少し時間を巻き戻して、第三軍の陣



「……始まったか。では、こちらも動かねばな」


 本陣への急襲を告げる鬼の咆哮を耳にした鬼の将《牛銀》は、部隊に指揮を下し、第三軍の陣地へと自らも攻撃を仕掛けた。

 申し訳程度に立つ警備兵を瞬殺し、一気に陣地の中に雪崩れ込んだ牛銀部隊は、点在する幕舎へと火を放ち、本陣、第二陣と同じような地獄絵図を作り上げる。


「な、な、な、なんだっ!? て、敵襲か!? 警備の兵は何をしていたんだ!?」


「おう? あれがこの軍の指揮官か。何が起きてるかわからないって感じの泡食った顔してるな」


 そうして、所々に火の手が立ち上る陣営を唖然とした様子で見つめる豪華な鎧を纏った武士の姿を目にした牛銀は、それが第三軍の指揮官であると当たりをつけて部下へとその首を持ち帰るように指示を出した。


「おい、誰でもいい。あの男の首を持って来い。兄者へのいい土産になる」


「ははっ! では、僭越ながらこの私めが……!」


「抜け駆けをするな! 俺が一番人間を殺して手柄を立てるんだ!」


「くくくっ! そんな言い争いをしてるから出遅れるんだよ! 殺すなら殺すで、早い者勝ちだろうが!!」


 牛銀の合図を受けた鬼たちの中から功名心の高い三体が声を挙げると、我先にと指揮官の下へと突撃していく。

 混乱に陥った陣の中には彼らと進撃を阻む者はおらず、野太い歓声を上げて自分へと殺到する鬼の姿を目にした指揮官は、表情を引き攣らせてその恐怖に怯え竦んでしまった。


「ひ、ひぃぃっ!? だ、誰か! 奴らを止めないか! 指揮官の危機だぞ! どうにかしろっ!!」


「ぎゃははははははっ! 情けねえ! 自分が武器を取って戦おうとはしねえのかよ!?」


「こいつ、本当に一軍を率いる将か? どう見ても器量不足だが……」


「何だっていいさ。抵抗する奴もそうじゃない奴も全員殺す。男でも女でも子供でも、殺せる奴は皆殺しにする! そういう生き物だろう? 俺たちってのはよ!!」


「ひいいいいいっ!?」


 鉈のような形をした刀を振り上げた鬼が、狂気と愉悦に満ちた瞳に指揮官を映す。

 理由も、理念も、相手も関係ない。ただ自分たちが楽しむために、潰せる命を無残に叩き潰す。

 鬼としての本能に従い、目の前で腰を抜かした哀れな男の命を摘み取ろうとした彼であったが……突如として、その動きが止まり、ぴくりとも体を動かさなくなった。


「む? どうした? 何が――」


 人殺しに躊躇いなぞ感じるはずのない仲間が、その楽しみを目の前にして不意に動きを止めたことを他の二体の鬼が訝しむ。

 次の瞬間、ごとりと音を立てて指揮官へと襲い掛かった鬼の右手と首が地面に転がる様を見た彼らは、目を見開いてこの異常事態に備えようとしたのだが……。


「がぐっ!?」


「がはあぁっ!!」


 ……既に、その対応は遅すぎた。


 胴を薙ぐ一閃と、頭から股までを真っ二つに叩き斬る唐竹割り。

 一瞬の内に連続して繰り出された刃を受けた彼らもまた、先に倒れた仲間と同じ物言わぬ死体となって指揮官のすぐ近くに転がる。


「なんだと? 奴め、いったい何をした……!?」


 配下の鬼たちが仕留められる様を目にしていた牛銀は、驚愕の呟きを漏らすと共に鋭い眼差しを三軍の指揮官……ではなく、そのすぐ近くにある人の気配がする空間へと向けた。


 腰を抜かしてへたり込んでいる指揮官が、あれほどの神業を見せられるはずがない。

 自分の部下を始末したのはそこにいる何者かであると、そう理解している彼が鬼の優れた視力を用いて闇に潜むその人物の姿を見つけ出そうとした時、背後で巨大な火柱が立ち昇る。


「ぐぅっ……!?」


 最初は、仲間が放った火が武器庫か何かに燃え移り、そこにしまわれていた火薬や何かに引火して、大きな爆発が起こったのだと思った。

 その考えが間違っていたことに気が付いたのは、自分のすぐ横を見知った顔の鬼たちが黒焦げになって転がっていく様を目撃したから。


 並みの炎では火傷一つ負うはずのない鬼の体を焼き焦がし、屠る程の爆発。

 それが偶然ではなく、人為的に引き起こされたのだと確信した牛銀が背後を振り向き、そこに広がる光景を目にすれば、絶望感によって彼の喉から蛙が潰されたかのような呻き声が漏れた。


 自分たちが攻め入ってきた陣営の門を塞ぐように立つ、無数の武士たち。

 その中心には巨大な火柱を手にした男が鬼にも負けない獰猛な笑みを浮かべ、犬歯を剥き出しにしてこちらを睨む姿がある。

 退路を塞がれた、と牛銀が考えた時、彼らをより危機的な状況に陥らせる女の声が暗闇の中に響いた。


「全軍、焦らずに味方と共に包囲網を縮めて! 数は確実にこちらが上だから、鬼一体に対して二人以上でかかれば損耗を抑えて敵を討ち取れるよ!」


「おおーっ!!」


 まだ幼い少女のような声に続き、男たちの野太い歓声がこの場の空気を震わせる。

 牛銀が周囲を見回してみれば、奇襲を仕掛けていた仲間たちが次々と集団で襲い掛かってくる人間たちの連携の前に敗れ去り、討ち取られる光景が目に映った。


「牛銀さま! これは……!?」


「……してやられたわ。敵を嬲り殺しにするつもりが、袋小路に追い詰められたのは我らの方というわけか!」


 ぎりり、と唇を噛み締めて屈辱に血を零す牛銀。

 敵は、こちらの奇襲を予想していた。最初は敢えて混乱しているふりをして、自分たちが相手を蹂躙しようと前のめりになったところで温存していた兵力を繰り出し、敵の背後を突くと共に退路を断って孤立させる策を講じていたのだ。


 殺戮の愉しみに血を躍らせた結果が、この様か……と、自分自身の不覚を悔やみながらも、そのことに気を囚われている暇はない。

 今、この部隊の将として自分のすべきことは、一体でも多くの仲間を死地から帰還させる方策を練ることだ。


「命令だ……貴様らは一直線に敵の防御網を突き抜け、城の中に帰還しろ。俺は、すべきことをする」


「ぎゅ、牛銀さま!? 何をお考えに――」


 側近の言葉も聞かず、牛銀は駆けた。


 敵の策にまんまと嵌り、預かっていた多くの仲間たちの命を散らせた今、おめおめと自分だけが逃げ延び、生き長らえるつもりはない。

 逃げる背に矢を射られ、屈辱と傷を背負って生きるくらいならば、華々しく命を散らせるが本望。

 鬼という生物がその命を終わらせるのならば、戦いの中で最期まで暴れまわることこそが本懐。


 自分が往くべきは退くための路ではない。

 前へ。敵の中枢へ。例えこの命が潰えようとも、相打ちとして敵の喉笛を噛み千切る活躍を見せるまで、と……野太刀を手に、三軍の指揮官へと斬りかかった牛銀は、死を覚悟しながら敵の指揮系統の一角を崩すべく、無謀な戦いに挑む。


「その命、貰った!!」


 指揮官は、今度は悲鳴を上げることも出来なかった。

 熊と見間違う程の巨体を誇る鬼が、殺気と威圧感を剥き出しにして自分に迫ってくるのだ。気当たりに対する耐性が無い者であれば、その時点で戦意を失っていてもおかしくない。


 そうやって、完全に意識を手放している指揮官に対して、振り上げた太刀を繰り出さんとする牛銀。

 振るった刃は側面から指揮官の首を狙い、頭と胴を泣き別れにせんばかりに力強い一刀を繰り出す彼であったが……その一撃は、間に割り込んだ何者かによって防がれ、本来の標的に炸裂することはなかった。


「やはり、来るか……!! そうこなくてはなっ!!」


 先ほど、自分の部下たちを屠った何者かが割り込んで来ることは予想していた。

 その仇を討ち、指揮官をも討ち果たし、壮絶な最期を遂げることを目的とした牛銀は、煌々と燃え盛る炎によって照らし出された宿敵の姿を見て、唸るように問いかける。


「我が名は牛銀! 鬼の軍勢を率いる大将 金沙羅童子きんしゃらどうじの弟にして、副将である! 人間よ、貴様にこの俺と立ち合う栄誉を与えてやろう! 死出の道を逝く前に、名を名乗れ!!」


 武神刀を手に、自分と相対する剣士。

 彼の発する気が、鋭い眼差しが、びりびりとした痺れを感じさせてくる。


 間違いない、こいつは手練れだ。

 その首を取る者として、あるいは、彼に討ち取られる側の存在として、一騎打ちの前にその名を尋ねた牛銀に対して、彼もまた礼を尽くした言葉を返した。


「鬼の副将との一騎打ちの栄誉、ありがたく受けさせていただく。我の名は蒼。全身全霊を以て、お相手仕ろう!!」


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