終わって前を向いて、お尻どーん

 一息に慣れない罵倒の言葉を叫んだ蒼は、早まる心臓の鼓動を抑えるようにして深く息を吐く。

 これで自分個人が出来ることは全てこなしたはずだと、頭の中でこれまでの行動とこれからの算段についてを整理する蒼の肩を小さな手が叩いた。


「お疲れ、蒼くん。少しだけ落ち着けるね」


「そうも言ってられないよ。敵を退けさせられたのは三軍の陣地だけだ。こちらに余力が出来たのなら、本陣と第二陣にも援軍を送らないと……」


「それなら大丈夫だよ! あたしが指示出して、どっちにも人を送っておいたからさ!」


 強敵との立ち合いを制してすぐの疲弊した状態で次の指示を出そうとする蒼に対して、彼の意志は汲み取ってあるとばかりに笑うやよい。

 驚いたような表情を浮かべる蒼に対して、やよいは答え合わせをしてもらう学生のように自分の出した指示を彼へと告げる。


「本陣の方は腐っても主力が集まってるからね。栞桜ちゃんを含めて何人か余裕がありそうな武士を送っといたから、それで何とかなるでしょ。そろそろ指揮系統も復帰してる頃合いだろうしさ」


「……二軍の方は? あっちはかなり被害が出てると思うけど、どれくらいの戦力を送ったの?」


「燈くんと涼音ちゃんだけ。無理だよ、あたしたちの戦力だけで二軍の崩壊を防ぐなんてさ。二軍が立ち直るには、まずは人数の余裕がある本陣が体勢を立て直さなして、そこから援軍を送るって手順を踏まないとどうにもならないでしょ? あたしたちに出来るのは、それまでの時間稼ぎくらいのもの。あの二人なら大勢を相手するのは得意だろうから、被害を抑える活躍くらいはしてくれると思うよ」


「……確かにあの状況の二軍を助けるとしたら、三軍の全戦力を投入しないとどうにもならない、か……」


「そんなことしたらここの陣地が取られて、武器や食料が奪われちゃうもんね~! ……一応言っておくけど、それを覚悟で二軍を助けに行くだなんて駄目だからね? 蒼くんが優しいのは知ってるけど、そんなことされたら結果としてこっちの被害が広がっちゃうから」


「……ああ、わかってるよ。ここは、燈と涼音さんに期待するしかない……それしかないんだ」


 ぐっ、と拳を握り締めた蒼が、自分自身に言い聞かせるように同じ言葉を口ずさむ。

 やよいの判断は的確で、理に適ったものだ。半壊している二軍の陣地に大勢の兵を送れば、同士討ちの危険性や守勢の減った三軍の陣地の被害が拡大する恐れがある。

 腕前を信頼出来る少数精鋭の兵を送り、本陣からの援軍が来るまで持ち堪えることに全力を尽くす……まず間違いなく、今の自分たちが打てる手としては、最上に近い判断をやよいは下してくれた。


 それでも、今も鬼たちに蹂躙されているであろう兵士たちのことを考えると、何とかして彼らを救いたいという想いが込み上げてくることも確かだ。

 軍団に指示を出す権限を持ち合わせていない自分がこんなことを考えること自体がおかしな話だが、何か自分に出来ることがあるのではないかという考えが齎す胸の苦しみに歯を食いしばった蒼に向け、笑顔交じりのやよいの声が響いた。


「……でも、やっぱり蒼くんは優しいね。あの勝ち名乗り、わざと強い言葉を使ったでしょ?」


 ぴくっ、と体を震わせ、再び驚いた表情をやよいへと向ける蒼。

 彼の考えなど全てお見通しだとばかりに悪戯っぽく笑ったやよいは、先の蒼の行動の真意について語り出す。


「自分たちの指揮官がやられたってことを知った鬼たちがこれから取る手段は大まかに分けて三つ。一つ、これ以上は状況不利と見て素直に撤退する。二つ、死ぬのを覚悟で取り合えず現在地点で暴れるだけ暴れて、あたしたちに出来る限りの損害を与える。そして三つ、指揮官の仇である蒼くんに突貫して、恨みを晴らす……現状の幕府軍でいったら、二番目の選択が最もやられたら困ること。蒼くんはそれを防ぐために、敢えて鬼たちを挑発して気を引いたんでしょ? 自分の所に鬼がくれば、本陣と第二陣の被害がある程度抑えられるから……違う?」


「……怒らないのかい? 僕の行動のせいで、鬼の軍団がここに殺到するかもしれない。燈たちを他の陣地に援軍として送った今、大量の鬼たちの相手をするとなると本当に苦しい戦いになるはずだ」


「敵がここだけを集中して狙ってくれるならそれはそれで楽だよ。一軍と二軍が背後を突けるようになるじゃん。ま、ここに残るあたしたちはかーなーり厳しいことになるだろうけどさ……仕方ないよね、戦いってそういうものだもん」


 肩を竦めて、捨て駒になるのも致し方ないとこともなげに言うやよい。

 自分の勝手な行動に彼女や自分に協力してくれた武士たちを巻き込んでしまう心苦しさに表情を顰める蒼であったが、そんな彼をやよいが小さな声で咎める。


「胸を張りなよ。あなたは、正しいことをした。あなたの判断のお陰で助かる命は沢山あるはずだし……ほら!」


 そう、自分の行動に迷い続ける蒼を肯定した後、やよいが陣の外を指差す。

 そこには、状況不利と見て撤退の判断を下した鬼の軍勢が銀華城へと逃げ帰っていく様が見て取れた。


「蒼くんが事前に夜襲に対する警戒を強めた上で鬼の将を討ち取ったから、ああして鬼たちを退かせることが出来たんだよ。被害も格段に抑えられたはずだし、三軍に限って言えば人的被害はほぼ零に出来たんだから、よかったじゃない!」


「……ああ、そうだね。でも……」


 判っている、やよいが本心から自分を励まし、褒めてくれていることは。

 確かに夜襲を警戒し、他の武士団の信頼と協力を得た蒼の指示のお陰で第三軍だけでなく、全軍の被害は格段に軽減出来たことは事実だ。

 しかし、被害をなくせたわけではない。第三軍の被害も、決して皆無などではない。


「っ……」


 ちらりと、横目で燃え盛る幕舎とその周囲に転がる幕府軍の兵士たちの亡骸を見る。

 自分がもっと上手くやれば、武士団だけでなく彼らもこの作戦に協力してくれたのではないだろうか?

 そうすればもっと被害を抑えることが出来ただろうし、もしかしたら本陣や第二陣も同じく夜襲への警戒を強めてくれたかもしれない。


 もっと、もっと、自分が上手くやっていれば……死ななくていい人間を、救えたかもしれない。

 そんな思いに苛まれ、拳を硬く握ると共に掌へと爪を食い込ませていた蒼は、傍らから聞こえる落ち着いた声にぴくりと反応を見せた。


「はい。お尻、ど~ん」


 こつんと腰を叩くようにして蒼へと勢いのないヒップアタックを繰り出したやよいは、こちらへと視線を向けた彼に対して諭すように優しい言葉をかける。


「数えるのは、救えなかった命じゃないよ。あなたのお陰で救われた命に目を向けなよ、蒼くん」


 そう言いながら、やよいが握り締められた蒼の拳を手に取り、それを開いていく。

 少し大きな、誰かの手を掴むためにあるその手に自分の掌を重ねた彼女は、改めて蒼の目を見て、真っ直ぐに言った。


「いっぱいあるよ、あなたが救った命は……だから、俯かないで。そうじゃなきゃ、あなたを信じる人たちも悲しくなっちゃうから」


「……うん、そうだね。わかったよ、やよいさん」


「うんうん! それでよし! それじゃあ、取り合えず消火と荒らされた陣地を立て直すことから始めようか! 被害の確認とか報告もしなきゃいけないし、やることは山ほどあるから、頑張っていこ~!」


 底抜けに明るく、蒼の中の不安を消し飛ばすように笑うやよい。

 そんな彼女に少しだけ前向きにしてもらった蒼は、小さなその手を握り締めると呟く。


「……ありがとう、やよいさん」


「……ん! どういたしまして!」


 深く心を込めた感謝の言葉にほんの少しだけ頬を染めながら、やはりやよいは笑顔で蒼へと言葉を返すのであった。

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