匡史の思惑

「僕が、三軍の指揮官……!? お、お待ちください! そんな、僕がそのような役目に就くなど、とても――」


「そ、そうです、聖川殿!! こやつはまだ若く、経験も浅い何処の馬の骨ともわからぬ武士ですぞ! こいつに第三軍とはいえ、軍を一つ預けるというのは流石に無謀では――」


「君たちが何を言っても僕は考えを変えるつもりはない。蒼、君が三軍の指揮を執れ。基本的な指令は僕が出すが、細部の指示は君に任せる。辞令は追って出すから、そのつもりでいてくれ」


 突然の匡史の決定に、蒼と三軍の指揮官……いや、元指揮官が狼狽して思い直すように彼に詰め寄るも、匡史はすぐにそれを一蹴し、自分の決定を押し通した。

 何の功績もない新人の武士である蒼を取り立て、指揮官の座まで与えた匡史は、話は以上とばかりに幕舎の入り口を警備兵に開けさせると、蒼たちを追い出すように羽扇を振る。


「蒼殿。これが三軍指揮官の証となる割符です。聖川さまの期待を裏切ることのないよう、職務にお励みください」


「………」


 幕舎のすぐ外で待っていた栖雲から割符を手渡された蒼が、無言でそれを見つめて小さく唸った。

 彼女の態度は自分たちをここに連れてきた時とは打って変わった恭しいものではあるが、その言葉の端々に棘のようなものがあることを隠せてはいない。

 

 不意に与えられた責任ある立場に緊張を覚えているとはまた少し違う、複雑な感情を表情に浮かべる彼を一瞥すると、栖雲はその背を押して軽く頭を下げる。

 そうした後、開いたままの幕舎の中に入った彼女は、伝令を終えて羽扇を手で叩いている匡史と向かい合うと、彼に質問を投げかけた。


「何故、あの男を指揮官に? 確かに優秀であることは間違いありませんが、適任は他にもいると思うのですが……」


「ああ、確かにな。同じ武士を指揮官に据えるとしても、あの男よりも場数を踏んだ者もいるだろう。だが、彼を指揮官の座に置くことが、最終的に僕たちにとっての大きな利益になるんだよ」


「それは、どういうことでしょう? あの男が、我々に利益を……?」


「ふ、ふふ……つまりはこういうことさ、栖雲……」


 何が何だか判らない、といった様子の巫女に意味深な笑みを浮かべた匡史が、大胆な抜擢の裏に隠された真の目的を語り出す。

 彼の口からその思惑を聞いた栖雲は、やや困惑した表情を浮かべると共に、ほんの少しだけ蒼に対する憐憫の情を抱くのであった。









「お前が失敗することを願ってる? 聖川の奴が!?」


「ああ、そうだよ。十中八九、彼の思惑はそこにある」


 三軍の陣地に戻る道すがら、突然の大役を与えられた蒼を激励していた燈は、彼の口から信じられない事実を聞いて驚きに眼を見開きながらそう叫んだ。

 彼のその反応とは逆にひどく沈鬱な表情を浮かべた蒼は、驚愕する燈に向けて匡史が何を考えて自分に第三軍の指揮を任せたのかを説明し始める。


「わかりやすく言えば、僕は目を付けられたんだ。君と同じだよ、燈。彼は僕にこれ以上手柄を立てることを回避させつつ、責任ある立場に就かせて僕が失敗した時にそれが周囲にわかりやすくしたんだ。多分、これから向こうは嫌がらせをしてくるだろう。そこで第三軍に不和が生まれれば……それは全て、指揮官である僕の責任となる。彼の狙いはそれさ」


「なんでだよ? 別々の部隊とはいえ、俺たちは同じ軍の仲間のはずだろう? 今、最も損害を抑えられてる第三軍はこれからの戦で大きな力になるはずだ! それに嫌がらせして、何になるってんだよ!?」


「僕の手柄を相殺出来る。僕が何かしらの失態を踏めば、夜襲を予知して鬼の将を討ち取ったという栄誉を目減りさせることが出来るだろう? ……嫌なんだよ、彼は。僕が、このまま一番手柄を立てた人間として戦が終わるのが」


「はぁ……?」


 まるで理解が出来ないと、燈の表情と声は語っていた。

 何処までも真っ直ぐな彼にはそのままであってほしいと願いながら、蒼は詳しく説明を行う。


「前に話しただろう? 幕府にとって、この戦は総大将である聖川匡史の華々しい初陣として語り継がれるべきものなんだ。つまりは彼の手腕を以て勝利を治め、一番手柄としての栄誉を彼が手にしなくてはならない。だが……」


「聖川の奴は初っ端に大ポカをやらかしちまった。鬼どもへの警戒を怠って、いきなり自軍に大打撃を与えちまったわけだ。逆に、昨日の戦いで大きく評価を上げたのが――」


「そう、僕だ。文字通り、僕と彼の間には今、天と地ほどの評価の差がある。陣中ではそんな雰囲気は漂っていないが、陣外から状況を読み取れば総大将である聖川殿の責任と失態はあまりにも大きなもののはず。このままじゃ、自分たちが思い描く初陣とはならない。普通に戦って、普通に勝ったとしても、元々の戦力差を考えれば大きな手柄とはいえないんだ」


「だから味方の足を引っ張って、わざと失敗させようとしてるっつーのか!? あり得ねえだろ、そんなの! それで戦に負けたらどうするつもりなんだよ!?」


「負けないよ、絶対。どう多く見積もったって、三軍の兵士たちは五百を下回る人数に抑えられるだろう。夜襲の被害報告から弾き出された幕府軍の残り人数はおよそ二千と七百。そこから僕たち三軍の五百名を引いたとして、残りは二千以上残ってる。対する鬼たちも多少は昨日の夜襲で死者が出たから、総勢は四百と五十くらいに減っただろうね。両軍にはおよそ五倍の差があるわけで、この差をひっくり返すのは容易じゃない。今回のような奇襲が何度も成功すれば話は別だけど……総大将殿もそこまで間抜けじゃあないだろうさ」


 ふう、と大きく溜息を吐いた蒼が足を止める。

 その瞳には諦めの色が浮かんでおり、嫌々といった様子で首を振った彼は、燈に向けてこれから自分たちを待ち受ける事態を滾々と語り始めた。


「……おそらく、嫌がらせは兵の配置換えの段階から始まるよ。三軍から元気な幕府の兵たちが他の部隊に回される代わりに、一軍と二軍からは昨日の戦いで負傷してまともに動けない武士たちが補充人員として送られてくる。食料や医療品なんかも満足に与えられず、前線にも駆り出されずに本隊の活躍を後方で指を咥えて見てるだけの役目を押し付けられて……そうやって、僕たち三軍は終戦を迎えるんだろうさ」


「んだよ、それ……!? そんなことされてまともに戦おうって思う奴がどこにいるってんだ!? そんなふざけた扱いされるなら、とっとと戦から引き揚げちまっても何も変わらねえだろうが!」


「脱走兵が出たら僕の責任になる。食料を求めた三軍の部隊員が近くの村で略奪をしても僕の責任。前線に出ない代わりに与えられる下らない雑用を満足にこなせなくても僕の責任。……そして、何の問題もなく仕事をこなして終戦を迎えたとしたら、その手柄は意気揚々と僕を抜擢した聖川殿が持っていくんだろうね」


「八方塞がりじゃねえか! あのがり勉野郎、そんな狡い考えでお前を三軍の指揮官にしたってのかよ!? だぁ~っ! 畜生! 蒼、何かねえのかよ!? この状況をひっくり返せる、一発逆転の手とかさあ!」


 激憤と共に匡史へと怒りの咆哮を上げた燈は、あの嫌味な生徒会長をぎゃふんと言わせる方法がないものかと思案しながら蒼へと案を求めた。

 自分より賢く、状況を正しく見ている彼ならば、何か良い策を思い付いているのではないかと期待して蒼へと視線を向ける燈であったが、そこで、彼が普段とは違う雰囲気を纏っていることに気が付く。


「……指揮官? 僕が? 何でだ? 僕は……!!」


「蒼……?」


 多分、きっと……今の蒼は、燈がこれまで見てきた彼の表情の中で、最も苦しくて辛そうな顔をしていた。

 損な役回りを押し付けられたことを嘆いているのではない。大軍の中に在るのに孤立している自分の境遇が辛いわけでもない。


 本当に、純粋に、を心の底から嫌悪しているような、そんな雰囲気が今の蒼からは感じられる。


「蒼、その……平気か? 顔色、あんまし良くねえぞ」


「……大丈夫さ。こうなった以上、総大将である聖川殿の決定には逆らえない。僕は自分の出来ることを精一杯やるだけだよ」


 嘘だ、と燈は蒼の言葉を聞いて思った。

 彼の言葉の大半は真実で、全力を尽くして指揮官という役職を務めようとしていることは間違いがない。

 ただ一点、大丈夫という言葉だけが嘘であることを、彼とそれなりに長い付き合いとなった燈は見抜いていた。


「……なあ、蒼。俺はお前のこと、親友で相棒だと思ってるよ。今まで何回も助けられたし、世話にもなってきた。だから、お前が困った時には俺が助けになってやりてえけど……今は、俺が出来ることはねえんだよな。少なくとも、お前の愚痴聞き役には不適格ってことだろ?」


「……そんなことはないさ。そもそも僕が愚痴を吐こうとしていないだけであって、燈のことは本当に頼りに――」


「見え見えの嘘つくんじゃねえよ。何でもかんでも一人で抱えようとするとこ、お前の悪い癖だぜ。今の俺から見ても、お前が結構いっぱいいっぱいになってるのはわかるんだからよ。見栄張ったりすんなよ、友達だろ?」


「……ごめん」


 小さな謝罪の言葉を呟き、蒼が視線を逸らす。


 決して彼が燈のことを頼りにしていないということはないのだろう。

 だが、兄弟子としての立場がある以上、親友ではあるが弟弟子でもある燈の前で情けない姿を見せられないという想いがあることも確か。

 その見栄のようなものと、元来の自己犠牲精神が組み合わさった結果、今の蒼は素直に誰かに自分の弱みを見せられないのだろうなと考えた燈は、吸い込んだ息を大きく吐き出してから、提案を口にした。


「よし、わかった! 俺には愚痴れねえっていうのなら、その役目に相応しい奴を連れてきてやる。お前はそいつに思いっきり愚痴って、頭撫でてもらって、何だったら胸の中でわんわん泣いて甘えちまえ。そうすりゃ、ちったあ抱えてるモンも軽くなるだろうさ」


「いや、僕は別にそんなことを望んじゃ――」


「お前が望んでなくても、俺が望んでんだよ! いつまでも親友に暗い顔されてちゃ、こっちも気が気じゃねえからな。今の俺に出来るのはそんくらいのことなんだから、黙って好意は受け取っとけ。それとも何か? お前は俺の精一杯の心遣いも受け取れねえ薄情者だってのか?」


「……狡いよ、その言い方。断れなくなるじゃないか」


「我らが総大将さまに比べちゃまだまださ。とにかく、お前も少しは他人を頼れって!」


 蒼へとその悪癖を伝えながら、陣地への歩みを再開する燈。

 ほんの少しだけ明るさを取り戻した親友の様子に多少の安堵を感じた彼は、蒼の心の奥に潜む暗い感情を吐露させられそうな唯一の知り合いの姿を頭に思い浮かべ、彼女に全てを託すことを決めて拳を握り締めた。

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