噓八百も並べれば真実になるかもしれない
深夜、日付も変わろうかという頃、仕事を終えて部屋に戻ってきた蒼は、誰もいないはずの自分の部屋の中から気配を感じて扉を開けようとしていた手をぴたりと止めた。
予告もなく、この時間帯にやって来る人物にアテがない彼は、軽く息を吐いてから警戒しつつ扉を開ける。
真っ暗な部屋の中には、ともすれば誰もいないように思えるが……蒼の第六感は確かに、この部屋に存在する自分以外の人間の気配を感じ取っていた。
「………」
無言のまま、照明に火を灯す蒼。
状況を確認するためにも、わざわざ暗闇の中で過ごす必要はないと……そう、考えた彼は、明かりが灯った部屋の中で、こんもりと膨れている自分の布団を目にした。
おそらく、というより間違いなく、侵入者はあそこに隠れているのだろう。そして、蒼を待ち受けている。
最大のパーソナルスペースとでもいうべき個人の布団に身を隠す理由は知れないが、問題はその人物が誰かということだ。
真っ先に思いつくのは、こういった悪戯が好きそうなやよいだが……どうにも彼女が犯人であるという気がしない。
やよいならば蒼が明かりをつけた時点で観念して布団から飛び出してくるだろうし、そもそもここまで回りくどい悪戯をするようには思えないのだ。
となれば、また別の人物ということになるが……と、布団の中に隠れている人物が誰であるかを、真剣に蒼が推理し始めた時だった。
「暗闇の中でも私の気配に気が付くとは、流石は蒼天武士団の団長ですね……それでこそ、私も身を捧げる価値があるというもの……」
「っっ……!?」
自分の存在を気取られたことで開き直ったのか、あるいは、なかなか正体を確認しにこない蒼の様子に痺れを切らしたのか、犯人の方が自ら声を発し、姿を明かしてきた。
掛け布団を押し退け、一糸まとわぬ裸体を曝け出した章姫は、蠱惑的な笑みを浮かべて布団の上で腰を下ろしている。
胸から腹部にかけてのなだらかなラインと、細く美しく艶めかしい脚のラインを見せつけるように体をくねらせた彼女は、小さく笑みを浮かべながら蒼へと話しかけた。
「お待ちしておりました、蒼さま。不肖の小娘の身でありますが、あなたさえよろしければ夜伽の相手を務めさせていただきとうございます」
「……何故? 何の狙いがあって、僕にそのようなことを?」
「ふふふ……よろしいではないですか、そんなことを気にせずとも……! 私では、あなたの食指を動かせませんか? 私の体は、あなたが貪るには物足りないと?」
決して慎ましいとはいえない胸を揺らし、蒼の理性を揺さぶるようにして強調する章姫。
そんな彼女の姿を自分でも意外なくらいに冷静に見つめていた蒼は、僅かに感じた妙な臭いに鼻をひくつかせる。
よくよく見てみれば、章姫の背後では香が炊かれており、この妙な臭いの発生源はそれかと蒼が合点する中、章姫の方は心の中でニヤリとあくどい笑みを浮かべていた。
(気付かれたか。だが、十分に時間は稼げたはず。そろそろ香の効力が発揮される頃合いだな……!!)
炊かれている香には、一種の幻惑作用がある。
それに加えて、嗅いだ者の興奮を引き出す効果や、媚薬のような効果も併せ持っており、この香によって男性の理性を飛ばした後、自分を抱かせるというのが章姫たち紅頬の常勝戦略であった。
蒼が部屋に戻ってくるまでの間に、奥の手である香の匂いは室内に充満させておいた。
ほんの数分、たったそれだけの時間さえあれば、鼻孔から吸い込んだその匂いが蒼の思考を融解させ、意識を混濁させるに十分な効力を発揮してくれるはずだ。
後は自分が、上手いこと彼の欲望を誘導してやればいい。
目の前にある美味そうな女の体を貪り喰らいたいという願望を露出させ、思うがままに肢体を好きにさせながら、章姫の体に溺れさせてやるのだ。
「……さあ、蒼さま。章姫めは、既に覚悟は出来ております」
うっとりとした笑みを浮かべて、ねっとりと纏わりつくような声で、意識を飛ばしかけているであろう蒼へと近付いた章姫が彼に語り掛ける。
無言のまま、こちらに視線だけを向けている蒼の様子に、彼女が任務の達成を確信した時だった。
「蒼く~ん! 夜分遅くに申し訳ないんだけど、ちょっと話があっ、て、ね……?」
ガラリと、蒼の私室の襖が音を立てて開くと共に、若干声を落としたやよいが普段通りの様子で部屋へと足を踏み入れてきた。
蒼に何かしらの用があったであろう彼女は、扉を開いた先に広がっていた光景を目の当たりにして、目を点にして驚きを隠せないでいる。
唐突な第三の登場人物の登場にすわ修羅場かと一瞬の警戒を見せた章姫であったが、やよいが武神刀を携帯していないことを認識し、蒼に香の媚毒が回っていることをやよい自身が知る由もないという状況から考え直し、自分が有利であると認識を改めた。
これはもしかしたら、願ってもない好機かもしれない。
副長であるやよいの蒼への信頼を失墜させられれば、そのまま蒼天武士団の崩壊を導けるかもしれないと……そう、任務達成への道筋を描いた章姫は、香のせいで自分たちの話の内容を理解出来ないであろう蒼の体にもたれかかると、挑発的な笑みを浮かべてやよいへと語り掛ける。
「あら? 申し訳ありませんわね……火急の用でなければ、出直していただけませんでしょうか? なにしろ、今から蒼さまは私とお楽しみになるのですから」
「お楽しみ……? 蒼くんが、あなたと?」
「ええ、そうですわよ。むしろ、この状況を見て、私たちがそれ以外の何をするとお思いですか?」
すぅっ、と人差し指で蒼の首筋を撫で、熱っぽい笑みを浮かべる章姫。
自分と蒼を見つめるやよいに対して、噓八百を並べながら、彼女は騙りを続ける。
「流石は、蒼天武士団を率いる英傑ですのね。蒼さまったら、いい女には目がないようで……熱烈なお誘いをいただきましたの。蒼さま程のお方に斯様にお求めいただいては、私としても折れる他ありませんわ。喜んで、伽の相手を務めさせていただきに参りました」
「……へえ、そうなんだ?」
「ふふふ……! 意外、ですか? 虫も殺さぬような雰囲気の彼も、やはり男ということでしょう。欲を押し殺すことなど出来はしない。目の前に極上の美食がぶら下がっているともなれば、猶更の話です」
何処か冷めたようなやよいの声を耳にして、章姫が笑う。
やよいの中で蒼の評価がガタ落ちになっていることを確信した彼女は、その不信と嫌悪感を煽るようにして醜い言葉を吐き捨てた。
「さあ、そろそろ出ていってもらえませんか? 私たちが楽しい夜を過ごすのに、あなたは邪魔ですから……蒼さまも、そう思いますわよね?」
「………」
「……そっか、わかったよ。蒼くんがそう言うのなら、私はその通りにするね」
沈黙は肯定だと、章姫の言葉を否定しないのは、蒼もまた彼女と同じ思いを抱いているからだと、そう判断したやよいが俯きながら呟く。
まさか、蒼が意識を混濁させていて、何の反応も見せられないのだということに気付いていないであろう彼女の返事を耳にした章姫が勝利を確信した時……顔を上げたやよいが、意味深な笑みを浮かべながらこう言い放った。
「今日は、あたしとじゃなくってその娘と楽しみたいんだね? なら、蒼くんの意志を尊重させてもらうよ」
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