先制攻撃 露天風呂と嘘

 翌日の戌の刻。現代風に言い直して、午後八時頃。

 夕食を終え、桔梗邸自慢の露天風呂に浸かる燈と蒼は、憩いの一時を迎えているというのにも関わらず、暗い表情を浮かべていた。


「いや~……どうするよ、明日……?」


「どうするもこうするも、行くしかないでしょ。多少、自分の欲を混ぜているとはいえど、師匠だって真面目に僕たちのことを考えてくれているんだろうしさ」


 二人の話題は当然、明日にまで迫った脱童貞の儀式について。

 乗り気にはなれないが今後の活動を考えれば済ませておいた方がいいのではないかとも思えるその行為は、師匠からの提案ということも相まって彼らの中から断るという選択肢を消去してしまっている。


 別段、恋人や想い人がいるわけでもないのだから、遊郭や揚屋に行くことに罪悪感を覚える必要はないのだが、若者が故の青臭さなのか、どうにも二人は心の中から気まずさのような感情を拭い切れないでいた。

 

「まあ、考えてもどうにもなんねえし、流されるままいこうぜ。考え方によっちゃ、ラッキーな話だしな」


「元々、他の弟子たちと合流する前に済ませようとしていた行為だしね……椿さんとの出会いで有耶無耶になっちゃってたことを改めてやるだけなんだから、思い悩む必要はないか」


 自分自身に言い聞かせるように、相方に同意を求めるように、二人がそれぞれ呟く。

 お互いの言う通り、これは元からやるはずの行為であったし、今更自分たちが騒ぎ立ててもどうこうなる問題ではないのだ。

 ならばもう、潔くその瞬間を迎えるのが男というもの……と、無理矢理に自分を納得させた燈と蒼は、同時にある懸念にも思い至っていた。


「……絶対にバレるわけにはいかないな。特に、栞桜と椿には……」


「潔癖そう、だもんね。椿さんに関しては、師匠を見る目が変わっちゃいそうだし……」


「孫可愛がりしてる椿に冷たい目で見られた日にゃ、師匠がどれだけショックを受けるかわかんねえよな。いや、自業自得だからしょうがねえとは思うけどよ」


 揚屋に行き、遊女を指名し、一夜を過ごす。

 自分たちがそんな行為をしたと知られたら、女性陣からどう思われるかなど考えたくもない。


 幻滅、嘲笑、剥き出しになる敵意……幾ら師からの命令で、事情があったとしても、彼女たちから冷ややかな眼差しを向けられることは避けられないだろう。


「最悪、理解がありそうな涼音とやよいにはバレても構わねえ。だが、栞桜は駄目だ。冗談抜きでぶち殺されかねない。それと、単純に気まずくなりたくねえから椿も駄目だ」


「……僕としては、やよいさんも嫌だなぁ……。それをネタにして、もっと過激なからかいを仕掛けてくる未来しか見えないんだもの……」


 女性陣の反応を想像して暗い表情を浮かべる二人は、彼女たちがとっくに自分たちの目論見を知っていることなど知る由もない。

 そして、彼女たちがその計画を阻止(?)するために行動を開始していることもまた、想像だにしていないのである。


「ん? あたしたちがどうかしたのかにゃ~?」


「「!?!?!?」」


 聞きなじみのある、悪戯っぽいその声を耳にした瞬間、熱い湯船に浸かっているはずの男子二人は自分たちの体が急速に冷え切っていくことを感じた。

 きりきりと、油の差されていないブリキ人形の如く、ぎこちない動きで首を動かし、振り返った彼らは……自分たちがもたれ掛かっている岩の上に座すやよいの姿を目にして、おっかなびっくりといった様子で悲鳴を上げる。


「うおおおおおっっ!? な、何でお前、ここにっ!?」


「ん~? これから一緒に武士団として活動していく仲間同士、絆を深めようと思ってさ! 取り合えず、裸の付き合いってことで、みんな仲良くお風呂にでも入ろうかな~、って!!」


「前! お願いだから隠してよ!! 何度も言ってるけど、慎みってものを覚えて!!」


「え~、あたしも何度も言ってるけど、そろそろ女の子の裸くらいには慣れてほしいものなんだけどにゃ~。っていうか、蒼くんに至ってはこれで何度目よ? あたしの裸、見飽きてくる頃じゃない?」


「慣れるわけないでしょ!? 毎回毎回、君って子は――!」


「……おい、ちょっと待て。やよい、お前今、なんつった? みんなで、お風呂だって?」


 堂々と裸体を隠そうともせずに会話を続けるやよいから視線を逸らした燈は、不意打ちを受けた混乱の中でも彼女が口にしたとある一言を聞き逃さなかった。

 なんだか物凄く、嫌な予感を覚えながら……どうかその予感が外れてくれと願う彼の耳に、ばしゃばしゃという何者かが湯船に足を踏み入れた音が届く。


「あはは……お邪魔、しま~す……」


「……くそ、いきなりこれか? いや大丈夫だ私。混浴なら既に一度経験しているじゃないか……!」


「……どうも」


 月の明かりに照らし出される、三名の女性の姿。

 長めの手ぬぐい一枚だけを持ち、それを体に当てて胸から股間部分までを隠しながら、ずけずけと自分たちが浸かる露天風呂に侵入してきた彼女たちへと、あんぐりと口を開けて驚きの表情を見せる燈。

 蒼もまたこの異常事態を察知したようで、視線を女子たちに向けずとも、自分たちが追い込まれていることを悟ったようだった。


「や、やよい、さん……? これは、君の発案、なの、かな……?」


「うん、そうだよ! こんなに可愛い女の子たちと一緒にお風呂に入れるだなんて、燈くんと蒼くんは幸せ者だね! あたしに感謝してほしいな!」


 そう言いながら湯船に体を沈め、蒼の隣へと移動したやよいが意地悪く微笑む。

 乳白色の湯のお陰で多少はその体は隠されているが、彼女が今、一糸纏わぬ裸体であることは間違いない。


 きめ細やかな肌や、完全に隠し切れていない胸の谷間から目を逸らすようにして蒼が別方向を向けば、そこにはまた別の美少女が湯船に浸かる姿がある。

 こちらが駄目ならあちらへ、あちらも駄目なのでそちらへ……とせわしなく首と視線を動かしていた蒼であったが、何処にも逃げ場が存在していないことを理解すると、瞳を開けぬようにして地蔵のように硬直してしまった。


「お、おい、確かに仲間同士で親交を深めるってのは結構なことだけどよ。いきなりこれはねえだろ!? お前ら、なんかおかしいとは思わなかったのかよ!?」


 対して、意を決した燈は顔を上げながら、やよい以外の女子たちに向けてそう叫んだ。

 仲良くなるためにいきなり裸の付き合いというのは、どう考えてもおかし過ぎる。普通なら、彼女たちの方が拒否すべき案件のはずだ。


 だがしかし、何故だかこうして自分たちと混浴している彼女たちの行動に燈が疑問符を浮かべる中、彼を襲ったのは予想外の不意打ちだった。


「私は、別に、おかしいとは思わない。むしろ、好都合……」


「す、涼音……っ!? それ、どういう意味で……?」


 すっ、と燈の警戒をすり抜けるような見事な体捌きで彼に接近した涼音が、頬を紅潮させながらそう呟いた。

 普段、顔色一つ変えない彼女が見せる大胆なその行動と言葉に燈が戸惑う中、ふわりと小さく笑みを浮かべた涼音がこう言葉を続ける。


「他のみんなとは、一緒に入浴、したんでしょう? 私だけ仲間外れは、嫌だから……」


「あ、ああ、そういう、そういう意味な! い、いや、でもよ、流石に年頃の娘がそう簡単に男と同じ風呂に浸かるってのは避けるべきじゃ――」


「……燈は、嫌? 私と一緒にこういうことをするの……私は今、結構、楽しんでる……」


「うぐっ……!?」


 体を、顔を、ずいっと寄せ、小さな声で囁く涼音。

 珍しく陽気な輝きを見せている翡翠色の瞳や、平坦な声を紡ぐ朱を差してぷっくりと膨れた唇が文字通り、目と鼻の先にある光景に言葉を失った燈は、同時に目の当たりにした涼音の裸体を前にごくりと息を飲む。


 すらりとした、華奢な体をしている涼音は、胸の膨らみも彼女の口調と同じく平坦だ。

 栞桜ややよい、こころと比べると貧相という印象を覚えなくもないが、それがイコールで彼女に色気がないという結論に繋がることは決してない。


 本当に細く、その剣術に必要最低限の筋肉のみが付けられた肉体は、むしろ一切の無駄を省いた機能的な美しさが存在していた。

 そこに、腰のくびれや慎ましやかな肉付きの胸と尻、すらりと伸びる生足という女性の魅力が加われば、それがまた一種の色香となって涼音を彩るのだ。


「……取り合えず、体隠せよ。仲を深めるっても、そんなんじゃまともに顔も見れやしねえ」


「ふ、ふ……! 燈、可愛い……」


 僅かにでも、仲間に劣情を抱いてしまったことを隠すように、燈はぶっきらぼうな口調で涼音へとそう言い捨てた。

 そんな彼の胸中を知ってか知らずか、涼音は目を細めて顔を赤くする燈へと姉のような言葉を口にして、嬉しそうに微笑む。


 何を考えているかは判らないが、ぐいぐいと無垢に距離を詰めてくる涼音の言動に燈が完全に振り回される中、そのすぐ近くではもはやお馴染みの光景ともいえる蒼とやよいとのやり取りが繰り広げられていた。


「ね~え~、蒼くんってば本当に耐性が無さすぎじゃない? あれだけ見せたのに、まだあたしの裸に慣れないの~?」


「慣れる慣れないの問題じゃないでしょ!? 僕にとっては、一生かかっても平然と見ることなんて出来るものじゃないんだってば!!」


「ふ~ん……それってさ、女の子の裸全般がそうなの? それとも、あたし限定の話? 前者なら大問題なんだけど……後者だっていうなら、容認してあげなくもないかにゃ~」


「っっ……!?」


 右半身に触れる、柔らかい何かの感触。

 鍛え上げた自分の右腕を挟む丸くて大きくて柔らかな物体が何であるかを敢えて考えないようにする蒼であったが、そこから更に自身の体を密着させたやよいは、視界を封じた蒼を触覚と聴覚で追い込んでいく。


「教えてよ、蒼く~ん! あたしのこと意識しちゃってるから、恥ずかしくってこっちを見られないの? 怒らないから正直に言ってみてよ~!!」


「そ、そんなんじゃないよ。誰だって同じで、やよいさんを特別視してるってわけじゃ……」


「ふ~ん、そっかぁ……じゃあやっぱり、蒼くんには女の子に対する免疫が出来てないんだね。あたしがあれだけしてあげたってのにこの有様ってことは、まだまだ刺激が足りないってことかにゃ~? ……それじゃ、しょうがないか」


 途中まで楽し気に、蒼をからかうようにして喋っていたやよいの雰囲気が、急に変わった。

 何か覚悟を決めたような、お遊びはここまでだと言っているような、言動こそそこまで変化していないが、何かが確実に変わったと思わせるただならぬ雰囲気を放ちながら、やよいは今までで一番真剣で……熱を帯びた声で、蒼の耳元で囁きを零す。


「どうやら、蒼くんの腑抜けを治すためには根っこからどうにかしなきゃいけないみたい。もっと過激で、卑猥で、楽しいことをすれば、少しはその軟弱な部分も改善されるかな? あたしと一緒に、試してみよっか?」


「や、やよいさん……? な、なにを、考えて……!?」


「……あたしの口から言わせたいの? 別にいいけど……それを聞いちゃったら、もう逃げられないよ? 大丈夫かな、蒼くん?」


 悪戯好きの妖精のようにクスクスと笑いながら、それでいてどこか自分を試すような雰囲気を放ちながら……どこまで本気か判らない台詞をやよいが口にする。

 彼女の言葉を、声を耳にしている蒼は、体に触れるやよいの肉体の感触やその声が帯びている熱を感じる度に、自分の中にある檻のようなものが軋むような感覚を覚えていた。


 今まで知らなかった、見たこともなかった、自分の中に存在する何かが、やよいの挑発によって目覚めようとしている。

 いっそその正体を知るために、軋む檻の中からこの感情を解放してしまおうかと、一種の自暴自棄に陥った蒼がそんな考えを思い浮かべた時だった。


「そ、そこまでにしろ、やよいっ! 流石にやり過ぎだぞ!!」


「す、涼音ちゃんも、少し離れよう? 燈くん、困ってるから……ね?」


 男性陣に迫る涼音とやよいに待ったをかけたこころと栞桜が、実力行使で彼女たちを引き剥がす。

 触覚、視覚、聴覚に訴えかけて燈たちの心を揺さぶっていた仲間の積極的な行動に危機感を抱いた二人は、このままでは彼らの暴走を招くのではないかと不安になっていたのだ。


 確かに自分たちの最終目的はそういった行為に及ぶことではあるが、今、この場でそうなるのは流石にマズい。

 一応、作戦の筋書き通りの行動ではあるものの、それが予想以上に男性陣に効いていることを察知した二人は、攻めの姿勢を見せているやよいたちを引き離すと共に予定されていた作戦を第二段階へと移行していった。


「ご、ごめんね、燈くん、蒼さん。悪気はなかったんだけど、からかいが過ぎてたよね」


「いや、椿さんが謝る必要はないよ。むしろ、助かった」


「サンキューな、椿。こうなることを見越してあいつらについてきてくれてたんだな」


 予想通り、燈たちはこころのことをやよいたちのお目付け役として見てくれていた。

 普段が普段なだけに、こんな過激な作戦の成就に一枚噛んでいるとは思われていないこころは、二人を騙している罪悪感に大きめの胸を痛めながらも、粛々と作戦行動を遂行していく。


「あ、あのね! 仲を深めようっていうのは、おふざけじゃなくて本気なの! 実は、桔梗さんから今後のことも考えて、是非とも確認しておけって言い付けられてることがあって……その辺も一緒に済ませようってみんなで話してたら、こんなことになっちゃっててさ……」


「き、桔梗さんが、今後のことを考えて……? な、なにをお前たちにしろって言ってたんだ?」


 びくりと、自分たちと宗正とのやり取りを想起させるこころの言葉に反応した燈が、顔を青くしながら質問する。

 桔梗さんの名前を出せば、自分たちの例と当てはめて勝手に納得して疑わなくなるだろうから、というやよいの言葉が正しかったことを痛感しながら、こころは嘘八百であり、作戦を次の段階に進めるためのキーワードを口にした。


、だって。みんなで宴会でもしながら飲んでみて、個人の限界を知っておけって……そう、言ってたよ」


「ああ、なるほどな。酒かぁ……確かに知っとかなきゃマズいことではあるよな」


「ほ、ほら! 日本の江戸時代もそうだったけど、大和国も飲酒に関しての規制って緩いじゃない? 私たちと同い年くらいの子が普通にお酒を飲んでたりするしさ!」


「大和国では十五にもなれば普通にお酒を飲める年齢だよ。当然、僕たちも酒宴に呼ばれて、お酒を勧められることもあるだろう……そういった場で粗相をしないためにも、自分がどれだけ飲めるのかを知っておくのは必要だね。それに、女の子たちを酔い潰そうとする不届き者と出会うことだってあるだろうし、そんな手合いに対処するためにも、正しいお酒の飲み方を知っておくのは大事だ」


「流石は桔梗さん、うちの師匠と違ってまともな提案をしてくれるぜ……!!」


 とっとと童貞を捨てておけという宗正の言葉に対して、組全体のことを考えて発言してくれている桔梗の提案に対して感心する燈と蒼であるが、今の話はやよいたちがでっち上げた大嘘である。

 見事に騙され、この後に六人揃っての宴会を行うことを快諾した燈と蒼は、その裏に隠れる女子たちの思惑にまるで気が付かないまま、彼女たちとの混浴時間を過ごしてから、彼女たちと共に用意されていた広間へと向かう。


 そうして、桔梗の酒蔵から拝借した日本酒やこころが用意したつまみの料理が揃えられた膳が並べられた部屋にやって来た一行は、取り合えず露天風呂での火照りを鎮めた後、様々な思惑が入り乱れる宴会を開始した。


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