表面上は平静に
「ご、ごめん。そんな、ここまで蒼くんを動揺させることだとは、思って、なくって……」
「………」
たどたどしく、謝罪の言葉を口にするやよいの心は、珍しく焦っていた。
蒼から本音を引き出せるのなら、彼から嫌われることも傷つけられることも厭わないと考えていた彼女であったが、まさかこんな反応を取られるとは思いもしていなかったからである。
自分を殴るでも、締め殺すでもない。むしろ大事な物を抱き締めるように、必要以上の力を籠めずに腕の中にやよいの小さな体を迎え入れる蒼。
しかし、その行動とは相反して波打つ心と感情を懸命に彼が押し殺していることは、蒼の胸の鼓動を聞くやよいが一番理解していた。
「……いや、ごめん。急に変なことをしちゃったね。許してほしい」
「あ……!?」
やがて、ばつの悪そうな顔を浮かべた蒼が、そんな謝罪の言葉を口にしながらやよいを腕の中から解放した。
その瞳からは今しがた見せたばかりの心の細波が消え去っており、声も先ほどとは違って穏やかで平静そのものといった様子の雰囲気だ。
その急激な変化が、取り繕いの仕方が、不気味に思える。
そんな仲間たちからの少し引き気味な視線を浴びながらも、普段通りの落ち着いた態度を取り戻した蒼は、一つの提案を口にした。
「団長の件だけどさ、こうしないかい? 暫くはみんなの言う通り、僕が団長を務める。でも、今後の活動の中で僕よりも適性を見せる人が出たら、僕はその人に団長の座を譲るってことで、どう?」
「つまり……暫定の団長、ってことか?」
「そうそう、そんな感じ! 何事もまずは経験だし、やってる内にみんなが団長の業務にも慣れてくるかもしれないしさあ! それにほら、僕の方も自信がついたら、そのまま団長を続けてもいいって思えるかもしれないし!」
努めて明るく、仲間たちへと笑顔を浮かべながら蒼が言う。
先ほどの彼の姿を見ていた一同には、その態度はわざとらしい演技だとしか思えなかった。
蒼もきっと、そのことを織り込み済みであんな態度を取っているのだろう。
先の自分の対応をなかったことにしようとしているのであろう彼の姿に、燈たちは何も言えなかった。
「よし! それじゃあそういうことで決まりね! 僕のせいで場の空気が変になっちゃったし、会議の続きをやる前に一度休憩にしようか! それじゃ、僕はちょっと厠に行ってくるね」
ニコニコと笑いながら仲間たちに告げた蒼が部屋を出て行く。
その態度に、口調に、普段との違いをまるで感じられないことが、逆に不気味で仕方がない。
今は彼を一人にしておくべきだろう……と、蒼の背を見送りながら考えた燈は、その姿が見えなくなると同時にやよいの方へと振り向き、言った。
「お、おい! やべえって! よくわかんねえけど、お前やらかしたって!!」
「私でも、わかる。あなた、特大級の地雷を踏んだわね」
「あー、うん……ほんと、やらかしちゃったなぁ……完全に距離を見誤っちゃったよ」
「恐ろしいのは、あれで怒っている気配をまるで感じさせないところだ。表面上は平静を装っているが、その実、心の中では何を考えているか……!?」
異様な蒼の雰囲気を仲間たちも感じ取っていたようだ。
無理に明るく振舞う彼の胸中を想像した一同が緊張感に息を飲む中、おずおずと手を挙げたこころが少しだけ言いにくそうにしながら燈たちへと告げる。
「それは……大丈夫だと思う。蒼さん、本当に怒ってはいないと思うよ」
「……どうして、そう言えるの? 私には、彼があの状況で、怒ってないとは思えない」
「だって蒼さん、嘘つくのが大の苦手だから。ああやってその場を誤魔化すことはなんとか出来ても、本気で怒ったとしたらそれを隠し切ることなんて出来ないと思うよ。それこそ、やよいちゃんのことを殴るのが当たり前だと思ったけど、そうはならなかったし……全然怒ってない、ってわけじゃないとは思うけど、やよいちゃんに暴力を振るうまで怒ってるわけじゃないと、私は思う」
「……まあ、だとしてもだ。あの状況で騒動が起きずに済んだのは、偏に蒼の度量が深かったからに過ぎないんだぞ? お前はその辺りのことを理解して、反省すべきだぞ、やよい」
「うん……冗談抜きで、ひどいことしちゃったな……」
しょぼんと肩を落とすやよいからは、いつもの明るさや無邪気さが完全に消え去っている。
どうやら、今回は本気で反省しているようだなと考えた燈は、同時にそこで独り言のように心の中で浮かんだ言葉を呟いていた。
「そういや、俺たちの中であいつだけが昔のことを話してねえな……師匠に拾われる以前の蒼のこと、なんも知らねえや」
「言われてみれば……どこの出身だとか、家族のこととかも全然話してくれないよね。宗正さんも、何も教えてくれないし……」
「……それだけ、おいそれと口に出せるような話じゃないってことなんだろうね。あたしが思ってた以上に、きつくて重い何かを抱えてるのかも……本当、不用意に触り過ぎちゃった。多少は嫌われても良いと思ってたけど……ああ、もう!」
どたん、と音を立ててやよいが畳へと背後から倒れ込む。
視線の先の天井と、そこに刻まれたシミを見つめながら、ぐしゃりと拳を握り締めた彼女は、喉を震わせた小さな声で自己嫌悪に塗れた呟きを漏らした。
「本当に、嫌な女だなぁ……」
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