その日の夜……


 月の光も見えない夜半。

 兵士たちが寝静まっている中で、本陣の警備を任された2名の男たちが話をしていた。


 彼らの会話は今後の作戦や今晩の警備に関することではない。

 ただ純粋に、持て余している暇を潰すための下らない話をしているだけだ。


 本陣という、軍の喉元ともいえる場所の守護を任されているというのにも関わらず、彼らからは緊張感や仕事に対する意識というものがまるで感じられない。

 夜襲なんて来るはずがないと完全に気を抜いて、こうして警備に立っているのも上から言われたことにただ従っているだけだと言わんばかりの無責任感を醸し出す彼らは、周囲の警戒なんて欠片もせずに会話を楽しんでいる。


「あー、なんで夜の警備なんて割り当てられるかなぁ? こんなことするだけ無駄なんだから、とっとと寝かせてくれよ……」


「そう言うな。これも総大将さまのご命令なんだからな。言うことにしっかり従った上で生き延びれば、俺たち第一軍の兵士は出世が確約されてるようなもんだ。そう考えれば、こんなくだらない警備任務にも少しはやる価値を見出せるってものだろう?」


「まあ、そうだけどよ……やっぱり行軍の疲れがあるから、さっさと眠っちまいたいぜ。どうせ鬼どもも縮こまって銀華城から出てくるわけがないんだし、こっそり居眠りでもしちまうか?」


「やめておけよ。そんなことで出世の機会を棒に振るだなんて勿体ないだろう? 何も起きないことがわかってるなら、適当に気楽に時間を過ごせばいいのさ。それだけで総大将さまからの覚えもよくなるんだ、楽な仕事じゃないか」


 完全にやる気を感じさせない男と、ほんのわずかだけ警備に対する意欲を見せる男。

 彼らに共通していえるのは、やはり夜の番という仕事に対する甘えがあることだ。


 というより、本日の夜警が無意味だと思っている、といった方が正しいだろう。

 今頃鬼どもは大軍で攻めてきた自分たちの姿に泡を吹いて、どうするべきか策を練っている真っ最中。

 こんな火急的に夜襲を決定して、それを実行するはずがないと、この軍の将兵と寸分違わぬ考えを持つ彼らは、ぐだぐだと無駄な会話を繰り広げては時間を潰している。


「にしても戦かあ。初陣から絶好の機会を掴めたのはありがたいが、やはり初めてのことばかりだと息が詰まる」


「わかるな、その気持ち。陣中食は不味いし、布団もないから眠りにくい。風呂に入ってさっぱりすることも出来んから不快感が堪る一方だし、何より――」


「当ててやろうか? 女を抱けないから溜まっちまう、だろう?」


 相棒からの下品な指摘に対して、男はニッと笑うだけで返事を口にすることはなかった。

 だが、その笑みが肯定の意を示していることは火を見るよりも明らかで、その証拠に二人は喉を鳴らして笑った後、この不埒な会話を楽しみ始めたではないか。


「こうして東平京を離れて初めて理解したよ。性欲の処理が出来ないことがこれほどまでに辛いとはな。早く戦を終わらせて、遊郭にでも繰り出したいもんだ」


「そうだなぁ。こんな状況じゃあ自己処理も難しいし、そもそもネタになるような春画もないからな。ただじっと堪えるだけというのも、意識してしまうとやはり辛い。こんな時に都合よく抱ける女がいればいいのだが、そんなのは夢のまた夢だろうよ」


「……いや、待てよ。あながちそうでもないかもしれん。確か……そうだ! 三軍に配属された武士団の中に、何人か女が所属していたはずだ! それもまだ若く、花のように可憐でいい体をした女ばかり! あいつらなら、遊郭の女どもにも見劣りはせんぞ!」


「なに、それは本当か!? これはいい話を聞いた! いざとなったら、そいつらを脅してしまえばいいわけだな!」


「そういうことだ。まだ尻の青い小娘ごとき、俺たちにかかればどうにでもなろう。くくくっ! そう考えると、戦が長引くのもそう悪いことではないのかもしれんな」


 およそ幕府の精兵とは思えぬ下卑た会話を繰り広げる男たちは、そこで再びくっくと喉を鳴らして笑い合う。

 仲間であるはずの女剣士を手籠めにし、己の欲望をぶつける妄想を繰り広げていた片方の男がじゅるりと口から垂れた涎を汚い音を立てて啜ったところで、すぐ近くから質問が飛んできた。


「……その女ってのは、何処の軍の所属なんだ?」


「ああ? さっきも言っただろ、第三軍所属だってよ。お前、女がいるって情報だけで頭が一杯になって、るん、じゃ……?」


 その質問に反射的に答え、仕方のない奴だと相棒をせせら笑っていた男が、ふと違和感に気が付く。

 今の声は、明らかに聞き馴染んだ相棒の声ではなかった。それよりももっと低く野太い、別人の声だ。それに、声の出所も自分の頭の上から聞こえてきた気がする。


 今、自分に声をかけてきたのは誰なのか?

 自分でも、相棒でもない第三者がこの場に現れたことに気が付いた男は、大きく目を見開いて声の出所へと視線を向かわせたが――


「ぴぐっっ!?」


 ――その瞬間、ぐしゃりという嫌な音と共に、彼の頭部は叩き潰されてしまった。

 真っ二つに割れたザクロのような、非常にグロテスクな光景の一部となった男の体はそのまま糸の切れた人形のように地面に倒れ付し、先に物言わぬ死体となっていた彼の相棒のすぐ近くに転がる。


「なんだよ。第三軍ってことは、ここは外れじゃねえか。ったく、女がいるんならそっちに行きたかったぜ」


 そうして、見張りの男たちをこともなげに屠った犯人が不満気な言葉を口にする。

 今しがた人を二人も殺したことに何の罪悪感も感じていないその声の主の体を、彼のすぐ近くにあった篝火が照らし出した。


 筋肉隆々とした巨躯。

 十尺(およそ3m)はありそうなその巨体を覆う肌は炭のように黒く、浮かび上がる血管と筋肉がよりその力強さを引き立てている。


 当然、そんな巨体を誇る人間がいるはずもない。

 文字通り、一捻りで人間を屠ったその男の頭部には鋭く尖った二本の角が生えており……その背後から、同じような角を持った仲間たちが続々と夜の闇の中から飛び出してきた。


「な、なんだ!? 何が起きた!?」


「ま、まさか……馬鹿な!? あれは……鬼っ!?」


 本陣のすぐ近くにまで迫った妖の姿にようやく気が付いた一部の兵が、信じられないとばかりに慌てに慌てた声を漏らす。

 その様を眺め、愉快で堪らないといった様子で獰猛な笑みを浮かべた鬼の将は、獲物である金棒を掲げながら敵を竦ませるような大声で吼える。


「さあ、宴の時間だ! 肉を潰し、骨を砕いて、殺すことを楽しもうじゃねえか! ぎゃはははははっ!!」

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