三軍の行方

「………」


 暫し、無言。

 軍議で出た案を纏めた書類を一瞥した蒼が、そこに記された内容を流し読みする。

 

 燈は、彼がそこから答えを出すまで、少なくとも数分の時間は必要だと思っていたのだが……その予想に反して、蒼は即座に口を開くと自分の意見を匡史へと告げた。


「率直に申し上げて、全て下策です。全軍を挙げて行う策ではないかと」


「ほう……? その理由は?」


 大して熟考もせずに答えを出した蒼へと、燈と第三軍の指揮官が驚きの眼差しを向ける。

 だが、匡史の方はむしろ自分たちの考えを否定されたことを喜ぶような表情で蒼へと真意を尋ね、彼の言葉を待っていた。


「この中で唯一実行するかどうかを吟味出来る策といえば、持久策でしょう。味方の損害を減らし、確実に勝利を収めたいというその考えは理解出来ます。ですが、夜襲を受け、手痛い被害を被った直後からこのような守りの策を取れば、周囲からは幕府軍は鬼に臆して手出しが出来ないと思われることは必至。そうなれば将兵の士気は下がり、状況はむしろ悪化するでしょう。故に、実行すべき策ではない」


「……なるほど。では、他の策はどうだ?」


「第二の策、地下を掘って銀華城に続く抜け道を作り上げるという策ですが……現実的な策ではありません。銀華城の周囲には堀があり、それにぶつからないようにするにはかなりの地下を掘り進める必要があります。そこから更に平山城である銀華城の内部に辿り着くためには、上方向にも相当な距離を掘り進めなければならない。気力を用いたとして、人間の力でそれだけの掘削作業を行うには時間がかかりますし、大勢で作業を行えば鬼に露見する可能性も高くなる。支払う労力と成功率が釣り合っていません。よって、却下」


「では、火計はどうだ? この中では最も簡単で成果が得やすい策だと思うのだが?」


「これはお話にもならない。我々の目的は銀華城を落とすことではなく、鬼の手に落ちたあの城を奪還することのはず。それを自ら焼き尽くすような真似をしてどうするのですか。そも、城の内部には逃げ遅れた領民がまだ生きている可能性もある。そのことも憂慮せずにただ城を燃やしてしまえという考えを策として提案した者の神経が、僕には理解出来ませんね」


 すらすらと、立て板に水を流すように論を述べ、全ての策を否定する蒼。

 軍略というものを理解していない燈にも彼の意見が正しいことは判った。それは匡史も同じようで、普段の嫌味なくらいに冷静な姿からは想像も出来ない興奮した面持ちを浮かべた彼は、両手を叩いて蒼を褒めちぎり始める。


「素晴らしい! まったくもって、君の言う通りだ! 実はね、僕もこの策が実行に値しないものだとは気づいていたんだが、君を試すために利用させてもらったんだよ。即座に判断を下せるその聡明さと、目上の人間を相手にはっきりとものを言える度胸は素晴らしいものだ! 流石、悪童虎藤燈を手懐けているだけのことはある」


「……褒め言葉として受け取らせていただきます」


 少し引っ掛かり物の言い方だが、匡史が蒼を評価していることは間違いない。

 遠慮気味に頭を下げる蒼と彼に期待を寄せる眼差しを向けている匡史を見つめながら、燈は口を閉ざして事の成り行きを見守っていった。


「それで、だ……僕としては、君のような人材をこのまま一兵卒としておくには勿体ないと考えているんだ。出来ることならば、我が大和国聖徒会に所属し、僕の側近としてこれからも力を貸してほしい。君は間違いなく優秀な男だ。このまま名もない武士団で腐っていい人間じゃあない。僕の下に来ないか? なあ?」


 そう言って蒼の手を取り、熱烈な勧誘を行う匡史。

 その様を目にした燈は、彼の目的はこれだということを理解する。


 昨日の夜襲や先の軍議での話し合いを経て、匡史は自分の周囲に在る人材に不満を抱いたのだろう。

 自分の周りには、自分の眼鏡に適う人材がいない……総大将である自分に意見出来る人間も、自分と同じレベルで策を考えられる人間もいないと気付いた彼は、新たな側近として蒼をスカウトするために呼び寄せたに違いない。


 一兵卒を側近にまで取り立てようとするその大胆さは評価に値するが、問題はそれを蒼が受け入れるかどうかだ。

 もちろん、彼が燈たちを捨てて匡史の配下に加わるはずもなく、大きく首を振った蒼は自分を求める総大将へときっぱりとした断りの文句を口にした。


「僕のような人間をそこまで評価してくださったことには感謝しますが、僕には仲間たちがいます。僕が共に戦うのは彼らであって、総大将殿ではございません。どうか、お許しを」


「……結成したての名もなき武士団じゃあないか。極小規模の文字通り無名武士団に固執するより、目の前の出世街道を進もうとは思わないのかね?」


「名誉も出世も、僕は求めてはいません。妖の被害に苦しむ人々を救いたい、その想いを共にする仲間と立ち上げた武士団で力を振るいたいと願っているだけなのですから」


「ふぅん……そうか。まあ、君がそう言うのなら仕方がないな。僕だったら迷わずこの誘いに乗るだろうが……結局はそれも個人の意見だしね」


 匡史の表情から、声から、急速に熱が失われていく。

 蒼が自分の勧誘には乗らないと感じ取った彼は、まるで熱中していた玩具に飽きてしまった子供のように興奮を失っていくと共に、再び胡床へと座す。


 そうして、蒼へと視線を向けた匡史の瞳の中には、彼に対する侮蔑の感情があった。

 少しは見所がある人間だと思ったが、結局はお前も燈と同じレベルの人間か……という、無言の罵倒を眼差しによって蒼へと発した匡史は、軽く息を吐くと次の話題へと話を転じさせる。


「蒼、君は優秀な人材だ。君が僕の側近になってくれなかったことは無念に思うが、やはり君をこのまま一兵卒にしておくことは勿体ないが過ぎる。そこで、だ……君も予想している通り、我が軍は再編成が必要な状況になっている。大きな被害を受けた二軍を立て直すために一軍から多少の兵を送るつもりなのだが、やはりそれだけでは足りないことも理解している。そこで、我々はここにいる彼も含んだ三軍の幕府兵を補充のために二軍に送ることを決めた。そうすれば、数としては十分なものが揃うからね」


「……お待ちを。三軍の幕府兵全員を、二軍に送るですって……? では、三軍から減らされた分の兵力はどうなるのですか? それに、指揮官も含めた将兵を他軍に回してしまったら、これから三軍の指揮は誰が執れば――」


「誰がって、いるじゃないか。一兵卒にしておくには惜しい、指揮官にうってつけの人材が……これから三軍の指揮は、その男に任せればいい。僕も実際にその能力を確かめ、安心したからね。何も問題はないだろう」


 そう言いながら、匡史が右手に持つ羽扇を掲げていく。

 ゆっくり、ゆっくりと視線と水平の高さになるまで持ち上げたそれで蒼を指した匡史は、まさかという顔をしている彼に対して意味深な笑みを浮かべると……総大将としての権限を活用した命令を口にした。


「今から君が第三軍の指揮官だ。君の働きに期待させてもらうよ、蒼」

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