蒼刃一閃
「その意気やよし! 見事この首を討ち取り、手柄としてみせろ!!」
蒼との真っ向勝負に出た牛銀は、鬼の強靭な膂力と高い上背を活かした振り下ろしを繰り出した。
真上から、その肉体を叩き潰す勢いで野太刀を振るう牛銀。
防げども圧倒的な力によって蒼を肉塊へと変えるか、あるいは細身の刀をへし折って脳天から真っ二つにその体を斬り裂いてやるか。
その二つに一つの結末を一騎打ちの相手に用意する牛銀であったが、蒼はその一撃を難なく受け流してみせた。
「ぐっ!? なにぃっ!?」
刃は、間違いなく蒼の武神刀に触れた。
だが、敢えて軸をずらして今の攻撃を受けた蒼の技術によって、振り下ろしの軌道はほんの僅かに逸らされ、彼の真横を通って地面へと叩き付けられるだけに終わってしまったのである。
「ぬぅううううっ!!」
続け様に、振り上げ。
今度は下から胴を横に斬り裂くように、斜め上へと野太刀を振るう牛銀。
されど、その一撃は勢いに乗る前に『時雨』によって受け止められ、体格では圧倒的に勝る牛銀が人間である蒼に完全に抑え込まれるという異様な光景が作り出されてしまう。
「しっっ!!」
「ぐぶぅうっ!?」
そこから膠着状態に陥る前に、蒼が蹴りを牛銀の腹に喰らわせた。
重く、臓腑に響く痛みに悶え、よろよろと後退った彼は、鬼の中でも実力者であるはずの自分を圧倒するこの人間の強さに戦慄を覚える。
(何だ、こいつは!? 俺は、何と戦っているんだ!?)
全霊の力を込めて太刀を振るえど、その軌道は容易く逸らされ蒼の体にかすりもしない。
数多の武士たちの刀をへし折り、肉体を叩き潰し、猛烈な腕力、膂力で全てを屠ってきた牛銀にとって、その武が通じないこの敵には異質以外の感情を抱けなかった。
海だ、と彼は思う。
自分が戦っているのは、人の形をした海なのだ。
どれだけ力を込めて海面を叩けど、飛沫が跳ねるばかりでその芯に一撃が響く様子はない。
全力で追えど引く波には追い付けず、反転して押し寄せる波に飲まれれば最期。底知れぬ海中へと引き摺り込まれ、どれだけもがいても浮かび上がることは出来なくなる。
広く、深い。何を繰り出しても通用する気がしないし、痛打を与えられる様子が想像出来ない。
まったく……自分は、とんだ果報者だ。
最後の最後でこんな強者と出会えた自分の僥倖に感謝しながら、闘争本能を漲らせた牛銀が限界を超えた腕力を込め、空気を爆発させん勢いで野太刀を振るう。
死など、今更怖くなかった。
鬼にとって、戦いと殺戮は何にも勝る娯楽であり、自分たちに生を感じさせてくれる最高の時間。
その最中に命を落とせるというのなら、これ以上の幸福はない。
しかも、相手はこれまでの戦いの記憶を辿っても比肩する者がいない程の化物染みた剣士だ。
殺しても殺されても、黄泉の国での自慢話になろう……と、避けられぬ死を背負った者とは思えないほどに愉快さに満ちた笑みを浮かべた牛銀は、爆発的な咆哮を上げながら蒼へと斬りかかった。
「ぐおぉおおおぉおおぉおッッ!!」
気合。殺意。眼光。咆哮。妖気。
自らが持ち得る全てを使い、蒼を居竦ませるためだけの威圧感を放ち、彼へと突貫する牛銀。
ほんの僅かでも良い。相手の動きが少しだけでも狂えば、自慢の腕力を活かした一撃で蒼を肉塊と屠ることが出来るはず。
怯えろと、緊張に竦めと、戦いの中で生み出される重圧に屈して、算を乱せと……蒼の動きに鈍りを齎す何かを作り上げようとした牛銀は、正眼の構えを取る彼の姿にはっと息を飲んだ。
「すぅぅぅぅ……っ!!」
重く、苦しく、猛火のように精神と肉体を焦がす牛銀の威圧に対して、蒼は一切気を乱すことなく呼吸を行っている。
すぐ近くに転がっている第三軍の指揮官が意識を失ってしまう程の気当たりを浴びても、彼には全く動じる気配が無い。
静かに息を吸い、待つ。
鞘に納めた『時雨』の柄を握り、眼差しだけを牛銀に向け、居合の構えを見せる彼が自分との真っ向勝負に臨もうとしていることを理解した牛銀の口元に、興奮の笑みが浮かぶ。
怯えないのか。竦まないのか。
力も体格も自分を上回る相手に対して、気後れなど見せずに正面から斬り合おうというのか。
躱すべきだ。防ぐべきだ。
何とかして正面衝突を避け、少しでも自分の優位な状況を作り上げて勝負に臨むのが、鬼と戦う際の人間の戦術のはずだ。
なんとも愚かで、無謀な戦い方。
だが……それが、この上なく自分の心を奮い立たせる。
勝ちたい、この男に。
自分と相対しても決して怯まず、真っ向から向かってくるこの剣士の全力を上回ってみたい。
これが最後の戦いだというのだから、やはり自分は幸せ者だ。
この男を打ち破り、至上の幸福を抱いて冥途へと旅立たんと、両手で野太刀の柄を握った牛銀は、唸りを上げながら蒼との最後の斬り合いに臨む。
「ルオオオォォオォォオッッ!!」
刀を振るう腕力に地面で踏ん張る脚力、そして全身の動きを支える膂力。
文字通り、全身全霊。全力で放つ正面からの袈裟斬りは、空を裂く唸りを上げて蒼の体へと突き進んでいった。
まるでコマ送りの映像のように、決着までの光景が目に映っている。
間違いなく、この攻撃は自分の全てを注ぎ込んだ最高の一撃だ。触れる者全てを破壊する、強力無比な一撃のはずだ。
だが……どうしてだろうか? 自分が勝つ姿が、全く思い浮かばないのは。
この一撃が、刃が、蒼に届くイメージがまるで湧かない。こんなに近くにいる彼に、自分の攻撃が届く気がこれっぽっちも感じられないのだ。
(ああ、畜生……)
全てがゆっくりとした空間の中で、何もかもが遅々として動かない風景の中で、ただ一つだけ動くものがあった。
腰に差す『時雨』を引き抜き、鞘走りの勢いを乗せた刀が自分の野太刀をへし折りながら迫る様を、牛銀は一コマも見逃さずに双眸に納めている。
疑いようはない。言い訳も出来ない。
真っ向から、正々堂々と……自分は、負けた。
何処か清々しい思いすら抱きながら、自身の敗北を受け止めた牛銀は青く輝く刃をその身に受ける瞬間、楽しそうに笑ってみせた。
「見事……! 俺を倒した貴様の名、覚えておくぞ……!!」
死ぬというのに、討ち果たされるというのに、どうしてこんなに楽しく笑っていられるのか?
決まっている、それが鬼という種族の生き方だからだ。
太く、筋肉が詰まった牛銀の首に刃が食い込み、骨ごとそれを断ち切ったところで、彼は痛みや絶望に苦悶したりはしない。
たとえ命を刈り取られ、胴から頭を切り離されたとしても、その笑みが消える消えることはついぞなかった。
ゴトン、と牛銀の首が転がる。
最期の最期に出会えた好敵手を見上げるようにして足元に転がってきたそれを一瞥し、気力で作り出した水と鬼の血が滴る『時雨』からそれらを払った蒼は、手柄首を手にし、自分が殺めた鬼の目を見つめながら彼へと賞賛の言葉を贈った。
「僕も、あなたの名は忘れはしない。仲間のために一秒でも時間を稼ごうと、自らの命を賭して敵陣に斬り込んだその勇気、鬼の身なれど天晴でした……!!」
小さく、頭を下げる。
討ち果たすべき妖に対して敬意を払うというのは、武士としてすべきことではないのだろう。
だが、それでも……牛銀と刃を交わらせた蒼は、彼を見下すことは出来なかった。
仲間のために命を懸け、最後まで自分の矜持に従って命を落とした好敵手を賞賛しながらも、今はその死を利用させてもらわねばと唇を噛み締める蒼。
高く、高く……討ち取った首級を掲げながら、この戦場全体に響くような大声で、彼は自分自身の武功と鬼たちへと挑発の言葉を叫んだ。
「聞こえるか、外道なる鬼の軍勢ども!! 我々を襲いに来た貴様らの将、
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