匡史と蒼

「失礼いたします。聖川さま、お申し付け通り、三軍の蒼を連れて参りました」


「ああ、ご苦労。ここに通してくれ」


 栖雲に連れられて蒼と共に本陣の幕舎を訪れた燈は、物々しい警備の先で胡床こしょうに座して自分たちを待っていた匡史と対面する。

 一兵卒のそれとは比較にならないくらいに綺麗に飾られた幕舎の中で、羽扇を片手に偉そうにしている彼の姿を見た燈は、その態度に心の中で舌打ちをしながら視線を逸らした。


「ご苦労だった、下がってくれ。……蒼くん、だったかな? わざわざ足を運んでもらって悪かったね。実は、少々気になることがあって、君の話を聞いてみたいと思ったんだ」


 匡史もまた、蒼だけを見て彼に同行している燈には目もくれない。

 招かれざる客人である燈を追い出すために彼に話しかけることすらしたくないという嫌悪感がひしひしと感じられる匡史の様子に顔を顰めた燈は、そこでこの場に自分たち以外にももう一つの気配があることに気が付いた。


「……彼のことは知っているね? 君たち第三軍の指揮を担っている男だ。昨日、鬼たちの夜襲を警戒した君がそれに対する警備の増強を進言したことは彼から聞いている。いったい、どうしてそんな確信があった? 鬼たちが夜襲を仕掛けてくると判断した理由はなんだ?」


 その気配の元である男性を指し、蒼へと話をする匡史。

 昨日の会議の時と比べると随分としょぼくれてしまったその男性の様子と匡史を順に目で追った燈がふんっ、と鼻を鳴らしてから口を開く。


「判断もクソもねえだろ。大勢の命がかかってる場面で気を抜く馬鹿が何処にいるんだよ」


 ちくりと、嫌味。

 誤った判断の末に多くの将兵の命を散らせた匡史をせせら笑って侮蔑の言葉を飛ばした燈へと、鋭い視線が向けられる。


 だが、その言葉に反論してはこちらの負けだと考えたのか、匡史は今まで通り燈を無視すると、再び蒼へと向き直って話を続けた。


「昨日の僕の考えはこうだ。鬼の軍勢およそ五百に対して、我ら幕府軍は三千の兵を揃えている。圧倒的な兵力差を以て銀華城を包囲し、威圧を仕掛ければ、向こうもおいそれとこちらに手出しは出せないだろう。だから、翌日の開戦に備えて行軍で疲れている兵たちを休ませようと考え、夜襲の警備にさほど兵力を割かなかったのだが……鬼たちはその思惑の裏を突いてきた。いったいどうして、奴らはこちらの備えが薄いと判断出来たんだ?」


 兵法書の通りに軍を動かし、陣を配置し、備えを行ったはずだ。

 だが、鬼たちはその裏を突くようにして夜襲を仕掛け、こちらに大きな被害を与えてみせた。


 普通なら、あの状況でいきなり攻撃を仕掛けるとは思えない。

 自分の策の何処に不具合があったのかと、答えの出せない疑問に嵌る匡史向け、蒼が大きく首を振りながら答える。


「いいえ、そういった問題ではありません。鬼たちはこちらが夜襲の備えをしていないから攻撃を仕掛けたのではなく、ただ純粋に戦いたいから軍を繰り出したのですから」


「なに……? どういうことだ?」


「そもそもの部分でお考えください。籠城戦の際、彼我の戦力差が甚大な場合は、硬く門を閉じて外部からの援軍が来るまで耐え忍ぶこと……これは確かに軍略として広く知れ渡っている兵法ですが、鬼たちがこのような定石を知っているとお思いですか? 妖が兵法書を読み、軍の動かし方を学んでいるとでも?」


「むっ……!?」


「……根幹の問題なのです。幾らこちらが兵法を学び、敵の動きを予想したとしても、向こうは常識から外れた動きを見せてくる。当然です、奴らは本能のままに動く妖なのですから。総大将殿は異世界の兵法書を読破し、我々以上の策や軍略を学んでいるのでしょうが……それは、人対人の戦に用いる策でしょう? あなたの旧友であり、僕の親友であるこの虎藤燈からそちらの世界のことは聞いています。あなた方の世界は、妖のような怪異の存在しない、平和な世界だと。ですが、それ故に……あなたたちは自分たちの常識に物事を当てはめて考える癖がある。その結果が、昨日の大敗です」


 蒼の話を聞いている匡史の頬に朱色が差していく。

 遠回しに想像力が足りないと言われていることに腹を立てているのか、あるいは優れていると自負していた自分の頭脳がただの頭でっかちであることを指摘されたことを恥じているのか。

 どちらにせよ、今の匡史の心はざわめき立っていることだろうなと燈は思う。


「非常に好戦的で、強者との戦いに至上の喜びを見出し、戦いの中で死すことを良しとする種族……それが、鬼です。銀華城を落としてから久しく戦いに飢えている彼らが、自分たちの根城を取り囲む人間たちの軍を目にした時、どんな感情を抱くとお考えになりますか?」


「……新しい戦いの相手が来たと奮い立つ、か……」


「そうです。数を頼みにしているだけの、自分たちより弱い人間の軍などに恐れをなす鬼どもではありません。むしろ一刻も早く蹂躙したいと戦いに対する意欲を剥き出しにするはず。総大将殿は開戦は明日だと仰っておりましたが、それは間違いです。少なくとも、鬼たちの中ではこうして軍と軍が対峙した時点で戦は始まっていました。その意識の差が、昨晩に表れたのです」


「教科書通りの動きを意識し過ぎて、相手の感情や思惑を読み取ることを怠った……それが、僕の失敗というわけか」


「あなたのではありません、我が軍の失敗です。この事実に思い至った人間が僕だけとは思えません。あなたの軍略、考えに対して、第一軍の将兵や側近、あるいは各軍の指揮官が意見を述べれば、今の僕たちを取り巻く状況は大きく変わっていたでしょう」


「……周囲をイエスマンで固め過ぎたことも失敗に追加、と……。ふふっ、ここまで手ひどく自分の失態を告げられると、逆に清々しくなってくるよ」


 赤みが引いた頬を緩ませ、自嘲気味に笑う匡史。

 彼のすぐ隣では昨日に蒼の意見を却下した三軍の指揮官がせわしなく顔を青くしたり赤くしたりしており、それを見た燈は思考が感情について来ていないのだと思った。


 自分があの時、蒼の意見に耳を傾けていたならば、多くの仲間たちが死なずに済んだ。

 ある意味では手柄を立てる大きなチャンスであったそれを自ら手放し、逆に大戦犯の一翼を担う形になってしまった自分自身への怒りと状況に対する絶望が、指揮官の心を苛ませているのだろうと、イエスマンなりの苦悩を抱えながら既にどうしようもないのだから仕方がないのだと、そう諦めるしかない彼に不憫さを感じる燈。


 罪悪感と絶望に肩を落として俯く彼の姿に大きく溜息をついた匡史は、目の前の机に置いてある資料を蒼へと差し出すと、彼にこう問いかけた。


「そのまま続けて僕の相談に乗ってほしい。そこに書いてあるのは、つい先ほどの軍議でこの一軍の将が提案してきた策だ。順に、このまま包囲を続けての持久戦、地下に抜け道を作り、銀華城を急襲する策、火計での一気攻勢という案が出た。そのことについて、君の考えを聞かせてくれ」

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