一方、燈の部屋では……

「お、お、お、落ち着け! あんた、自分が何やってるのかわかってるのか!?」


「もちろん、理解してますわ。あなたの方こそ、私が相応の覚悟を持ってこうしているということをご理解頂けています?」


 一方その頃、蒼が章姫の急襲を受けているのと同じくして、燈もまた裸の咲姫に迫られている真っ最中であった。


 部屋に戻ったらいきなり裸の女性に襲い掛かられた燈は、先日の露天風呂での一件も相まって完全に動揺している。

 この場の空気を掌握した咲姫は、予想とはやや違う反応を見せる燈に対して、じわりじわりと距離を詰めていった。


「随分と初々しい反応を見せますのね? もしかして、夜伽は初めてですの?」


「そうだよ! って、なに言わせてんだ!! あんたの方こそなんでこんなことをする!? 貴族の娘さんだってんなら、もっとこう、慎みを大事にするもんなんじゃねえのか!?」


「ふふふ……! 貴族の娘だからこそ、こうした行動にそれなりの重みが圧し掛かるのですよ。床を共にし、契りを結んだ殿方を確実にものにするには、これがうってつけなのです」


「っっ……!?」


 でまかせと真実を入り混じらせた言葉を口にしながら、咲姫が燈へとにじり寄る。

 均整の取れたプロポーションを武器に、男の欲情を煽るような動きを見せて、どうすれば相手が自分を抱きたくなるかを熟知している彼女は、くのいちとしての技術と経験を総動員して燈を誘惑していた。


「さあ、お覚悟を……! 決して損はさせません。あなたにも極上の快楽を味わわせてさしあげましょう……!」


 ふわりと、彼の鼻孔をくすぐるように息を吐きかけ、香の匂いを嗅がせる咲姫。

 蒼の部屋と同じく、興奮剤である香の匂いが充満した室内で、十分に時間は稼ぐことが出来た。

 もうそろそろ、その効果が出始める頃だ……と、内心ほくそえんでいた咲姫であったが、何事かを考えるに腕を組んでいた燈がばっと顔を上げた瞬間、面食らうこととなってしまう。


「……ってことはなにか? あんたの目的は、桔梗さんに仕事を頼むことじゃなくて、俺とねんごろな関係になることだったってことか?」


「えっ……? え、ええ……察しが早くて助かりますわ」


「そう、か……それって、親からの命令とかか? 他の姉妹もあんたと同じ目的を?」


「え、ええっと……ま、まあ、そんなところですわね」


 しゃっきりとした反応を見せる燈が、矢継ぎ早に咲姫へと質問を投げかける。

 香の力がまるで効いていない彼の様子に面食らった咲姫は、戸惑いながらもなおも時間稼ぎのためにその質問に適当な返事を返していった。


(おかしいわ。普通ならばもう意識が混濁していてもおかしくないのに、どうしてこの男はこうも平然としていられるの……?)


 臭気は十分に満ちているはずだし、時間もそれなりにかけた。

 これまでの経験から考えても、もう香が効果を発揮していなければおかしいはずだ。


 しかし、目の前の男は意識の混濁や発情といった症状を見せるどころか、むしろ落ち着いているように見える。

 欲望を滾らせた血走った眼で咲姫を見るでもなく、逆に慈愛と哀れみを溢れさせた眼差しをこちらへと向ける燈は、大きく息を吐いてからこう話を切り出した。


「いや、その、なんだ……まあ、ちょっと座れよ。少し、話しようぜ」


「え、ええ……」


 言われるがまま、ちょこんとその場に正座する咲姫。

 場の雰囲気を握っていたはずの自分がいつしか相手に押され気味になっていることに戸惑いながらも、香を信じてもう少しだけ時間を稼ぐことに決めた彼女は、伏し目がちに燈の様子を伺いながら彼の話に耳を傾ける。


「その、悪い。俺はこの世界のこと詳しくねえし、貴族のごたごたなんて想像もつかねえから軽々しくああだこうだ言うべきなんじゃないかもしれねえけどさ……やっぱ、こういうのは止めた方がいいと思うぜ」


「え、ええっと……?」


「ああ! 言いたいことはわかる! あんただって本当はこんなことしたくねえよな!? 親の命令だから必死になってるんだろ? 昼間のこともそうだったけど、あんたが何か無理してる風なのはわかってるさ。あんたも一生懸命なんだよなぁ……」


 どうやら燈は、普段の勝気な性格を隠して貴族の娘風を装っている咲姫の態度を、誘惑のために我を殺してのことだと思っているようだ。

 咲姫たちの本来の目的は察することが出来たが、その正体に関しては疑っておらず、彼女たちがくのいちであることなど欠片も気付いていない様子の彼は、自分を誘惑する少女を慮って話を続けた。


「……色々あるもんな。有力な家と関係を結ぶための政略結婚とか、子供を人質に出して強い力を持ってる奴から攻撃されないようにするとか……戦国時代であったことが、こっちの世界では一般的なんだろうよ。あんたも、その犠牲者ってことか……」


「い、いや、あの、えぇ……?」


 うろ覚えの歴史の授業の内容を思い出しながら燈がふむふむと頷く。

 何かを完全に勘違いしている燈の様子に困惑し始めた咲姫は、彼から真っ直ぐな視線を向けられて不覚にもどきっとしてしまった。


「あんたの家の事情はわからねえ、けど……こんなことは止めとけよ。もっと自分のことを大事にした方がいい。誰かの命令で好きでもない男と体を重ねるなんて、悲し過ぎるだろ」


「っっ……!?」


 哀れまれているような、気遣われているような……そんな燈の眼差しと言葉が、咲姫の心を抉った。

 それはきっと、彼女が心の底に沈めていた濁りのような思いを指摘されたからなのだろう。


 その言葉に呆然とし、言葉を失った咲姫に対して、燈は深々と頭を下げる土下座の格好でこう告げる。


「あんたにも色々事情があって、それなりの覚悟を決めてきたことはわかってる。でも、俺はあんたを抱くわけにはいかねえ。それがあんた自身を傷つけることになるだろうし、それに……俺には、あんたの前に決着をつけなきゃならない女が三人もいるんだ」

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