触れてはいけない傷


「……辞退するよ。僕は、そんな器の人間じゃない」


 仲間たちの、やよいの、期待が込められた質問に対して、蒼は首を振りながらさらりと答えた。

 その反応に再び意外さを覚えた燈の目の前で、押しの強いやよいが矢継ぎ早に蒼へと質問を投げかける。


「どうして? 少なくともあたしたちの中で蒼くん以上に団長に適格な人間はいないよ? 求められている条件を全て満たしてるし、あたしたち全員が望んでいるのに、どうして自分は相応しくないなんて言うの?」


「僕のことを買い被りすぎだよ。僕は、そんな大した人間じゃない。団長の役目なんて荷が重すぎるさ」


「そんなことねえと俺は思うけどな。少なくとも、俺はお前がやるべきだって、最初から思ってたぜ?」


 あくまで団長の座を固辞する蒼に対して、燈が正直な意見をぶつける。

 彼の素質を認めているのは仲間たちも同じで、燈に続いて涼音と栞桜もその意思を変えるべく自分の意見を口にしてみせた。


「謙遜は、美徳。だけど、行き過ぎると悪点にもなる。もう少し、自分を信じてみたら?」


「悔しいが、私たちの中で最も団長に相応しいのはお前だ。少なくとも、私がお前以上に上手く団を運営出来ている姿は想像出来ない。その才能を、私たちのこれからのために活かすべきじゃないのか?」


「……別に、いいじゃないか。団長なんて決めなくたって、みんなで話し合って方針を決められればそれでいい。無理して決める必要なんて、何処にもないさ」


 燈たちからの説得にも耳を貸さず、絶対に団長にはならないという意思を曲げる様子を見せない蒼。

 頑ななその態度に誰もが違和感を覚え始める中、彼に最も近い位置にいるやよいが、心底不思議そうな口調でこう呟く。


「珍しいね。蒼くんなら、こういう時はみんなの意見を尊重して、取り合えずやってみるって言うと思ってたけど……ここまで嫌がるなんて、予想外だったよ」


「……自分のことは、自分がよくわかってる。力不足だと理解しているからこそ、僕は団長になりたくないって――」


「……嘘だね。違うでしょ? 普段のあなたなら、自信がなくったってみんなの期待に応えようと必死に努力して、団長として頑張るって選択肢を取るはずだもん。でも、今のあなたはそうじゃない。みんなから何を言われたって、その言葉に耳を貸そうともしていない。それって、大前提として、絶対に自分は団長にはならないっていう意思があっての行動だよね?」


「っっ……!?」


 流石に、よく見ている。

 蒼に期待しているというやよいの言葉は、嘘ではないのだろう。


 燈もやよいと同じく、今の蒼から感じられる違和感には気付いていた。

 なんというか、今の蒼は。普段の彼ならばそうはしないだろうという行動を、立て続けに取り続けている。


 いったいどうして、ここまで頑なに団長になることを拒んでいるのか?

 初めて見せる蒼の姿に燈たちが困惑する中、やよいはその理由を突き止めるために、敢えて彼の心に踏み込むような発言を続けていった。


「どうしてそこまで嫌がるのかな? 自信がない、っていうのは違うでしょ? 単純に面倒臭いから嫌だ、っていう性格でもないしなぁ。……少し、考え方を変えてみようか。理由があるから団長になりたくないんじゃなくって、そもそもってことなんじゃない?」


「………」


 探るようなやよいの言葉に、蒼は無言のまま何も答えない。

 だが、僅かに彼が視線を逸らしたことを見逃さなかったやよいは、自分の考えが正しいことを確信すると共にもう一歩奥へと足を進める。


「考えてみれば、蒼くんは最初から団長って役職を作ること自体を避けようとしてた。自分がなるならないの話になる以前にその存在を拒否しようとしていた理由は……仲間内で格差を作りたくないから。指示を出す人と、それに従う人っていう関係性を作ること自体が嫌だったんじゃないかな?」


「くっ……」


 蒼の反応は、もう隠し切れないくらいに判りやすくなっていた。

 小さく呻きを漏らした彼の反応により確信を深めたやよいは、一気に、捲し立てるように、自分が出した結論を蒼へと伝える。


「わかったよ、蒼くん。あなたは、団長になりたくないんじゃない。自体が嫌なんでしょ? 仲間に命令を出したり、自分の部下として他人から見られることが嫌。だから団長になりたくない……違う?」


「………」


「沈黙は肯定と受け取らせてもらうね。それじゃあ、次はどうしてあなたがそんな風に思うのかについて考えていこっか? なんであなたが人の上に立ちたくないのか? 考えられる理由としては――」


 踏み込み過ぎだと、燈は思った。

 蒼の違和感の理由を探るにしても、これでは完全に彼の意志や感情を無視したやり方ではないかと、やよいの手口に若干の嫌悪感を抱いたのは、燈だけではないようだ。

 こころも、涼音も、やよいの親友である栞桜でさえも……少し、やり過ぎだという想いを抱えているような表情を浮かべている。


 今、すべきことは、団長を誰にするかを話し合うことであって、蒼の心を抉る尋問紛いの行動ではない。

 これ以上は彼の心に踏み込むべきではないと、やよいの行動を咎めようとした燈であったが……その決断は、僅かに遅かったようだ。


「――もしかして、、とか? それも蒼くんにとって凄く大事な何かを――」


 蒼の忌避感を追及するための、やよいの発言。その言葉が見事に、彼の触れられたくない心の傷を抉る。

 その瞬間、部屋の空気が凍った。明らかに雰囲気が変わったことを自覚した一同の中で、唯一気当たりに対しての耐性がないこころが呼吸を詰まらせ、小さな悲鳴を上げる。


 燈や栞桜が怒りを爆発させた時とは違う、背筋が凍り付くような感覚。

 二人の怒りが燃え上がる炎だとしたら、蒼の怒りは絶対零度の氷の刃。

 鋭く尖った氷柱の先端を首筋に押し当てられているような、底冷えする殺意と恐怖が彼から発せられている。


 彼が今、『時雨』を帯刀していなくて本当によかったと、誰もが思った。

 もしそうだったら、きっとやよいは斬り捨てられていただろうと燈たちが思う中……だらりと垂れていた蒼の腕が、急速に彼女へと伸びる。


 多分、殴られるのだろうなと、やよいは思った。

 ここまで好き勝手をして、心の傷に触れて、それで怒りを覚えない人間がこの世にいるはずがない。

 そうなることを織り込み済みでこうした行動を取ったわけだが、ここまで激しい怒りを引き出してしまったのは流石に予想外だ。


 この後には大事な話し合いが控えているのだから、せめてそこに参加出来るくらいの怪我で済むといいな……と考えながら、襲い来るであろう痛みに備えて瞳を瞑った彼女であったが、直後に訪れたのは予想だにしていなかった感覚だった。


 伸びてきた腕が、手が、自分の頭と背中を抑える。

 そのまま引き寄せられ、あれよあれよという間に蒼の腕の中に収まってしまったやよいは、一切の痛みを受けることなく彼に抱き締められる形になった。


「蒼、くん……?」


 てっきり暴力を振るわれると思っていた彼女にとって、この行動は予想外が過ぎる。

 後頭部と背中をがっちりと抑え、蒼に強く抱き締められているやよいは、流石に困惑しながら恐る恐る彼へと声をかけたのだが……


「……もう、止めてくれ。それ以上は、もう……!!」


 返ってきたのは、苦しい心の中から搾り出すようにして吐き出された、嗚咽にも近しい蒼の声。

 その声を耳にして、彼の左胸に密着する自分の耳が静かに鳴り響く心臓の鼓動を感じ取った時、やよいは自分が触れてしまった傷が予想以上に深いものであることを悟り、顔面を蒼白に染めた。

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