でずっと俯き、時折びくりと体を震わせる彼女の姿は、傍にいる玄白やこころを心配させるには十分なくらいに痛々しいものだった。
その百合姫が、自分から声をかけてきたことに少し驚く燈。
同時に、彼女がどうして自分に声をかけてきたのか、彼には思い当たる理由があった。
(もしかして、俺も姫さまと同じで八岐大蛇からの精神干渉を受けたから、か……?)
八岐大蛇と相対した燈が、何らかの干渉を受けたかもしれないという話は一行の中にも広まっている。
最初はそのことを不安がられてもいたが、昨日から何も変わらずぴんぴんしている彼の姿を見た武士たちは、八岐大蛇の力にも屈しない武士が味方にいるということで、今ではすっかり安心と燈への頼り甲斐を抱いているようになっていた。
そのことは、百合姫の耳にも届いているはずだ。
もしかしたら彼女は、自分と同じように八岐大蛇の影響を受けた燈ならば、感じている恐怖を共感してもらえるかもしれないと考えているのかもしれない。
生憎と、自分は彼女ほどに恐ろしさや脅威を感じているわけではないが……頼られているのなら、安心させてやりたいと思う。
仕事を請け負った者としてではなく、純粋に恐怖に怯える少女の心を救ってやりたいという義侠心からの思いを抱く燈に向け、百合姫は彼の予想通りの言葉を口にした。
「燈さまは、その……八岐大蛇に精神を侵された時、何かを感じませんでしたか?」
「何か、っすか……? 具体的には、どういう……?」
「例えば……何かを見た、とか……」
おずおずと、そう口にした百合姫の言葉に燈は目を閉じ、昨日のことを振り返る。
自分が目にしたもの、聞いたもの、感じたものを全て再確認した彼は、目を開くと不安そうにこちらを覗き込む百合姫の瞳を見つめながら、こう答えた。
「……俺が感じたのは、俺の名前を呼ぶ女の声だけです。何かを見たとかはないっすけど……姫さまの口ぶりだと、あなたは何かを見たんですね?」
「っっ……」
燈の指摘に体を震わせた百合姫が、視線を逸らして口を噤む。
やはり彼女は自分の見ているものを口にしたくないのかと、その心情を慮った燈は、出来る限り百合姫を落ち着かせるような穏やかな口調で言葉を続けた。
「詮索するつもりはありませんよ。ただ、姫さまが不安でしょうがない時は、素直に頼ってください。何もかもを一人で抱える必要なんてないっすから」
「……ありがとうございます、燈さま」
責任感が強いというか、我慢することに慣れているというか……何処か蒼に似ている性格の少女を励ましながら、燈は小さく苦笑した。
まだ十を少し過ぎたくらいの子供であるというのに、百合姫にはこんな風に物事を耐える癖が付いている。
それを美徳と思うべきなのかもしれないが、子供が涙や恐怖を堪え続けるというのは何かが違うと、燈はそう思っていた。
「あの、燈さま。燈さまは、八岐大蛇のことを、どう思いますか?」
だから、百合姫がそんな質問を投げかけてきた時、彼は自分の思っていることを素直に告げることにした。
立場や周囲の考えに縛られず、正直に自分の意見を口にしたり、周囲を頼ることが大事であるということを行動を以て彼女に示すことにした燈は、軽く息を吐いてから答えを返す。
「ず~っと頭で色々と考えてるんですがね、これっぽっちもわかんねえんですわ。ただ、勘で言わせてもらうなら……何か妙なものを感じる、っすかね」
「勘、ですか……?」
「ええ、勘です。前にも言ったでしょう? 俺の勘は案外当たるって。その勘がいってるんです。八岐大蛇はただ百合姫さまを追っかけてるだけじゃない。俺たちが想像も出来ない何かがあるんじゃないか……ってね」
確証もない、根拠もまるでない、下手をすれば百合姫を不安がらせるだけの馬鹿げた考え。
しかし、はっきりと自分の感じていたことを意見として告げた燈の様子に、百合姫は目を丸くして驚いた後、何かを考え始める。
今の言葉が、彼女に何らかの良い影響を与えられればいいのだが……と、思っていた燈は、顔を上げた彼女が少しすっきりとした表情を浮かべていることに気が付き、自分の意見が無駄ではなかったことに安堵した。
「燈さま、今晩私の部屋に来ていただけませんか? 私の話を聞いてほしいのです」
「別に構わないっすけど、今じゃ駄目なんですかね?」
「長くなりそうなお話です、出来ることならば、じっくりと腰を据えて行うことが望ましいかと……ご迷惑でしょうか?」
不安気な百合姫の言葉に笑みを浮かべ、首を大きく左右に振って否定の意を告げる燈。
そうした後、彼は力強い声で、百合姫の願いを承諾する言葉を発した。
「わかりました。今晩は、俺が姫さまの寝ずの番を引き受けます。そこで、姫さまの話を聞かせてもらいましょう」
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