奮起、第三軍

 その声を合図として、本陣に火の手が上がった。

 いや、本陣だけではない。銀華城を取り囲むように設営された三つの陣のそれぞれから、夜襲を受けた証である火の手が上がっている。


 夜襲が来るはずがないと、万が一のために見張りも立てているのだから問題はないと、そう、油断し切っていた兵士たちは奇声を上げて雪崩れ込んで来る鬼たちの軍勢を前に、恐慌に陥ったまま次々と成す術なく討ち取られていった。


「う、うわあああっ! 助けてっ! 助けてぇっ!!」


「に、逃げるなっ!! 敵の数は我が軍の半分以下ぞ! 恐れず本陣を守って戦わんかっ!!」


「戦えって言われても……こんな混乱の中じゃ、まともに戦うことなんて出来っこな、ぐげぇっ!?」


 狂乱状態になって逃げ惑う者。どうにか奇襲に対応し、部下や仲間たちに戦うように指示を飛ばす者。

 それらの統制が全くといっていいほどに取れていない本陣は大混乱に陥り、まともな抵抗も出来ないまま鬼たちに蹂躙されていく。


 小鬼たちの爪に喉を裂かれ、人間を超えた腕力で首を捻じ切られ、ばらばらの肉片となるまで叩き潰される。

 阿鼻叫喚の中で幕府軍の兵士の骸が無慈悲に積み上げられ、その血が本陣を真っ赤に染める様は、さながらこの世の地獄のようだ。


 そうして、僅か数分の間に第一軍が致命的な打撃を受けてしまってから、ようやく旗本たちに周囲を守られた匡史が戦場に姿を現す。

 混乱と狂乱に支配され、何が何だか判らないままに鬼たちに殺められていく兵士たちの姿に舌打ちを鳴らした彼は、手にしている羽扇を頭上に振り上げ、事態を鎮静化すべく仲間たちへと大きな声で指示を飛ばした。


「者ども、落ち着け! 敵の数は大したものではない! 僕の指示をよく聞き、しっかりと対処すれば、何も怖れることはないぞ!」


「聖川殿の出陣だ! 将兵よ、奮起せよ!! 恐怖に心を支配されることなく、聖川殿の軍略に従って鬼どもを返り討ちにするのだ!」


「お、おぉ……! え、英雄様が来てくれたぞ! これでもう、大丈夫だ!!」


「聖川殿の下に集え! 総大将を守りながら、鬼を撃退するのじゃ!!」


 自軍を率いる総大将、そして異世界から呼び寄せられた英雄の肩書は、この場面で覿面の効果を発揮した。

 この混乱を治められるだろうという信頼を感じさせる匡史の心強い言葉に落ち着きを取り戻した将兵たちは、続々と彼の周囲に集って鬼たちへと反抗を開始する。

 冷静さと連携さえ取り戻しさえすれば、人間軍の持つ数の利がようやくその力を発揮して、戦線を盛り返し始めた。


「聖川殿! いけます! いけますぞ!!」


「ああ、これでもう本陣は大丈夫だ! だが、問題は……」


 本陣は勢いを取り戻し、鬼たちの急襲に対応し始めている。

 しかし、匡史の声が届かない第二軍と第三軍の陣地は、今も壊滅的な打撃を受けているに違いない。


 その証拠に、二軍の陣からは絶え間ない悲鳴が止まず響き続けている。

 幕府から預かった精兵をこんな早期に失うことを避けねばならないと歯噛みした匡史は、一軍の戦力を増援として向かわせることで事態の収拾を図るものの、それだけで被害が完全に抑えられるとは到底考えられなかった。


 それに、軍はもう一つある。

 三つの陣地の中で最も大きな火の手が上がっている第三軍がそれだ。


 あの様子ではもう、彼らは助からないだろう。

 やはり、野蛮な武士たちが集った三軍では統率が取れず、夜襲の混乱によって完全に崩壊してしまったに違いない。


「第三軍の陣から逃げてくる者はこちらで受け入れろ。だが、救援を送るほどの余裕はない。あくまでこちらに逃げ延びた者だけを助けるのだ。わかったな?」


「はっ!!」


 冷徹な判断を下し、部下にそれを伝えた匡史は、これでよかったのだと自分自身を納得させた。

 三軍は最初から戦力としては期待出来ない者たちを集めた落ちこぼれの軍隊。それが消えたところで、大した痛手とはならない。


 ここで彼らを救うために本隊である一軍やその補佐をする二軍の兵を損耗する方が痛手であると、多少の被害を覚悟することでこの後の戦いに備えようと判断した匡史は、心の中で何の意味もない詫びの言葉を第三軍に向けて発する。


(すまない、第三軍のみんな。しかし、君たちの死は無駄にしない! 必ずや、仇を取ってみせるからな!!)


 兵法には仲間の死を利用して、生き延びた兵士たちの士気を上げる策も記されていたはずだ。

 それを活かし、卑劣な夜襲によって討たれた仲間たちの仇を討つべく立ち上がる総大将としての自分の姿を思い描いた匡史は、そこに至るまでの物語を頭の中で作り上げようとしたのだが――


「た、大変です、聖川殿ーーっ!!」


「なんだ、どうした!?」


 突如、馬に乗った旗本の一人が大声を上げながら近付いてきたかと思えば、匡史の前に転がるように下馬した彼は、慌てた様子で何度も口をぱくぱくと開け閉めして、必死に言葉を探すようにしながら報告を行おうとしてきた。

 その様子から、何かとんでもない事態が起きたことを察した匡史が緊張感に息を飲んだ瞬間、ようやく事態を飲み込めたとばかりに深呼吸をした旗本が、総大将への報告を口にする。


「ほ、報告します! 三軍の陣地からおよそ三十名の兵士がこちらに到着しました!」


「三十名!? 生き残りはたったそれだけか!? くっ、こちらの被害は予想以上に大きい……」


「い、いえ! そうではありません! 彼らは助けを求めてこちらに逃げ延びたのではなく……と言っています!」


「……は? 増援、だと……?」


「その者たちが言うには、三軍の方は既に粗方対処は終わったと! 三軍の被害は零であると、そう言っているのです! 自分たちは三軍の指揮を執る者から、混乱に陥っている本陣を救えと命じられて援軍としてやって来たと言っています! 二軍の陣にも同じく増援を送り、対処を図っているとのことです!」


「は、はあああああぁっ!? なんだ、それは!? 烏合の衆である三軍が既に鬼の夜襲に対処して、被害は零!? 本陣はようやく混乱が沈静化した頃だぞ!? そんな馬鹿な話があり得るはずが……!!」


 部下から信じ難い報告を受けた匡史が、冷静さの仮面をかなぐり捨ててその衝撃に叫ぶ。

 戦力として期待出来ない者たちを集めた第三軍が、どうして主力である一軍よりも早くに夜襲を対処出来たのか?

 そんなことは何かの間違いであると、喜ばしい報せであるはずのそれを否定しようとした匡史であったが……その耳に、夜の闇を斬り裂く大きな声が届いた。


「聞こえるか、外道なる鬼の軍勢ども!! 我々を襲いに来た貴様らの将、牛銀ぎゅうぎんは、第三軍所属兵、蒼が討ち取った!! 夜襲という非道な手を使いながらあべこべに将を討ち取られるとは、なんとも情けの無いことよ! 貴様ら鬼に恥という感情があるのならば、すぐ様に軍を退かせるが良い! あるいは、銀華城から出て、どこぞの山奥にまで落ち伸びてしまえ!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る